「遼、最近あんまり元気ないみたいだけど、具合悪いの?」
食事の後、伸は話があるからといって遼を外へ連れ出した。屋内にいるよりは外に出た方が気分が解放されて話がしやすいのではないかと思ったので。
「まだ、この前の妖邪との戦いの疲れが残ってる?」
「そんなことないよ。みんな、心配のしすぎなんだよ」
「君のことだから心配なんじゃないか。遼、何か悩み事でもあるのなら相談してくれないか。それとも、僕なんかには話せない?」
「伸……」
伸に限らず、ナスティも当麻も征士も秀も、そしてまだ幼い純も、みんな自分のことを心配してくれている。
仲間の四人は妖邪との戦いの中で、常に自分を守ってくれていた。そしていつも後悔するのだ。もっと自分に力があったならと。そうすれば皆これほどまでに苦しむことはなかったのにと。
だから、少なくとも他の事で皆に心配を掛けたくはないと思うのだ。これは自分自身のことで、鎧のこととは、妖邪のこととは関係のないことなのだから。けれど誰かに聞いてもらいたいと思っていたのもまた事実だった。
「……たいしたことじゃないんだ。ただ、夢がね……」
「よくない夢?」
漸く話してくれたと思ったものの、遼の口は重い。なんとか話を進めるべく、伸は聞き返し、話を促す。
「ううん。……なんて言うのかな……、平凡な夢だよ」
── 平凡……。
「学生服着てさ、学校に行ってるんだ。授業中に居眠りして、先生に叱られたりしてさ……」
平凡── なんと自分たちから縁遠い言葉だろう。
なんの変哲もない、つまらないとも思える日常生活、それがどんなに大切なものであるか、今は痛いほどに分かる。
己の宿業を識り、鎧を受け継いだその時から、自分たちからそれまでの日常は失せたのだ。
そして一度識ってしまった後は、識らなかった頃へは戻れない。戦いが終わっても、何も知らなかった頃の元の自分に戻ることはできないだろう。自分は、他の人間とは違うのだと、理解ってしまっているから。
皆が何よりも望んでいるのは、平和な生活だ。時には喧嘩をしたり、怒ったり、泣いたり、笑ったり── そんな普通の生活、それこそが望みだ。戦いなど一日も早く終わりにしたい。たとえ昔に還ることはできなくても。
「そんな夢見るとさ、朝起きた時が辛いんだ。あまりにも現実と違いすぎるから……」
そう告げる遼の瞳は遠い。夢の中のもう一人の自分を視ているのか。
「そうだね……、なんとなく理解るよ」 伸には頷くことしかできなかった。おそらく自分もそんな夢を見たら、遼と同じことを思うだろう。どんな悪夢よりも辛い夢になりそうだ。
「けどさ、おかしいんだぜ。夢の中でさ、俺が言ってるんだ。鎧みたいのを着て戦ってる夢を見たんだ、って」
苦笑しながら言う遼に、伸は少しばかりホッとした。少なくとも、遼が元気がないのは躰の具合が悪いためではないのだから。
「おまえさ、この前言ってた夢、まだ見てるのか?」
秀明の、朝起きて最初の台詞がこれだった。
「どうして?」
「夜中、うなされてたみたいだからさ。先週家に泊まった時もそうだったけど、夕べもそうだったろ」
「…………」
「おまえ、一度医者に行った方がいいんじゃないか? 最近おかしいぜ。顔色悪いし、疲れてるみたいだし。あの様子だと、あんまり寝てないんだろ?」
いつになく真剣な表情で秀明が言う。
もともと遼は丈夫な方ではなかった。小さい頃はちょっと風邪をひいただけで一週間近く寝込むこともよくあったほどなのだ。小さい頃から一緒に育ってそのへんことを知っているだけに、心配になってしまう。ましてや遼は一人暮らしも同然なのだから。
「……なあ、秀明、おまえの目に俺はどう映ってる?」
「いきなり何だよ!?」
「ここにいる俺は、間違いなく俺か? おまえの知ってる真田遼か?」
「あたりまえじゃないか。おまえが遼でなかったら、一体誰だっていうんだよ」
こいつ、いきなり何を言い出すんだ、と自分を見つめてくる遼の表情に、秀明は不安になった。
「……あれ、ただの夢じゃないよ。覚えてるんだ、刀を持った感触も、敵を斬った感触も、流した血も……まるで本当にあったことみたいに覚えてる。それに、夢の中でもう一人の俺が話してるんだ。夢見たって、学生服着て学校に行ってって、仲間の一人にそう言ってるんだ。俺がおまえに話してるみたいに話してるんだ。だからもしかしたら今ここにこうしている俺は、俺の夢の中のあいつが見てる夢で、俺は現実には存在してないんじゃないか、俺が夢だと思ってるあいつが現実の俺なんじゃないかって、最近そんな気がして……自分が、分からないんだ……! 俺は一体……」
話しているうちに興奮してきたのか、遼の頬が紅潮している。こんな取り乱し方をした遼は初めてだ。
何をどう言えばいいのだろうと、秀明は迷う。
遼が遼じゃないだなんて、そんなことあろうはずがない。それは自分が、一緒に育ったこの俺が一番よく知っていることだ。
「……なら、俺は何だ? おまえが現実のものでないというなら、俺は何だ?」
「秀明……」
「おまえが夢なら、今ここにこうしている俺も、夢の存在か?」
言いながら、秀明は遼に向かって手を差し伸べた。
「俺は存在しないか?」
秀明の手が遼の頬に触れる。
「俺は今ここにいる、そしておまえもだ。そうだろ、これが現実だ。おまえは、夢なんかじゃないよ」
遼の頬を光るものが伝っていく。
「……秀明……」
── ああ、また泣いて。泣き虫の遼。昔からよく泣いてたよな。飼ってた犬が死んだ時も、おまえの祖母さんが亡くなった時も……。小さい頃は、親父さんが帰ってこないっていっちゃ泣いてた時もあったっけ。いつまでたっても変わらないんだな。同い年のくせして、やけに幼くて頼りなくて……まるで弟みたいだ。そうだな、おまえは俺の弟だよな。だっておまえ、俺と一緒に俺のおふくろのお乳で育ったんだもんな。なあ、こんなふうに昔のおまえを覚えてる俺がいるのに、おまえの存在が夢だなんて、そんなことあるわけないじゃないか。
「誰がなんと言おうと、おまえはおまえだ。俺の幼馴染の真田遼だよ。俺が保証してやるよ」
「まるで夢みたいだ……」
窓から沈んでいこうとしている太陽を見ながら遼はポツリと呟いた。
「なあ、そう思わないか、伸? 今ここにこうしている俺こそが夢だって」
「遼、何を言ってるんだい?」
「この科学技術の時代に、鎧を着て人間以外の物と戦うなんて、これこそがまるで夢のようじゃないか。そう思わないか?」
窓に背を向けて伸に問う。
「でも、現実だよ」
「何が?」
「妖邪との戦いはまぎれもない現実だよ。だから、僕たちサムライトルーパーがいる」
「これが夢でないと、どうして言い切れる? 夢の中であいつも言ってたよ。俺は現実には存在してなくて、俺が見てる夢だって。どっちも俺なのに……。でも、どちらが夢かと聞かれたら、今の俺の方が夢のようじゃないか」
「遼!!」
伸は座っていたソファから立ち上がった。そして遼に近づくと、右手で遼の頬を打った。
「この前話してた夢の続きかい? 気持ちは分からなくもないけど、いいかげんに目を覚ましなよね。今の、痛かっただろう? これが現実だよ」
そう言って伸は遼を残して部屋を出た。
伸に打たれた頬を手でさする。確かに、痛みを感じた。
── でも伸、覚えてるんだよ、俺は。あの夢の中で泣き出した俺を抱き締めて慰めてくれた、林秀明っていったっけ、あいつの温もりも……。あの夢がただの夢とは思えない。本当に、どっちが現実でどっちが夢なんだろう。もう分かんなくなっちまった。もしかしたら今ここにいる俺もあっちの俺も、両方とも夢で、もう一人、全く別の俺がいて、俺たちはそいつが見てる夢だったりとかするのかな……?
── これは夢か……?
── これは現実か……?
── なぜ、俺はここにいる……?
── 俺はここで何をしている……?
── ここはどこだ……?
── 俺は、一体何者だ……?
「遼!!」
「しっかりしろ、遼!!」
「遼、何を考えてる!?」
「遼、今は敵を倒すことを、生き延びることだけを考えて!!」
仲間が自分を呼ぶ。
今、目の前にいるのは、共に生命を懸けて戦う仲間と、そして自分たちを取り囲んだ大勢の妖邪兵たち。
鎧が共鳴する。
「行け! 遼!!」
── 夢か現か、ともに幻か、どちらがどちらなのかもう俺には分からない。けれど少なくとも現在この瞬間は、これが現実。ならば、力の限り戦うのみ。
斬り抜ける!!
「双炎斬───── ッ!!」
────────── …………。
── 了
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