愛しき日々 【4】




 遼が当麻から身を離すと、当麻は再び顔を背けてしまった。けれど今度は、横顔にかすかに散る朱に照れ隠しらしいと察して、遼はそれには何も言わなかった。
「いきなりごめんな。本当なら、こんなところで、しかもこんな状況の中で話すようなことじゃないんだろうけど、今を逃したらまたずっと話せなくなりそうだったから」
 二人の傍らに身を横たえていた白炎が、ふいにその身を起こし、唸り声をあげた。
「!」
「妖邪か」
 再び敵が迫ってきたらしい。
「今は何をおいても征士たちを救い出すのが先決だな。全てはそれからだ」
 二人とも、敵の気配にさっと気持ちを切り換えていた。
「遼」
「ん?」
「……感謝する……」
「え?」
 当麻のぶっきらぼうに告げた小さな声に、遼は一瞬動きを止めた。その隙に当麻は先に飛び出していて、遼はあわててその後を追った。
「おい、待てよ、当麻!」





 そんなこともあったと、思い出して懐かしくなる。まだほんの少し前の出来事なのに、もう懐かしいと思う。
 ── また会おうぜ。
 別れの挨拶ではなく、再会を約して別れた。
 これで終わりなのではなく、これから始まるのだから、とそう言ったのは征士だった。
 そう、これからはサムライトルーパーの仲間としてではなく、友人としてね、と伸が言った。
 それに、ああ、そうだな、と当麻はそう頷くのが精一杯だった。
 そう言って別れたのは昨日のこと。まだたった一日しかたっていないというのに、もう彼等を懐かしいと感じる。会いたいと思う。それはたぶん、自分が以前の日常に戻ったからだのだろうが。そしてその日常と、彼等と過ごした時間とが、あまりにも違うものだったからなのだろう。
 どうかしている、俺らしくもない、と思いながら、彼等の声を聞きたいと思った。自分の名前を呼んで欲しいと。



「当麻!」
 不意にかけられた聞き覚えのある声に、当麻は顔を上げた。見知った顔の人が近づいてくる。
「尚之おじさん」
「こんなところでどうした、散歩か?」
「うん。でももう戻るよ。おじさんは?」
「檀家に相談事があるからと呼ばれてな。その帰りだ。一緒に戻るか」
 頷いて、並んで歩き出した。
 おじ、と呼んではいるが、正確に言えば違う。尚之は祖父の甥で、当麻の父親である源一郎の従兄弟にあたる。
 昨日、一年ぶりに家に帰ってきた当麻に、尚之は何も言わなかった。おそらく亡くなった祖父から全てを聞いていたのだろう。ただ一言、よく帰ってきたな、と告げただけだった。祖父に代わって、祖父によくにた穏やかな微笑を浮かべて。
「昨夜はよく眠れたか?」
「……」
 答えない当麻に、尚之はそれを否定と受け取った。
「そうか。昨夜は源一郎が随分と怒っていたようだったな。私は、いまさらあいつがおまえに対してどうこう言う資格などないと思っているが……。
 実は、夕べ源一郎が帰った後に、叔母さんからおまえのことで相談を受けてな。おまえ、東京の高校へ行きたいんだって?」
「……そのことならさっきも祖母ちゃんに話したけど、どうしてもってわけじゃないから、忘れてくれていいよ」
「どうして? 行きたいなら行けばいいじゃないか」
「だって、祖父ちゃんがいた時ならともかく、祖母ちゃんを置いてなんて行けるわけないじゃないか」
「行ったきり、二度と戻って来ないってわけじゃないだろう。たとえどこにいたって、おまえの家があそこであることに変わりはないんだから。
 それに、叔母さんのことなら私がいるから、おまえがそう心配することはない。第一な、私に言わせればおまえの方が心配だ。一人で東京なんかでやっていけるのかどうか。おまえを見てるとどうも危なっかしくてな。
 おまえのことは叔父さんから色々聞いてるし、少なくとも源一郎よりはおまえのことを理解しているつもりだ。おまえが叔父さんの寺を継いだ私に遠慮してるのも分かっているよ。もしそれだけが理由で家を出るというのなら反対だが、それだけではないのだろう? まだまだ先は長いんだ、やりたいことをやりなさい。子供が大人に遠慮なんてするもんじゃない。甘えていいんだから」
 語りかける尚之に祖父の面影が重なり、血の繋がりというものを感じる。
 確かに尚之自身の言うように、当麻の中に尚之対する遠慮というものがあるのは否めない事実だ。だがその尚之に、実の父親である源一郎よりも近しいものを感じる時がある。
「おまえも知ってると思うが、私は源一郎との付き合いは絶っているが、おまえがいくら源一郎と息子といっても、源一郎とおまえは別の存在だ。叔父さんにおまえのことをくれぐれもと頼まれたということもあるが、叔父さんの孫なら、私にとって息子も同じだと思っている。それに私には他に家族がないしな……」
 最後の一言に、そうだった、と当麻は思い出す。
 生まれて間もない娘と妻を、一度に事故で亡くしたのだ。それがこの人が仏門に入った切欠だった。それまではエリートコースまっしぐらの商社マンだった。亡くなった、当麻にはまた従姉弟にあたる娘は、生きていれば結婚して、子供の一人ぐらいいてもおかしくない年頃だったはずだ。
「いっそのこと、養子縁組して本当に息子にならんか。あんなしょうもない源一郎なんぞおっぽって。どうだ、ん?」
 その軽めの口調に、当麻は思わず苦笑を洩らした。
「……そうだね、考えてみてもいいね」
 考えてみれば、この人とこんなふうにならんで歩くのも、話をするのも初めてのことだ。
「それはともかく、本気で東京で勉強したいと思うなら言いなさい。幸い、東京なら私の学生時代や勤めていた頃の友人が結構いるから、中には一人くらい、おまえを引き受けてくれるやつがいるだろう。とてもじゃないが、おまえに一人暮らしなんぞさせられんからな」
 そう言って、尚之は声をたてて笑った、
「俺って、よっぽど信用ないんだな」
「おまえはまだまだ子供だからな。それでも一年前に比べれば随分と雰囲気が変わった」
「変わった?」
「ああ、なんとなくだがな。少しは、大人になったか?」
 優しく見つめてくる尚之の瞳の中に、当麻は祖父を見たような気がした。
「……色々、あったからね。集団生活なんてものも経験したし」
「そうか」
 語らいながら並んで二人で歩く姿は、何も知らぬ他人が見たら、親子と映ったかもしれない。



 最初に東京に行きたいと言い出したのは、やはり祖父の後を継ぐ尚之への遠慮がまずあった。それから、周りの人間との付き合い。あの子は、あいつは違うから、という周りの目。誰も自分を知らないところで、そんなものを気にせずに暮らしたいと、高校入学を機に新しくやり直したいいう思いもあった。東京へ行きたいというよりも、この地を離れたい、という気持ちから出たと言える言葉だった。
 そして今、それらの思いが思いが無くなったわけではない。けれど一年前に比べれば、離れたいというよりも、行きたいという気持ちが強いような気がする。ただし、東京に、というよりもナスティの家に。柳生博士の蔵書や残された研究資料は、当麻にとってかなり魅力的な存在だった。そして何よりも、あの家で過ごした妖邪との戦いの間の、それでも優しい日々が当麻を呼んでやまない。
 ナスティは来ても差し支えないと言ってくれた。そして祖母も尚之も、東京へ行きたいなら言ってもいいという。やりたいことをやれと、自分たちに遠慮したりすることはないのだからと。
 ── 素直になれよ。
 今となっては遺言のようになってしまった祖父の言葉。
 素直に── 。祖母や尚之の言葉に、ナスティの好意に甘えてもいいのだろうか。



 ふいに、電話のベルが鳴った。祖母が取ったらしい、「羽柴ですが」と答えている声が聞こえる。
「当麻、柳生さんて女の方からおまえに電話だよ」
「柳生って、ナスティ!?」
 祖母の自分を呼ぶ声に、当麻はあれこれ考えながら手入れをしていた弓を置き、慌てて電話のある茶の間へいった。
 電話は保留になっていて、茶の間には誰もいなかった。祖母は台所に戻ったらしい。
 当麻は一呼吸してから受話器を取った。
「電話、かわりました」
「当麻?」
 受話器から、聞きなれた優しい声が流れてくる。
「ナスティ、急にどうしたの? 何かあった?」
「皆の所に掛けてるのよ。無事に着いたかどうか気になって」
「あ、ごめん。本当なら俺の方から掛けるべきなのに」
「いいのよ、そんなこと。他の子たちも無事に帰り着いていたわ。あなたで最後よ」
「そっか……。ナスティには最後の最後まで心配かけちゃったね。ごめんよ」
「気にしないで。好きでやってるんだから。ところで、当麻……」
 ナスティの口調が変わった。
「何?」
「秀から聞いたわ。お祖父さまが亡くなられたって……。あなたとあなたのお祖父さまのことは以前に秀から聞いていたから、気落ちしてるんじゃないかって、気になって……」
「……俺なら、大丈夫だよ……」
 ナスティの心遣いが嬉しい。
 戦いの間、殆ど常に常に共に行動していた人。ナスティが、そして純がいたから、自分たちは戦い続けることができたのだと、いまさらながらに思う。なくてはならぬ人だった。日常生活においてはよく叱られたりもしたが、それは本心から自分たちのことを心配してくれてのことだった。優しくて芯のしっかりした強い人で、姉のように慕わしい人。
「当麻?」
 黙ってしまった当麻に、ナスティが呼びかける。
「ごめん、ホントに心配ばかりかけて……」
 声に涙が含まれる。それを察して、ナスティは電話の向こうで黙っていた。
「……あのさ、ナスティ、覚えてるかな。俺が、高校はそっちに行くかもしれないって言ったの」
 当麻は自分の考えに結論を出すためにナスティに切り出した。もう一度聞いて、それでもし本当にいいと言ってくれたら──
「あ、ええ、もちろん覚えているわよ。よければ下宿させてくれないかって言ったのよね、あなた。駄目になった?」
「ううん、そうじゃないんだ。実はさ……」



 夕食の席で、当麻は祖母と尚之の二人に告げた。
 俺、東京に行くよ── と。

──




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