愛しき日々 【3】




「当麻、おまえ、学校はどうするつもりなんだい?」
 翌朝、遅めの朝食を摂った後、そのまま茶の間で新聞を読んでいた当麻に、祖母が茶を淹れながら聞いた。
「ん……。来週からでも行くよ」
「……まる一年遅れることになってしまったし……行きにくいんじゃないのかい?」
「気にしてないよ」
「なんだったらおまえ、東京に行くかい?」
「え?」
 祖母の言葉に、当麻は読んでいた新聞から顔を上げた。
「以前、お祖父さんと話してたろう、高校は東京へ行きたいって。それに受験のことを考えると、こっちの学校に復学するより、その方がいいんじゃないのかい?」
「そりゃ確かに高校大学は東京へ行きたいって話はしてたけど、どうしてもってわけじゃないし、それに、祖母ちゃんを一人でおいていけるわけないだろ」
 言って、祖母の差し出した湯呑みを手にすると口をつけた。
「私のことなら、尚之がいるから心配はいらないよ。最期まで面倒みてくれるって言ってくれてるからね。
 第一、おまえが東京へ行きたいって言い出したのは、尚之に遠慮してだろ? お祖父さんが生きている間ならまだしも、もういないんだから……。気まずい思いをしてまで私のためにここにいることはないんだよ」
「祖母ちゃん……」
「おまえが大学出るまでくらいの学費や生活費ならどうにでもなるしね。それに東京には麻子さんもいることだし。何て言ったって、あの人はおまえの実の母親なんだから、話せば一緒に住むことだって……」
 言いかけて、当麻の湯呑みを持つ手が震えているのに気がついて、やめた。
「……ごめんよ……」
 ── そんな人、知らないっ!!
 当麻がどうにかここでの生活に慣れた頃に、源一郎との離婚の話をするためにやって来た母親に向かってそう叫んだのだ。
 それが、祖父母が初めて目にした当麻の感情の発露だった。何事にも無関心で無感動だった当麻が、初めて感情を剥き出しにした言葉だった。
 ああ、この子にもちゃんと感情というものがあるのだと、安堵し嬉しかった反面、哀れでならなかった。これほどに悲しい否定の言葉など聞いたことはない。
 その言葉は、当麻自身にとっても、自分で叫んだものでありながら当惑以外のなにものでもなかった。
 そんなふうに叫んだのは初めての経験で、叫んでしまってから、どうしていいか分からずに戸惑いの表情を浮かべていた。
 そしてその時から、当麻は母親を、そして父親をも否定し、拒否している。
 以来、当麻の前では息子夫婦のことは自然と禁句のようになっていたが、祖母はうっかりして母親のことを口に出してしまい、その時のことを思い出して後悔した。
「……俺の方こそ、ごめん……」
 当麻は髪を掻き揚げながら、祖母から顔を反らした。
「……ちょっとその辺を散歩してくる」
 気まづくなって、当麻はそう言って立ち上がった。



 ── 母親、か……。
 最後に会ったのはいつだったろう。もう随分と前になる。新聞や雑誌で、何度か母親の書いた記事を読んだことはある。これが、夫と子供を捨ててまであの人がやりたかったことなのかと──
 そして思うのだ、あの人はこれで幸せなのだろうかと。
 ── この人は僕を捨てた人だ、もうお母さんなんかじゃない。お母さんだなんて、認めないっ!!
 そう心の中で叫んで、母親を否定して、けれど否定しながらも心の奥底で、どこかで母親を求めていた。
 自分という人間をこの世に生み出した人の温もりを感じたかった。それを何よりも欲していた自分がいたことを知っている。
 否定し、憎んで、憎む程に欲していた。そしてそれが得られないが故に、なお一層憎しみが募っていった。
 ── ……俺って、どうしてこう素直じゃないんだろうな。会いたくない、なんて言いながら、その実、誰よりも会いたがっているくせにさ……。
 ふと、過ぎるほどに素直な、真っ直ぐな気性をした真田遼を思い出した。
 ── 遼、俺は、おまえが羨ましかったよ。どうしてそこまで素直に人を信じることができるんだろうって、不思議で、そして妬ましかった……。





 妖邪界に来てからどれくらいの時間が流れたのか。妖邪兵達の目を逃れ、漸く身体を休めることが叶った。
「阿羅醐の城までまだ随分あるな。けど一刻も早く辿り着かないと……」
「とにかく今は少し休もう。気が急くのは分かるがな」
「ああ、そうだな」
 二人とも、躰を休めることに専念し、沈黙の時が続く。
 暫くして、遼が口を開いた。
「なあ、当麻」
「ん?」
「秀から聞いたんだけどさ、おまえ、初めて秀と会った時、お祖父さんの影に隠れてたんだってな。最初の頃は、秀が近づこうとすると逃げてたって?」
 横になっていた当麻は、遼の言葉に思わず躰を起していた。
「秀の奴、そんなことおまえ等に話してたのか!?」
「うん」
 単純明快な遼の答えに、当麻は頭を抱え込んだ。
「あのバカ、いらぬことを……」
「聞いたのはそれだけじゃないよ。秀、言ってた。今のおまえは、“天空の当麻”であって“羽柴当麻”じゃないって」
「なに馬鹿なこと言ってんだよ、俺が羽柴当麻じゃないなんて」
「“天空”であろうとして、無理してるって」
「遼……」
 自分を見つめてくる当麻の瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、遼は言葉を綴った。
「皆といてもさ、おまえって、いつもどこか遠くを見てるだろ。その場にいながらそこにはいないんだ。特に一人で空見てる時のおまえなんて、声を掛けるのが躊躇われるほどでさ、なんてのかな……他人を拒絶してるみたいで、怖いよ。
 本当のおまえはとっても臆病で淋しがりやなんだ、って秀が言ってた。でも俺たちが知ってるおまえは、いつだって自信家で態度がでかくて、とても秀が言うようには思えない。だけどその話を聞いた後、一人でいる時のおまえを見てると、やっぱり秀の言うとおりなのかなって思えてきて……。当麻は皆で一緒にいる時は、そんなところ── 単に俺が気付かないだけなのかもしれないけど── 微塵も感じさせたことないけど、それって、俺たちを信頼してないってことか?」
 言いながら、遼は当麻に詰め寄っていった。
「俺たち、仲間だろう? だのに本当の自分を見せてくれないなんて、そんなに俺たちのこと信用できないか? 当麻、俺、いや、俺だけじゃない、皆、本当のおまえに会いたいと思ってるよ。サムライトルーパーの智将天空としてのおまえじゃない、ただの“羽柴当麻”にだ。
 確かに俺たちは妖邪と戦うために集まった仲間だけど、それだけじゃないだろ? それだけだったらあまりにも虚し過ぎる。鎧とか、妖邪とか、そんなものとは関係なく、そんなものを離れても友人でいたい。友人って、言ってなるもんじゃないけど、でも言ってなれるんなら、俺、皆と親友って呼べるようになりたいと思ってる」
 目を反らしたのは当麻だった。
 こんなふうに自分自身に対して感情をまっすぐにぶつけてこられるのは初めてのことだった。
「目を反らすなよ、俺を見ろよ、当麻!」
 強い力で肩を掴まれて、当麻はゆっくりと遼の方へ顔を向けた。瞳が、不安気に揺れている。
「当麻」
 遼の手が肩から離されて当麻の頭の後ろに回り、当麻は膝立ちになった遼の胸元に抱き寄せられる格好になった。
「遼……?」
「当麻、覚えておけよ。俺も伸も秀も征士も、ナスティも、それに純だって、皆おまえが好きなんだってこと」
 冷たい筈のアンダーギアを通して、遼の、烈火の焔が伝わってくる。それは懐かしい人の温もりにも似て……。眦に何か熱いものを感じる。
「……遼……」
 近頃の自分は変だと、当麻は思う。
 戦っている間は、“天空の当麻”でいられる。一人でいる時は、以前と何ら変わりのない“羽柴当麻”だ。だのに普段仲間といる時は違う。今までの自分ではない。かといって“智将天空”でもない。自分が自分でなくなっていくようで、怖いのだ。自分の気持ちを掴みきれない。こんなふうに思いを持て余すというのは初めてのことで、それがなおさら不安を呼んだ。けれど仲間といるととても安心できて、穏やかな気持ちでいられる。
 頬を流れ落ちるものを感じて、当麻は自分が泣いているのを理解した。





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