「…………」
「── !」
「……りょ……う……」
「……だ、おい、真田、起きろよ、遼、授業、終わったぜ」
「……ん……っ?」
体を揺すられるのと、何度も自分を呼ぶ声とに漸く彼はつっぷしていた机から顔を上げた。
「んー。授業、終わったって……?」
大きく伸びをしながら、自分を起こしてくれたクラスメイトであり、幼馴染でもある林秀明に聞き返した。
「ああ。先生、何も言わなかったけど、気が付いてたぜ。もっとも、寝てたのはおまえだけじゃないがな」
「……」
「まだ、寝足りないのか?」
今一つ反応の鈍い遼に、顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「……最近、変なんだよな。いくら寝ても寝足りないんだ。夜だって、早めに寝るようにしてんのにさ」
言いながら、欠伸を一つ。
「春眠暁を覚えず、ってやつか? なら、今日は部の方も休みだし、早く帰って寝るこったな」
「うん、そうする……」
放っておけばこのまままた眠ってしまいそうだ。秀明はまだ椅子に座ったままぐずぐずしている遼の鞄を取り上げて急き立てた。教室の中に残っているのは、既に自分たちだけとなっていた。
トントン、と軽くノックの音がして目が覚めた。
「遼、起きてる? ナスティが食事の用意ができたから食べられるようなら持ってくるって言ってたげど」
ドアから顔を覗かせて、伸が告げた。
「ん、分かった。下に降りるよ」
短く応えて、遼はベッドの上に起き上がった。そんな遼を伸は慌てて部屋の中に入って止めた。
「降りるって、まだ寝てなきゃ駄目だよ」
「もう大丈夫だよ、伸」
「無理は禁物だよ。すぐに食事持ってくるから、大人しくしてて。いいね、遼」
伸は子供に言い聞かせるようにして告げると、遼に上着を着せかけて部屋を出ていった。
「……ったく、心配のしすぎなんだよ。俺はもう大丈夫だってのに」
遼は伸の出ていったドアに向かって文句をいいながらも、上着の袖に腕を通した。
ふとベッドの脇に目をやれば、いつものように白炎がいる。自分を心配そうに見上げている白炎に、遼は優しく微笑みかけた。
── ……夢、だよな、あれは。でなきゃ……。
廊下の方からいい匂いがしてきて、遼は思いを巡らせるのをやめた。
「秀明、おまえさ、同じ夢を繰り返し見ることって、あるか?」
昼休み、学校の屋上で遼は柵に背をもたれさせながら、傍らの秀明に聞いた。
「夢、かあ? 俺はないな。他の奴は知らんけど。もっとも、見てても覚えてないことの方が多いから何とも言えねぇけど。それがどうかしたのか?」
「このところ、ずっと同じ夢ばっかり見るんだよな」
「どんな夢なんだ?」
「うん、なんていうのかな、鎧みたいなの着けててさ、戦ってんの」
「時代劇か?」
鎧を着けて戦う── 秀明がその言葉から連想したのは、時代劇などに出てくる戦国時代の合戦のシーンだった。
「違う」
秀明の問い掛けに、遼は思い切り首を横に振った。
「……日本のじゃなくて、ヨーロッパあたり、か?」
他に鎧といえば、昔のヨーロッパ、ぐらいしか思いつかない。歴史は苦手なのであまりよくは知らないが、あっちでも甲冑を身に着けて戦争をしていた時代はあったのだから。
「違う」
またも否定。
「新宿、だと思う。それも今の」
「新宿だって!?」
「高層ビルがあったから。そこで戦ってんの、俺。他に仲間みたいのが四人いて、あと、でっかい白い虎が一緒にいてさ、大勢の、それこそ時代劇に出てくるような、鎧武者ってのか、そいつ等と戦ってんだ」
秀明は新宿の高層ビル── 住友三角ビルや、野村ビル、NSビルやらたくさんの、あいにくとまだ実際に見たことはないが、少なくともテレビや写真などでよく見るあの高層ビル── の前で、今、自分の目の前にいる幼馴染の真田遼が鎧を着けて戦っている図を頭に描いてみた。
しっくりこない。はっきり言ってしっくりこない。どうやったらあの高層ビルと鎧が結びつくというのだ。
遼が自分が何かを言うのを待っているのが分かる。が、何と答えたものか。
「……本当に、新宿なのか?」
考えたあげく、とりあえずもう一度本当に新宿なのか確認しようと問い返した。
「間違いないと思うよ。ほかにも新宿駅とか、えっと、あれなんて言ったっけ、駅前にある、テレビの録画とかで使ってる、スタジオ……えっと……」
「……スタジオアルタ、か……?」
「ああ、そう、それ。出てきたから」
確かに現代の日本の副都心に間違いなさそうである。
いろいろと考えた末に、秀明はやっと一つの結論を導き出した。
「分かった、特撮だ。おまえはきっと自分が主人公になって特撮を撮ってる夢を見てるんだ。そういやおまえ、昔はよく特撮モンのヒーローとかに憧れてたもんな。夢は願望の表れとも言うしな」
結論が出てしまえばどうということはない。こいつらしい夢じゃないかと、妙に納得してしまった。が、
「……それとも違うみたいなんだけど……」
秀明の台詞に眉を寄せながらそう小さく呟いた遼の言葉は、予鈴のチャイムの音と重なって、彼の耳には入っていないようだった。
「遼、駄目よ遼、もう少し休んでなきゃ。さあ、早くベッドに戻って」
阿羅醐を倒したと、多少の不安を残しながらも、それでも平和が戻ったのだと彼らが安心できたのは、ほんの束の間のことだった。
阿羅醐を倒した白い鎧を狙って、五人の前に新しい妖邪が現れた。
そしてその戦いの中、遼は白い鎧の発動により力を使い果たしてしまったのだ。だが、それは他の四人も同じことだった。あの白い鎧は皆の力を吸い取ることによって発動したのだから。
「お願いだから言うことをきいてちょうだい」
「でもナスティ……」
仲間たちの中では自分が一番体力がないとの自覚はある。
発動された力は自分が一番強かったが、それを抜きにしても体力不足は否定できなかった。
そして回復も、自分が一番遅い。
それは十分に分かっている。
ナスティがどんなに心配してくれているのかも。
けれど自分のために傷つき疲れた四人の仲間を思うと、ただ寝ているというのは耐えられない。
「気持ちは分かるけど、今は自分の躰のことだけを考えて。当麻たちにも部屋で休んでもらってるし。だから、ね。皆のことを思うなら、まず躰を治して元気になって、皆に心配を掛けないようにするのが一番でしょ? さ、横になって」
ナスティの説得に、遼はしぶしぶながらもベッドに横になった。
そんな遼に、ナスティは母親が子供にしてやるように布団を掛けなおし、ポンポンと軽く叩いた。
「私、まだ18なのに、まるで母親にでもなったような気分だわ」
「ナスティ! 俺、そんなに子供じゃない、四つしか違わないじゃないか!」
ナスティの呟きに、遼は顔を真っ赤にして叫んでいた。
「そういうふうにムキになるところが子供だっていうのよ。いい子だから大人しく寝てなさい、いいわね。もう少ししたら、何か果物でも持ってきてあげるから」
すっかり子供扱いされたことにふくれながら、遼はナスティの出ていったドアを見やった。
ふと、母親ってこんなふうに子供を構うものなのかな、と考えてみる。
遼には母親の記憶というものがなかった。
物心ついた頃には既に母は亡く、僅かに残された写真でその面影を知っているに過ぎない。
だから日常生活の中でナスティが姉のように、母親のように構ってくれるのに慣れなくて、けれど戸惑いながらもそれが嬉しくて、ナスティの台詞ではないけれど、小さな子供みたいに我儘を言って困らせて、甘えてしまう。
そしてずっとこんな時が続けばいいと、願ってやまない。
「真田」
帰ろうとしたところを、担任の窪田に呼び止められた。
「来週から三者面談があるが、お父さんと連絡は取れるか?」
「……いいえ、すぐには」
遼は力なく首を横に振った。実際、父親が今どこにいるかすら、遼ははっきりとは知らないのだ。
「そうか、弱ったな。いつ頃帰ってくるかも分からんか?」
「この前きた手紙には、もうそろそろ戻るって書いてありましたけど」
カメラマンである遼の父親は、一度出てしまえばいつ戻るかはまるで分からない。
以前は主に植物や動物などの自然を対象に撮っていたのだが、何を思ったのか、二年程前に外国の通信社に入り、今は世界各地を飛び回っている。
「でも、進路のことだったら前から俺の好きなようにして構わないって言ってくれてますから」
自分が好きなことをしているからだろうか。勉強のことにしろ何にしろ、ああしろこうしろと煩く言うことは決してなく、他人に迷惑を掛けたりしなけりゃ、自分のやりたいことをやって構わないと言っていた。
「そうは言ってもな……。それはそうと真田、おまえ、最近授業中の居眠りが過ぎるぞ。夜、ちゃんと寝てるのか?」
「寝てますよ。“寝る子は育つ”って言うでしょ、先生。俺、もっと身長欲しいもん」
「そうか。まあ、寝不足で蒼い顔してるよりはいいが、授業はきちんと聞けよ。でないと後で苦労するぞ。それと、食事もきちんと摂れよ。一人だからっていい加減にしてると躰を壊すからな」
遼の母親は彼が生まれて間もない頃に亡くなり、彼を育てた祖母も数年前に亡くなっている。たった一人の家族である父親も仕事で殆ど家にいることがない。遼は家に帰ると一人きりなのだ。
それを知っているので、窪田はどうしても他の生徒と比べると遼のことをより気に掛けていた。そして遼の方も、窪田が自分を気に掛けてくれているのを分かっていたので、窪田に対してはわりと素直に振舞っている。
「分かってますよ」
「本当に分かってるのか? とにかく、お父さんとなるべく早く連絡を取るようにな。やっぱり一度は直接会って話をしないといかんからな」
「はい」
「引き止めて悪かったな。気をつけて帰れよ」
窪田と別れた後、遼は秀明と待ち合わせをしている裏門へと急いだ。今日は秀明の家で夕食をよばれることになっている。正門よりも裏門から帰った方が近い。
秀明は既に門のところで手持ち無沙汰気味に遼を待っていた。
「秀明、ごめん、遅くなった」
「いい加減待ちくたびれたぜ」
「悪ィ、出ようとしたら窪田先生に呼び止められちまって」
「クボさんに? ああ、そうか。この頃あんまりおまえの授業態度が酷いってんで叱られたんだろ」
「違うよ!」
秀明がからかうように言うのに、遼は思わず反論した。
「いや……、それも少しはあったけど」
一旦否定してから結局は秀明の言ったことを肯定してしまった遼に、秀明がそれみろ、という顔をする。
「……もうすぐ三者面談だろ、それでね」
足元の小石を蹴り歩きながら遼が言う。
「クボさんも熱心だな。なにせ3年の担任の中じゃ一番若いからな、一生懸命なのも分かるけどよ。それにおまえんち、親父さんとおまえの二人きりだもんな。しかもその親父さんは殆ど家にいないときてるし、クボさんとしては心配なわけだ」
「うん……」
「連絡、ないのか?」
「先月、イランから手紙が来て、それっきり。もうすぐ帰るとは書いてあったけどね。ニュースとか見てるとあっちって大変そうだしさ。それになによりあの親父のことだからな、どうなるか分かんないよ」
諦めてるよ、とでも言いたげに遼は言う。
“俺には俺の、おまえにはおまえの人生がある。だから俺はおまえには何も言わない。おまえがしたいと思うなら何をしても構わない。ただ、決して他人に迷惑をかけたり、後悔するような人生を送るな。俺が父親としておまえに望むのはそれだけだ”
遼が小さい頃から、父親はよくそう言っていた。
父親には父親の、自分には自分の── ならば父親がやりたいことができるように、いい子でお留守番してるのも親孝行だよな、などと思っている今日この頃なのだ。
「大変だよな、おまえも。でも、だいたいどうするかはもう決めてるんだろ?」
「近くの公立へ行くよ。私立は金がかかるしな。まあ前に比べりゃ金の心配はなくなったっていや、なくなったけどさ」
父親が通信社に入ってからは、確かに収入は以前に比べればだいぶ安定し、家計のやりくりは楽になった。大学に行きたけりゃ行かせてやる、それくらいの金はなんとでもなるから心配するな、と以前そう言っていたこともあわせて考えると、父親がフリーをやめて通信社に入ったのは自分のためではないかとも思う。
「おまえは?」
「俺もそうさ。問題は、成績だな。俺、頭悪ィからさ」
「……話題変えようぜ。まだ3年になって一ヵ月も経ってないのに受験の話なんかしたかねえ。そのうちイヤでも受験一色になってくのに」
思わず暗くなってゆく話題に、遼は提案した。
「同感。それより、今日は泊まってくだろ? おふくろもそのつもりで用意してるしさ」
「ああ」
「おまえ、いっそのこと家に来いよ。親父もおふくろもいいって言ってるし、その方がおまえの親父さんも安心だろ?」
「そこまで甘えられないよ。それでなくたってしょっちゅう世話になってんのに」
「気にすることないのに。おふくろにとっちゃ、おまえも息子なんだからさ」
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