続・愛しき日々 【3】




 朝、伸が下に降りると、既にナスティが朝食の用意をしていた。そしてその傍らで当麻がナスティを手伝っている。
 過去、ついぞ見たことのないその光景に、伸は目を丸くして、声を掛けるのを忘れていた。
 朝はいつも一番遅かった当麻が、こともあろうに自分よりも早く起きて、その上、ナスティの手伝いをしているなどとは考えたこともなかった。
「よお、伸。早いな」
「え、あ、おはよ、当麻、ナスティ」
「おはよう、伸」
 伸に気付いて掛けられた当麻の声に、伸はハッとしてその声に応じた。
「珍しいこともあるもんだね、当麻。寝呆すけの君がこんなに早くから起きてるなんて」
「あら、最近はいつもこんなものよ」
「そうなの?」
「ええ。前の時のことが嘘みたいに早起きするようになって。といっても、さすがに一回では起きられないみたいで、目覚まし2個使ってるようだけど。
 それより、そろそろ他の子たちを呼んで来てくれる? 食事の用意ができたからって」
「OK、分かった」
 ナスティと当麻を目の端に止め、今までの自分の知っていた当麻とは随分と違ってしまったことに戸惑いを覚えながら、伸は再び二階へ上がった。
 伸に呼ばれて下りてきた遼と秀も、一様にナスティの隣に立って彼女を手伝っている当麻に驚きを覚えた。
「そんなに不思議なことかよ」
 昨夜色々と話をしたせいもあってか、征士は常と大差なかったが、食事をしながらも変わったものでも見るような目で自分を見る残る三人の視線に、当麻は頭を掻きながら言った。
「昨日も、前とは変わったなって思ってたけど、それにしたって、以前の当麻からは考えられないことしてるんだもん」
「下宿させてもらってるんだから、これくらい当たり前だろうが」
「けど、前は何もしてなかったじゃないか」
「そりゃ、まあな。でもあの頃と今じゃ、違うよ」
「確かにそれはそうだろうけど、それにしたって……」
 伸が言いかけた時、玄関の呼び鈴の音がリビングに鳴り響いた。
「こんな朝早く、一体誰かしら……?」
 フォークを置いて、疑問を口にしながらナスティは椅子から立ち上がって玄関に出た。
 ややあって、ナスティが当麻を呼んだ。
「当麻、あなたにお客さまよ」
「俺に?」
「ええ。とても可愛いお客さま。外にいるわ」
 ナスティのその言葉に、当麻はクエスチョンマークを飛ばしながらしながら、外に出た。
 玄関の先に、真っ直ぐな黒髪を腰の下まで伸ばした、振り袖を着た少女の後ろ姿があった。
 ── 誰だ……?
 当麻が近づく気配に、その少女が振り向く。
「迦遊羅!?」
「天空殿!」
 かつては敵として戦った少女が、目の前にいた。
 迦遊羅は黒曜石のような目を見開いて、嬉しそうに当麻を呼んだ。
「迦遊羅、どうして君がここに……? 煩悩郷に戻ったはずじゃ……」
「三魔将の方々に追い出されてしまいました……」
 迦遊羅の答えに、当麻は慌てた。阿羅醐が倒れ、人間界にも、妖邪界と化していた煩悩郷にも平和が訪れたと思っていたのに、一体何が起こったというのか。
 しかし迦遊羅は、うっすらと頬を染め、はにかみながら言葉を綴った。
「方々は私の気持ちをご存じだったようで、後は自分たちに任せて、行きたいところへ行けと……。漸く阿羅醐の呪いから解放されたのだから、これからは人間(ひと)として、唯の一人の娘として生きろと、螺呪羅殿が仰ってくださいました」
「螺呪羅が……?」
「はい。迦雄須一族の裔としての役目があると申したのですが、もう阿羅醐はいないのだからと、そう仰られて……。あの方々のお気持ちに甘えてしまってよいものかと、随分と悩んだのですが……、逆に、そのご好意を無下にもできず、お言葉に従ってしまいました」
 迦遊羅は不安げ眼差しで当麻を見上げた。
「こうして出てきてしまった以上、もう煩悩郷へは戻れません。もし駄目だと言われても、私、他に行くところなどないのですけれど……。天空殿、あなたのお傍にいてもよろしいでしょうか?」
「迦遊羅」
 自分を見上げてくる迦遊羅の瞳を見つめながら、あの別れの日の前の夜、桜の花の下でただ一度だけ、迦遊羅をその腕の中に抱き締めた時のことを思い出していた。
 もう会うことは無いと思っていた。二度とその手を取ることは無いものと。そしてそれは迦遊羅も同じはずだった。それが……。
 ── 心憎い事をしてくれるものだな、螺呪羅たちも。
「……天空殿……?」
 名を呼んだきり何も言わない当麻に、迦遊羅の瞳が揺れる。
「迦遊羅」
 当麻はもう一度少女の名を呼んで、手を差し伸べた。
「天空殿、私、ここにいてもよろしいのでしょうか?」
「ああ」
 微笑みを浮かべて頷きながら、当麻は促すように迦遊羅に向かって手を差し出した。その手に、迦遊羅が躊躇いがちに自分の白い手を乗せた。
 再び触れることは無いと思っていたその温もりを手にして、もう二度と、初めて得た愛しい者のこの温もりを手放すまいと思いながら、当麻は迦遊羅を優しく抱き寄せた。
「やったな、当麻!」
「朝っぱらからお熱いことで」
 いきなり後ろから掛けられた声に、当麻は慌てて振り返った。
「お、おまえらっ……!?」
「……あっ……!」
 玄関脇から、遼たちが全員そろって二人を見ていた。
「一体いつから見てたっ!?」
「ほぼ最初から」
 顔を真っ赤にして叫ぶように問う当麻に、伸が答えた。
「だって、こんな時間に訪ねてくるなんてよほどの相手じゃん。しかもナスティ曰く、『可愛いお客さま』だぜ。気にならない方がおかしいぜ」
「秀! ったく、おまえらなー……。その上ナスティまで、どういうつもりなんだよ」
「だからそれはほら、姉としてね、弟のガールフレンドの存在ってとっても気になるものじゃない?」
「ナスティッ!!」
 微笑みながら言うナスティの言葉に、当麻は真っ赤な顔を更に真っ赤にして叫んでいた。
 迦遊羅はといえば、やはり顔を真っ赤に染めて、当麻の後ろに半ば隠れるようにして、彼等の遣り取りを見ているだけだった。
「とにかく皆、中に入りなさい。食事もまだ途中なんだし。当麻、ちゃんと迦遊羅さんを案内してあげるのよ」
 言うなり、ナスティは他の四人を促して、さっさと中に入って行った。
「……全くあいつ等、後で覚えてろよ……」
「……天空殿……?」
 迦遊羅が心配そうに当麻を呼んだ。
「私がここに来たのは、やはりご迷惑だったのでしょうか……?」
「そ、そんなことは無い! 嬉しいよ。分かってるだろ、俺の気持ちは」
「……」
 頬を染めて頷く迦遊羅からは、とても輝煌帝に匹敵するほどの力を持っているなどということは微塵も感じられなかった。今ここにいるのは、一人の恋する少女でしかない。
「さ、中に入ろう」
 当麻は改めてもう一度手を差し出し、今度は迦遊羅は躊躇うことなくその手を取った。
「ああ、そうだ。迦遊羅、俺の名前は“当麻”だ。これからは、鎧の名の“天空”ではなく、俺の名で呼んでくれ」
「はい」
 これからまた皆にからかわれるんだろうなと、そしてまた、最高の休日になりそうだと思いながら、当麻は迦遊羅と並んで家の中へ入っていった。

──




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