空に還る 【1】




 還りたい── と、
 空を見上げるたびに思っていた。
 物心ついた頃からずっと、何時だって思っていた。
 あの空へ、還りたいと──






『……エンジントラブルから着陸に失敗、爆発炎上』
 何気なくつけたテレビの画面に丁度映ったニュース速報の文字を目にして、ナスティは手にしていたティーカップを落とした。カップが割れ、その破片と、カップの中身が床に広がっていく。しかしナスティはそれを気に留めることなく、慌てて手近のテレビのリモコンを取ると、ニュース番組を探してチャンネルを切り換えた。
 丁度、番組が切り替わったところのようだった。
 アナウンサーがニュース原稿を読み上げている。その後ろには、事故機の惨状が映し出されていた。未だ煙の上がっている機体の周りを、消防車や救急車が取り囲んで、大勢の人々が作業をしている。
「……嘘……っ……当麻……!」
 ナスティは思わず両手で顔を覆った。
 事故に遭った便には、羽柴当麻が乗っているはずだった。






「予定通り、10日に帰るよ」
「明後日ね。成田には何時頃に着くの? この前はいいって言ってたけど、なんなら迎えに行くわよ」
「迎えはいいよ。夕方までにはそっちに着けると思うから、約束どおり何か美味いもの用意しといてよ。久々のナスティの手料理楽しみにしてるからさ」
 相変わらずなのねと、そう笑って電話を切ったのは、つい一昨日のこと。
 そして当麻のために夕食の下拵えを済ませたところだった。
「…………」
 暫くして、画面は判明した日本人乗客リストを次々と映し出し始めた。
 その中に当麻の名前がないことを祈りつつ、ナスティは食い入るように画面に見入る。
 この便に乗ると言ってはいたけれど、何か気まぐれを起こしたり、あるいはうっかり寝坊したりして、乗っていないかもしれないと、微かな望みを持ちながら。





 2年前、あの妖邪── 阿羅醐── との戦いが終わった後に約束したのは、一年に一度、始まりの地であり、終わりとの地となった新宿で会おうということだった。
 戦いのために集まった仲間とはいえ、それだけで終わってしまうのは哀しいからと。会わなければそれで終わりなどという簡単な繋がりではないけれど、せめて一年に一度くらい顔を会わせたい、だから会おうよ── 誰かが言い出した言葉に、反対する者はいなかった。
 けれど一年後の約束の日、当麻だけが来なかった。
 理由は分かっていた。アメリカに行く、とだけ、ナスティの元に葉書が届いていた。
 何もわざわざ約束の日の前に行かなくてもいいじゃないか、皆と会ってからだって遅くはないだろうに── それが残された者の言い分。
 当麻を除く四人と、ナスティを合わせて五人。一人欠けたその集まりは、それなりに楽しく過ごせはしたが、やはり何かが足りなかった。
 それから1年──
 今年こそは当麻は顔を出すだろうかと、皆、気を揉んでいた。
 そこへ不意に当麻から、帰国すると、今年は顔を出すとナスティの元へ連絡が入って喜んでいた矢先のことだった。
 ナスティは今年の集まりの確認がてら、皆に当麻の帰国を知らせて回った。楽しみにしていたのだ、2年振りの再会を。
 それなのに、なぜこんなことになったのだろう。今年は五人── ナスティを加えれば六人── 揃うと、あれほど喜んで、楽しみにしていたのに……。





 小さな躊躇いがちのノックの音に、ベッドの傍らに座っていたナスティは立ち上がり、ドアを開けた。
 そこには、かつての光輪の戦士、伊達征士が立っていた。
「征士……」
 ナスティは躰をずらして、征士を病室の内へと促す。
「他の者は?」
「皆、学校の関係でこちらに来られるのは来週になるって。あなたの方はよかったの?」
「似たようなものだが、幸い、試験も終わった後だったので休学届を出してきた」
「そんなことをしてよかったの?」
「祖父は理解してくれたし、学校の方はずっと無欠席で来たから、出席日数的には問題ない。
 それよりこちらの方が気になってな。容態はどうなのだ?」
 その問いに、ナスティは力なく首を横に振るしかなかった。
 二人して当麻の眠るベッドの傍らに立ち、彼を見下ろした。当麻はただ静かに眠り続けている。
「外傷は大したことはないの、軽傷の部類よ。ただ意識が戻らなくて……。傷だけをとってみれば、他の乗客と比べても決して重い方ではないのですって。むしろ軽いくらいだって。だから余程打ちどころが悪かったのか、それとも検査には出ていない何かがあるのか……」
「当麻のご両親は?」
「それが……」
 ナスティは言いにくそうに、それでも言葉を続けた。
「お母さまは、先月から南米に行っていて直ぐには連絡が取れないらしいのよ。お父さまの方も手が離せないからって、今朝、病院宛に速達で当麻を頼むという手紙と小切手が送られて来たわ」
 ナスティの言葉に、征士の形の良い眉が顰められた。
「どんなご両親か、当麻から以前に話には聞いていたけれど……それにしても……」
 ナスティは思わず大きな溜め息をついた。
「これは放任主義なんてものじゃないわ。これでは、当麻が可哀そうよ……!」
「事故の方はどうなっている?」
 当麻の両親の話をしていても、呆れと怒りしか出てこないと思い、征士は話題を切り換えた。
「現在まだ調査中。詳しいことは、うちの顧問弁護士の高橋さんに一任したわ。とにかく補償問題も事故原因の調査が終わってからということになりそうだし。でも、あれだけの事故で死傷者があまり出なかったのは不幸中の幸いね。ニュースの画面を見た時にはもっと多いと思ったもの」
「で、これからどうする?」
「明日の午後、家の近くの病院に当麻を移すわ」
「動かして大丈夫なのか?」
「今の状態が変わらなければ、特に問題はないだろうって。移る先は、個人病院だけど設備は整っているし、お祖父さまの知り合いのところで、何かと融通がきくところだからその方がいいでしょう」
「そういったことはナスティに任せておけば心配はないと、信頼している」
「ありがとう。ああ、ところで今夜の泊まるところは決めてあるの?」
「いや、真っ直ぐここに来たので……」
「ここ、完全看護だから泊まり込みはできないのよね……。ちょっと待ってて。私の泊まってるホテルに聞いてみるから」
 ナスティはバッグから手帳とテレホンカードを取り出した。
「座って待ってて」
 言って、電話を掛けるためにナスティは当麻の病室を後にした。
 征士が来たことで少し安心したのだろうか。最初は疲れ切っているように見えたナスティだったが、僅かに元気を取り戻したように見える。
 征士は先程までナスティが座っていた椅子に腰を降ろし、当麻の顔を見た。
 2年振りの再会が、こんな形になろうとは思ってもみなかった。
「……おまえは私たちにどれだけ心配をかければ気が済むのだ。連絡の一本も寄こさずに、無事にやっているのかと、皆、案じていたのだぞ。その上、漸く会えると思えばこの始末だ。仮にも天空ともあろう者が飛行機事故などと、笑い話にもならんぞ」





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