幾度目かの二人だけの夕食を済ませた後、何をするでもなく、リビングで雑誌や新聞を広げていた。
パラパラと捲っていた雑誌をパタンと閉じて、ナスティは立ち上がってキッチンへ消える。
少しして、ナスティはトレイに紅茶を淹れたカップを乗せて戻ってきた。一つを征士にどうぞ、と声を掛けて差し出し、もう一つを手に取って征士の前のソファに腰を下ろした。
「……当麻……」
「……ん……」
「帰ってくるわよね」
「…………」
「だってあの子、帰るから、って言ったのよ。だから私、待ってるって言ったの……。私、思ったのよ。当麻、帰るって電話を寄越したけど、本当に帰ってくる気になったのは、私が、待ってるって、そう言った時じゃないかって」
「どうしてそう……?」
「電話口で最初に応えた時のあの子の声、ほんの少し、震えてたの」
「はい、柳生ですが」
「……ナスティ……?」
受話器の向こうから聞こえてくる小さな声は、聞き覚えのあるものだった。久し振りに聞く、懐かしい声。
「当麻? 当麻なの?」
「……そう、俺」
「今、どこにいるの? 日本に帰って来たの?」
「いや、まだアメリカ」
「そうなの。この1年、連絡の一つも寄越さないで、一体どうしてたの? 変わりはない? 元気でやってる?」
「ああ、変わりはないよ。ナスティは?」
応える当麻の声は、国際電話ということを抜きにしても、小さくて、元気とは言い難いものが感じられる。それを気に留めながらも、ナスティは嬉しそうに明るく応じた。
「私も変わりはないわよ。他の子たちも元気にやってるわ。時々、電話や手紙を遣り取りしてるけど、皆、あなたのことを心配してるわ。それに、怒ってる」
「怒ってる……?」
「だってあなた、約束の集まりにも顔を見せずに、不意にいなくなっちゃったでしょ。その上、音沙汰無しなんですもの。皆、怒ってるわよ」
「……そっか……。叱られるの、覚悟しといた方がよさそうだな」
「……それって、帰って来るの?」
「うん。だから電話したんだ」
「本当に? で、いつ帰って来るの?」
「えっと……今の所、来月の10日を予定してるけど……。それで……」
「それで?」
言い淀んだ当麻に先を促す。
「……そちらにお邪魔しても、いい、かな……?」
「10日ね? なら予定は入っていないから大丈夫よ。待っているからいらっしゃい」
「本当に、いいの!?」
不意に、応える当麻の声のトーンが変わった。
「もちろんよ。いまさら何を遠慮してるの。何だったら、成田まで迎えに行きましょうか?」
「……いや、それはいいよ」
「そう? なら、部屋の方、用意して待っているわね。あと、何か欲しい物とか必要な物はあって?」
「…………」
「当麻?」
「……久し振りに、ナスティの手料理が食べたいな……」
「食事の用意はしとくわ。何かリクエストある?」
「ナスティの手料理なら何でもいいよ。俺、ナスティの作る物なら何でも好きだよ」
「嬉しいことを言ってくれるわね。じゃあ、腕によりをかけて何かあなたの好きな物を作りましょ。楽しみにしてらっしゃい」
「うん、楽しみにしてるよ。……ナスティ」
「なあに?」
「……ごめん、心配掛けて……」
「そう思うんなら、早く帰ってらっしゃい、待っているから」
「……うん、帰るよ」
「最初のうちは、何て言うのかしら、不安が隠しきれない、そんな感じの声だったわ。でも私が『待ってるから早く帰ってらっしゃい』って、そう言った後は、ほっとしたような……。
帰るって、言ったのよ。なのに、こんな……」
ナスティは話しながら、辛そうに目を伏せてしまった。
「…………」
征士はナスティがまだ言いたいことがあるような気がして、黙って再びナスティが話し始めるのを待った。
「……ねえ、征士。あなたたち、未だ怒ってる? 当麻が何も言わずに一人でアメリカに行ってしまったこと」
「怒っていないと言えば、嘘になるな。会う約束をしていたのに、その約束を反故にされたわけでもあるし」
「そうね。でも、当麻には必要なことだったのだと思うのよ」
「必要なこと?」
征士はナスティの言葉に、眉を顰めながら問い返した。
「ええ。何て言ったらいいのかしらね、上手い言葉が見つからないのだけれど……。
当麻って学校の中── 学校だけに限らないけど、他の人間から見れば、異質な存在なのよね。
元々、あなたたちは鎧戦士として集まった仲間だから気にしていないかもしれないけれど、普通の人間にしてみれば、彼は自分たちとは違う存在なのよ。
日本人て、特に、異なるものを排除したがる傾向があるでしょう? 出る杭は打たれるなんていう言葉もあるけれど、抜きんでた者、才能に対する一種の偏見みたいな部分とか」
征士は頷くことで肯定し、ナスティに先を促した。
「当麻は、浮いた存在だったわけよね。つまり、当麻がそこにいる必要性とか、目的とかいったものは無かったと言える。突き詰めていけば、ちょっと大げさな言い方かもしれないけれど、自分の存在意義が失われてくる。自分はなぜここにいるんだろう。何のために存在するんだろう……、そういった疑問が湧いてきて、それで、それを確かめるために、自分という人間を見つめ直すために、彼は誰一人として自分を知る者のいない、見知らぬ土地へ行ったのではないかしら。それも様々な異質な人間の多く集まる、人種の坩堝たるアメリカへ」
そこまで言って、ナスティは喉を潤すために、すっかり冷めてしまった紅茶を口に含んだ。
征士は黙ってその様子を見ていたが、ややあって自分の疑問を口にした。
「ナスティの言っていることの意味は、理解るような気がする。しかし、それにしてもなぜ、私たちに黙って行ったのか── それに一番腹が立っているのだ」
「……怖かったのだと、思うのよ」
「怖い?」
「さっきも言ったけど、あなたたちは同じ鎧戦士の仲間よね。妖邪と、阿羅醐と戦うために集った仲間。そして無事に阿羅醐を倒して、あなたたちの目的は果たされた。ということは、共にいる必要性はもう無いのよ」
「そんなことは……!」
声を荒げる征士をナスティは視線で制した。
「あなたの言いたいことは理解るわ。それはあなただけでなく、他の三人も同じ考えだと思う。でもね、当麻は違ったのよ。そう思えなかった。あなたたちに必要だったのは“羽柴当麻”という人間ではなく、鎧戦士の智将たる“天空”であり、戦いが終わった後はもう自分は必要ないのだと、もう何の関係もない存在なのだと」
「馬鹿なことを! 戦いが終わったらもう関係ないなどと、私たちの間にあったものはそんな薄っぺらなものではない、そう簡単に捨てられるような仲間ではない。あやつはそんなふうに思っていたのか!! 情けない!」
「そうじゃないわ。彼がそう思ったのではなく、彼は、皆そう思っているのではないかと思ってしまったのよ。会う約束はしたけれど、もしかしたら皆、自分のことなんか忘れているかもしれない、関係ないと言うかもしれないとね。それが怖かったのよ、当麻は」
「どうしてそんな考えになる? あれほどに心を通わせたものを……どうしてそれを信じられない?」
絞り出すようにして言いながら、征士は拳を握り締めた。
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