続・愛しき日々 【2】




「それに第一、当麻をこっちで一人暮らしなんてさせられないしね。そのことは、当麻のおじさまもそれは心配なさってて」
「おじさんて、尚之さんのこと?」
 ナスティの言葉に、秀は当麻に訊ね、当麻はそれに頷いて答えた。
「ああ。一人暮らしはさせられないって言われてね」
「だからって知らない人の家に下宿っていうのも、当麻の性格からしたらこれまた無理な話でしょ?」
「おまえ、人と付き合うの、苦手だもんな。おじさんの心配も分かるよ」
「悪かったな」
 秀がからかうような口調で軽く言うのに、当麻は頬を膨らませて応えた。
 再会してからまだほんの数時間しか経っていないが、当麻は、以前の“智将”然としていた時には決して見せなかったような面を次々と見せていた。年相応のその様は、見ていて微笑ましいものがある。
 それを見ることができるようになったこと一つをとっても、当麻がナスティのところに下宿したのは正解だったのかもしれないと、他の者は思った。
「おじさまも、最初はご自分の知り合いの方の所に下宿させるおつもりだったようだけど、当麻の性格を考えて、多少なりとも気心の知れている所の方がいいだろうと仰ってね。ただ、何かあった時のためにって、ここからは少し遠くなってしまうけど、それでも大阪からよりは近いということで、その知り合いの方が当麻の後見ということになっているの。
 あ、遼にきちんと返事してなかったわね。
 そうね、ご家族のが方が納得した上で賛成して下さって、あと学校のこととか、何も問題が無いようなら、駄目とは言わないわ。どうする?」
 ナスティは遼の目を見つめて、中途半端になってしまっていた彼の問いに対する答えを告げた。
「……うーん……。親父のことだけならともかく、学校のこと考えると、すぐには無理だろうなあ……。それに、別にこっちの学校に通いたいってわけじゃないし……」
「つまるところ、遼の場合は皆と一緒にいたいっていうことでしょ。それだけならやめとくことね。無理はしないに限るわ」
 ナスティはきっぱりと言い切った。
「……だな……」
「そのかわり、いつでも遊びに来ればいいわ。学校をさぼってくるのでなければ、いつでも大歓迎してよ」
 残念そうに頷いた遼に、ナスティが明るく言う。
「一年もさぼったからな。これ以上はさぼれないよ」
「言えてるね」
 遼の言葉に、伸は苦笑を交えて同意を示した。それにつられたように、残りの三人も笑いを洩らす。
「それにこれから先、皆と会えないわけじゃない。会おうと思えば会えるし、離れてるからって、仲間じゃなくなるわけじゃないもんな」
「そうよ。あなたたちの結びつきは並大抵のものじゃないもの。どんなに離れて立って、心は一つ、でしょ」
 それから紅茶を飲み、少しばかりの菓子を摘まみながら、それぞれの近況報告やら何やら、色々な話をして、三時間余りもリビングで過ごした。
 もう遅いからと解散した後、ナスティは後片付けと翌朝の食事の下拵えをするためにキッチンに入ったが、30分程で簡単にそれらを済ませてリビングに戻ると、征士が一人でソファに座って雑誌を読んでいた。
「征士、どうしたの? もう他の皆は部屋に戻ったんでしょう?」
「ああ。私はナスティに話があって待っていた」
 手にした雑誌を脇に置きながら、征士は返した。
「私に話? 何かしら?」
 征士の正面に腰を下ろしながら訊ねる。
「……その……」
 既に壁の照明の一つを消しているために、常に比べれば少しばかり薄暗いそのリビングで、言い辛そうにしている征士の顔が、些か赤みを帯びているのが見て取れた。
「遠慮なんかしないで、言いたいことがあったら言ってちょうだいな。それとも、そんなに言いにくいことなのかしら?」
「ナスティ」
 ナスティの言葉に、征士は思い切ったように顔を上げた。いつ時までも言いたいことも言わずにいるのは性に合わない。例えどういう答えが返ってくるにしても……。
「ナスティは私たちの事を大切な弟だと、さっきそう言っていたが、それ以外の目で私を見て欲しいというのは、無理な話だろうか……」
「……ごめんなさい、征士」
 ほぼ即答に近いナスティのその一言に、征士は深い溜め息を一つ吐き出した。緊張していた躰から、力が抜ける。
「あなたの気持ちは、以前から何となく分かっていたの。でも少なくとも今はまだ、そういった対象としてあなたを見ることはできそうにないわ」
「私が、年下だから……か?」
「一言で言えば、結局はそういうことになるのかしらね。あなたの気持ちはとても嬉しいのよ。でもね、今の年代で四つの差は大きいわ。それに正直言って、今までの状況が状況だったし、だから今はまだ仲間とか、弟とか、そういうふうにしか見えないのよ。それに……」
 言いかけて、ナスティは一瞬遠い()をした。
 その瞳の先に映るものが何であるのか、大凡の察しはつく。
 阿羅醐との戦いの中で命を散らした男を思っているのだと。ナスティがあの男── 朱天── に好意らしきものを抱いていたのは、皆、薄らと理解していた。そして今もその想いは消えてはいないだろうことも。あれから僅か一月余りしか経ってはいないのだから。しかしそれでも、征士はナスティに自分の想いを打ち明けておきたいと思ったのだ。
「困らせてしまったようだな。すまない」
「いいえ、そんなことはないわ。あなたの気持ちは、本当に嬉しいわ。ありがとう」
 ねえ征士、今はまだ、あなたの気持ちに応えることはできないけど……。もし、何年経ってもあなたの気持ちが変わらないと思うなら、早く大人になりなさい。私に、弟ではなく、一人の男性として意識させるようにね」
「ナスティ」
 ナスティのその言葉に、征士は面を上げてその貌を見た。そこにはいつもとは少し違った、大人の女性の微笑みがあった。征士は思わず頬が紅潮するのを覚えた。
「もっとも、その頃には逆に私なんか目に入らなくなってるかもしれないけど」
 微笑みながらそう告げて、ナスティはソファから立ち上がった。それにつられるように征士も腰を上げる。
「……朝になったら、また今まで通りに過ごせるわよね。何も変わらない。それでいい?」
 これからのことを考えて、ナスティは征士に半ば言い聞かせるように聞いた。
「ああ、大丈夫だ」
 ナスティの気持ちを思って、征士は頷いた。
「ナスティから見れば、私はまだ子供だ。弟としか思えないと言われても、それは仕方のないことだと思う。私の気持ちを知っておいてもらえれば、今はそれだけでいい」
「もう遅いわ、部屋に戻って寝なさい」
 ナスティの柔らかい唇が征士の頬に軽く触れて、お(やす)みのキスを送る。
「おやすみなさい」
「お、おやすみ」
 真っ赤になった征士に優しく微笑いかけて、それからナスティは自分の部屋へ戻っていった。それを見送ってから、すっかり弟扱いされている自分を改めて自覚しながら、自分の部屋に戻るべ階段を上がった。
 部屋に入ると、もう寝ているだろうと思っていた当麻が、まだ起きてベッドの上で本を読んでいた。
「どうだった、ナスティは?」
 突然の当麻の問いに、征士は答える言葉もなく当麻を見つめ返した。
「ナスティに自分の気持ちを打ち明けたんだろう? どうだった、振られたか?」
「ど、どうしてそれを知ってるっ!?」
「……カマ掛けただけだったんだけど……、何だ、本当に打ち明けたんだ」
 焦る征士とは対照的に、のんびりと当麻が告げる。
「で、どうだったんだ? やっぱりダメだったか?」
「……今はまだ弟としか思えんと言われた……」
 直ぐにいつもの落着きを取り戻して当麻の問いに答えながら、征士は以前あった、どこか人を拒絶しているような部分が当麻の中から消えているのを感じた。
「だろうな……。今んとこ、ナスティの想いは朱天にあるようだし」
 当麻は読みかけの本を閉じて、ベッドの脇のナイトテーブルの上に置いた。
「当麻」
「ん?」
「おまえ、変わったな」
「そうか?」
 征士は当麻に再会した時からずっと思っていたことを口にした。今交わされたような問答も、以前の当麻からは考えられないものだ。
「何というか、明るくなったというか、随分と雰囲気が柔らかくなったような気がする」
「そう見ええるか?」
「ああ。もっとくだけて言えば、軽くなったような」
 その表現に、当麻は思わず吹き出していた。
「軽く、ねぇ……。まあ、自分でも変わったとは思うけど。この一年の間、色々あったからな。阿羅醐をはじめとする妖邪との戦いを別にしても、その間の日常生活からして、俺には初めての経験と言っていいものばかりだったし。何より、おまえたちと出会えたってのが一番でかかったよな。おかげで何か吹っ切れたような気がする。おまえらに感謝してるよ」
 優しい微笑みを浮かべながら当麻が言う。
 そんな仕草一つとってみても、初めて出会った頃の、生意気で自尊心の強い天空の将と同一人物とは思えないほどに変わったような気がする。
 そしてそれは、彼にとってとても良い傾向だと征士は思った。自分一人の殻に閉じ籠もっていた彼が、外に向けてその扉を開き、人を受け入れるということを覚えたのだから。
「それにしても、ここに下宿している割には荷物が少ないようだが」
 当麻と話をしながら、寝巻きに着替えた征士は、ふと部屋を見回して当麻に訊ねた。
「ああ、普段は元の柳生博士の部屋を使わせてもらってるんだ。あの部屋、書斎のとなりだから何かと便利でね。けど、おまえ等が来たら前と同じようにしたかったから、皆がいる間だけな」
 それから暫くの間話をしていたが、流石に眠気を覚えて二人はベッドに入った。明日から何日間かは、また皆一緒にいられるのだから。





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