続・愛しき日々 【1】




 呼び鈴の音に、当麻は読んでいた本をテーブルの上に置くと玄関へと向かった。
 ドアを開けると、ほぼ一ヵ月ぶりに会う仲間の一人が立っていた。
「早かったな、征士」
「おまえの方こそ、随分と早いではないか」
 征士のその言葉に、当麻はクスッと小さな微笑(わら)いを洩らした。それに怪訝な思いを抱いたものの、征士は部屋を見廻してから訊ねた。
「他の者は?」
「遼と伸は5時頃になるって電話があった。秀も、家の都合で少し遅くなるそうだ」
「そうか。で、ナスティは?」
「買い出しに行ってる。もうそろそろ帰って来ると思うが。何か飲むか?」
「いや、今はいい。とりあえず荷物を置きたいのだが、以前の部屋でよいのか?」
「ああ」
 当麻の返事を確認して、征士はボストンバッグを持って二階へ上がった。
 部屋の中は以前のままだった。何かほっとする。帰ってきたのだという思いがする。
 自分の本当の家は仙台の家族のいる家であるはずなのに、実家にいるよりもここの方が心が落ち着くような、そんな感じだ。何よりもここにいたのはほんの一ヶ月ほど前までのことなのに、懐かしいとさえ思う。



 着替えて下に降りると、当麻がソファに座って本を読んでいた。
 その様に、何か異質なものを感じる。それは決して不快なものではない。むしろ快いものだ。
 当麻の纏う氣が、以前とは異なっているような気がする。柔らかくなったような、優しい氣だ。
 征士が当麻に声を掛けようとした時、表に車のエンジンの音が聞こえてきた。
「ナスティが帰ってきたかな」
 そう言って立ち上がった当麻の後から、玄関に向かう。
 当麻に続いて玄関まで出ると、ナスティが車から降りて荷物を下ろしていた。
「お帰り、ナスティ」
「ただいま、当麻。もう誰か来た?」
「つい今し方、征士がね」
 言って当麻が顎をしゃくって玄関を示す。その答えにナスティが玄関の方を見ると、征士が立っていた。
「いらっしゃい、征士。来た早々に悪いけど、荷物運ぶの、手伝ってくれる?」
「あ、ああ」
 頷いて、征士はナスティの元へ行くと、荷物を受け取った。
 荷物を片付けた後、リビングでナスティの淹れた紅茶を飲みながら久し振りの会話を交わす。言葉は少ないが、それでも言いたいことは互いに何となく分かる。分かり合えた仲間の存在が、とても嬉しい。
 夕方になって遼と伸が到着し、丁度夕食の準備が終えた頃に秀がやって来た。
 とにかくまずは食事だ、俺は腹が減ってるんだ! との秀の叫びに、久し振りの賑やかな食卓を囲んだ。秀の食欲は相変わらずで皆呆れていたが、変わっていないのがまた嬉しかった。もっとも僅か一ヵ月程度ではよほどのことがない限り何も変わりようがないと思うのだが。



「そうだ当麻、母さんがたまには遊びに来いって言ってた。前と違って近いんだしさ」
 食事を終えて、リビングでそれぞれ思い思いに寛いでいる時、秀が思い出したように当麻に告げた。
 秀のその当麻に向けた言葉を伸が聞きとがめた。
「近いって、当麻、今大阪にいるんじゃないの?」
「おまえ、話してなかったのか?」
 伸の問いに、秀が重ねて問うた。四人が当麻を見る。
「当麻、おまえ、今どこにいるんだ?」
「ここにいるよ」
「俺は真面目に聞いてるんだぞ」
「だから真面目に答えてる」
 真っ直ぐ当麻の目を見ながら聞いてくる遼に、これまたその遼の目を真っ直ぐに見つめ返して、その顔には微かに笑みを浮かべながら当麻が答える。
「当麻、まさかとは思うが、もしかしておまえ、ここに住んでいるのか?」
「そうだよ」
 征士の眉を顰めながらの問いに、当麻はしれっと一言で返した。
「何っ!?」
「おまえ、大阪に帰らなかったのか!?」
 当麻の答えに驚いた遼が、身を乗り出すようにして聞いた。
 あの別れの日、自分は確かに当麻が新幹線に乗るのを見届けたのに、どういうことなんだと。
「一度は帰ったんだけどさ、色々あってまたこっちに出てきてね、ナスティの好意に甘えて下宿させてもらってる」
「当麻、非常識ではないか? うら若い女性一人の家に転がり込むなど、世間体というものがあるだろう」
 そう言って当麻を咎める征士の言葉の裏に、四人ともそれ以外の意味を汲み取って、小さな笑いを洩らした。
「何がおかしい、当麻!」
「別に何も。たださ、ついこの間まで、俺たち五人してここに転がり込んでたんだぜ。それをいまさら、な」
「あの時とは状況が違うだろう!」
「けどそれは別にして、どうして黙ってたんだよ」
「んー、何となく。どうせまた直ぐ会うんだからその時でいいやと思ってね」
「それにしたって、秀は知ってたんだろう?」
 四人の中で一人だけ話を聞いていたために、我関せずとばかりに一人でクッキーを摘まんでいた秀に、いきなり話が振られた。
「え? ああ。前々から、高校は東京に出てくるって聞いてたしな。最初に聞いた時はさすがに驚いたけどさ。東京じゃなくてナスティのとこだっていうし」
「随分と楽しそうね。何の話をしていたの?」
 お茶の用意を終えたナスティが、それらを載せたトレイを持って五人のいるリビングに入ってきた。
「ナスティ、当麻、ここに下宿させてるんだって?」
「ええ。当麻、あなた、皆に話してなかったの?」
 ナスティは伸の問いに頷きながら、当麻に問い掛けた。
「皆を驚かそうかと思ってね」
「十分に驚いた」
「でも、当麻狡いよ、抜け掛けだよ」
 征士が呆れたように言い、遼が当麻を責める。
「抜け掛けって、遼……」
「……俺、向こうに帰っても殆ど一人だからさ、無理な話なのは分かってたから口にしなかったけど、できることなら、ここでずっと皆と一緒に暮らしたいって思ってたんだ。まさか当麻がここに下宿するなんて、考えてもみなかった」
「ホントにね。ねえナスティ、いつからこういう話になってたのさ」
 全員分の紅茶を淹れてソファに腰を下ろしたナスティに、伸が訊ねた。
「皆が家に帰る前にね、高校はこっちに出てくるかもしれないから、そしたら下宿させてくれないかって聞かれたのよ」
「それで簡単にOKしちゃったの?」
「だって、駄目だって断る理由なんて無いじゃない。予定が一年早まったのには、いささか驚いてしまったけど」
「ナスティ、結婚前の女性の一人暮らしの家に、若い男性を下宿させるなんて、変な噂を立てられるのがオチだよ」
「何を言ってるのよ。あなたたちと私は共に戦った仲間よ。そして皆、私にとっては大切な弟たち。何を世間に遠慮なんてすることがあるのよ。噂を立てたい人たちには勝手に立てさせればいいの。気にすることなんてないわ」
 紅茶を飲みながら平然と言い放つナスティに、流石はナスティだけのことはあるねと、いまさらながらに、伸はナスティの芯の強さに舌を巻いた。
「ねえ、ナスティ、俺もここにいたいって言ったら、駄目……?」
 遼が遠慮がちに問い掛ける。
「……そうねえ。でも、あなたと当麻では状況が違うし……駄目とは言わないけど。
 本当のこと言うとね、最初に当麻にいいわよって答えてしまったけど、その後、ちょっと考えてしまったところはあるのよ。でも、女の一人暮らしって何かと不用心でしょ。男手があれば何かと助かることもあるし。加えてね、当麻ならお祖父さまの研究を引き継いでやっていくのに、何かと協力してもらえるところがあるでしょ。当麻には悪かったけど、その辺の利害を考えた部分もあったわ。このことは最初に打ち明けて話してしまったから当麻も承知してるけど。
 でもそれより何より、当麻がそんなふうに甘えてくれたのが嬉しかったのよね。だって、皆で一緒に暮らしていた間、そんなこと一度もなかったんですもの。つまりそれだけ私を受け入れてっくれたってことでしょ。それがね、とても嬉しかったの」
 そう言って、隣に座る当麻にナスティが柔らかな微笑みを向ける。それに当麻は照れたように頬を朱に染めて下を向いてしまった。そんな当麻に、ナスティはまるで姉が弟を見守るような優しい眼差しを送る。
 その様子に、何も知らない人間になら、二人のことを姉弟と紹介しても十分に通じてしまいそうだな、と伸は思った。
 その脇では、征士がいつものポーカーフェイスに比べれば、些かつまらなそうな顔をして紅茶を飲んでいた。





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