愛しき日々 【1】




 初めて新宿に集った時に咲いていた桜が、また咲いていた。
 それは、一年もの間、妖邪と戦っていたことを示している。妖邪界と人間界では時間の流れが異なるのだと、頭では理解していたが、満開の桜に、実感として理解した。
 そうして一年ぶりに家に帰った当麻を迎えたのは、年老いて一層小さくなった祖母と、祖父の遺影だった──





「これからどうするの?」
 戦いの傷もようやく癒えた頃、夕食の後、リビングで寛いでいる時にナスティが聞いてきた。
「……家に帰るよ」
「そうだね、帰らなきゃね」
 遼の言葉に、伸が相槌を打つ。
「戦っている間は、家や家族のことなど忘れていたがな。しかし、阿羅醐を倒して役目を果たし終えた以上、家に戻らぬわけにはいくまい」
「それに学校もあるしな。伸を除けば俺たちまだ義務教育期間中だぜ。丸一年休学してたわけだから、もう一回、中三やり直しだな」
「一年、ねぇ……。一年も経ったって感じ、まるっきりねぇんだよな」
「仕方ないよ、あっちとこっちじゃ、時間の流れが違うんだから」
「そのおかげで留年なんだなんて……。大学浪人とか留年とかってんならまだましだけどよ、中学で留年だぜ。クラスの中で一人だけ年上……。あー、やだやだ」
 言いながら、秀は目の前のクッキーを次々と口に放り込んでいく。
 そんな秀の様子に微笑(えみ)を浮かべながら、ナスティが呟くように口にした。
「皆が帰ってしまったら、淋しくなるわね……」
 五人が帰ったら、この広い屋敷の中にナスティ一人になるのだ。たった一人の家族であった祖父の柳生博士を、戦いの最初に亡くしてしまったのだから。
「時々遊びに来るよ。俺んち、横浜だからこん中じゃ一番ここに近いしさ」
「電話するよ。それに、夏休みとかになれば会えるだろう? ナスティが迷惑でさえなければ、また皆でここに集まってさ」
「迷惑でなんかあるわけないでしょ」
 それから気が早いけど、と言いながら、夏休みに集う計画を立て始め、でもその前にゴールデンウィークがあるね、と伸が言い出して、じゃあ、まずはゴールデンウィークに集まろう、と話を進める。
 ナスティは微笑(わら)ってそんな五人の様子を見つめていた。
 やっと妖邪との戦いから解放されたのだ。これで五人とも、普通の生活に、子供に戻れるのだ。
 人間(ひと)の知らないところで、ナスティや純を除けば、他の誰も知らないたった五人だけの戦いを潜り抜け、見なくてもよい物を見、知らなくてもよいことを知り、傷ついて── 。他の子と全く同じ、というわけにはいかないだろうけれど、それでも、やっと普通の生活に戻れる時が来たのだ。
「もう遅いわ、そろそろお開きにしましょう。話の続きはまた明日ね」
 ナスティの一言に五人は席を立って簡単に片づけを済ませ、カップやら何やらを洗おうとしていた伸にも、後は私がやるから、とナスティが告げて、各々、部屋に戻っていった。
「ナスティ」
 シンクの前に立ったナスティに、後ろから小さく声が掛った。
「あら、まだいたの? ここはもういいから部屋に戻りなさい、当麻」
「あのさ……」
「何?」
 洗い物をする手を止め、エプロンで濡れた手を拭きながら、当麻に先を促す。
「俺、もしかしたら高校はこっちの方に出てくるかもしれないんだ。そしたら……、駄目だったいいんだけど、ナスティのところに、ここに下宿させてもらえないかと思ってさ……」
 らしくなく遠慮がちに告げる当麻に、ナスティはクスリと微笑った。
「ナスティ……?」
「ごめんなさい。あんまりあなたらしくない物言いするから。私ならいいわよ。気にしないでいらっしゃい。一人でいるより二人の方が楽しいわ」
「ありがとう」
 ナスティの返事に、当麻ははにかむような小さな微笑みを浮かべた。
「話はそれだけ? ならもうお(やす)みなさい。朝、また起きられないわよ」
「うん、もう寝るよ。お休み」
「お寝みなさい」
 ナスティに促されて部屋に戻る当麻の後ろ姿を見送りながら、ナスティは以前に秀の言っていたことを思い出した。
 あいつは元来、人付き合いの苦手な、臆病な奴だから── と、そう言っていたのだ。



「あいつ、一番最初の人間関係に失敗してるからな。人と付き合うの、苦手な奴だよ。って言うよりも、臆病、なのかな」
 些細なことで言い合いになって、当麻がもうこれ以上は付き合ってられない、とでもいうような顔をして自分の部屋へ引き揚げた後、もう一方の当事者である遼が落ち着いた頃に秀が言い出した。別に当麻を庇うというつもりではなかったのだが、伸の、
「全く、当麻って本当に集団生活に向いてないね。人との付き合い方ってものを知らないんだか、分かってないんだか。とにかく協調性に欠けてるよ。頭が痛くなるね、智将があれじゃあ」
 という言葉に、話しておいた方がいいかもしれないと判断したのだ。
「一番最初の人間関係って?」
── それって、もしかして、親子関係のこと……?」
 ナスティの言葉に秀が頷き、その肯定に残りの三人は思わず眉を顰めていた。
「そう。まあありゃ、完全に当麻の親父さんとお袋さんが悪いんだけどさ」
「ご両親が離婚しているってことは聞いていたけど……」
「あいつ、親父さんの方の祖父さん夫婦に育てられたんだよ。五歳の時だって言ってたかな、引き取られたの。祖父さんからそれとなく聞いた話だから、俺もあまり詳しくは知らねえけど。
 あいつの両親、二人とも仕事優先でさ、当麻のことなんてほったらかしだったわけ。親の温もりが一番必要だった時に、それがなかったんだよな。昼間は通いの人がいたらしいけど、当麻の世話をするためだけにいるわけじゃないし、結局は金で雇われた赤の他人だろ。保育園とか幼稚園とかも行ってなくて、あいつは、本とかテレビとかだけを相手に一人で家にいたような状態だったらしい。あいつんちは、家族でありながら家族じゃなかったわけよ。
 見兼ねて祖父さんが当麻を引き取ったそうなんだけど、その頃にはもう、人に接するってことに対してどうしていいか分からなくなってて、一人で部屋に籠もってたって。普通なら外を駆け回ってるような五つ六つのガキがだぜ。
 その上、あのIQだろ? 大人たちの当麻を見る目ってのが違うわけでさ。学校に上がったら上がったで、同級生たちは変に当麻のことを気味悪がって近寄ろうとしなかったっていうし……。登校拒否症だった頃もあったって言ってた。
 日本の社会ってさ、異質なものを排除しようとするところってあるじゃん。少しでも違うところのあるものって、異端視してさ。で、そんなことの積み重ねで、人と付き合うってことに酷く懐疑的になっちまって。
 俺があいつに初めて会ったの、八つの時だったけど、今にして思えば、本当に子供らしくない子供だった。今だってそうだけどな。
 当麻は両親のせいで── それだけじゃないけど、根本原因はやっぱり両親だな── すっかり人間不信で育ってるよ。必要以上に他人と接しようとはしない。関わりを持つこと自体を避けてるとこがある。人と付き合うってことに臆病なんだよ、あいつ」
 常になく雄弁に語る秀の話を聞いていた残り四人のうちの一人、伸が口を挟んだ。
「……とてもそんな、人付き合いに慣れてなさそうなのは見てればわかるけど、臆病だなんて思えないよ。だって当麻ってば、最初っからなんだかすごい不遜な態度で……」
 伸のその言葉に、遼や征士がそれぞれの出会いの時のことを思い出してか、同意を示すように黙って頷いた。
「今のあいつは、“天空の当麻”であって、“羽柴当麻”じゃないよ。殆ど別人でとおるね。だから俺、ホントにこいつ当麻かって疑っちまったもん。でもよく見てるとさ、時々、“天空の当麻”じゃなくて元来の“羽柴当麻”が顔を出すんだよな。で、あ、やっぱりこいつ変わってねえな、と思うんだ。そん時の当麻の表情って、自信家の智将なんかじゃなくて、ホントはとっても淋しがりやの当麻だよ。あいつ、結構無理してる……。
 俺は皆が好きだし、俺たちは妖邪との戦いのために集まった仲間だけど、できればそれを離れても皆と付き合っていきたいと思ってる。だから当麻のことも、天空としてのあいつだけじゃなくて、本来の当麻のことも知って欲しいんだ。あいつともずっと付き合ってってやって欲しいんだ。あいつの友人といえる存在って、今まで俺ぐらいしかいなかったんだぜ。そんなの、淋しすぎるだろ」
「……いい子ね、秀」
 秀の隣に座っていたナスティは、そう言って秀の頭を撫ぜた。
「ナ、ナスティ……!?」
 ふいのナスティの行動に秀は焦ってしまった。それに意味が分からない。
「とってもよく当麻のこと見てるのね。あなたが私たちよりも当麻のことを知っているのは当然のことだけど……。
 当麻はたった一人とはいえ、最高の友人を持っているのね。そこまで思いやってくれる友人って、なかなかそうはいないものよ。でも、それもこれからはあなた一人じゃなくて、四人になるのよ。遼がいるわ、伸も征士も。出会いのきっかけはどうあれ、あなたたちは最高の友人になれると思うわよ。そうでしょ、皆?」
 見渡しながら問い掛けるように告げるナスティに、もちろん、というように皆が頷きあう。
「とりあえずは一段落したことだし、皆がお互いのことを知るにはいい機会だわ。今暫くはまだ気を抜くわけにはいかないけど、でも時間はできたわ。色んなことを話して、時には喧嘩して……、そして理解しあって、いい友人、ううん、親友って言える関係ができればいいわね。その中に私も加えてもらえると、私としてもとっても嬉しいんだけど」
「そんなこと決まってるじゃないか、ナスティ」
「そのとおりだ。ナスティも私たちの大切な仲間だと思っている」
「俺、ナスティといると姉さんといるみたいで、とても安心できるんだぜ」
「そうだね、ナスティは僕たち皆の姉さんだね」
 口々に言う四人に、ナスティは零れるような微笑みを浮かべた。
「ありがとう、嬉しいわ。一人っ子だった私に、一度にこんなに素敵な弟たちができるなんて、最高ね」



 最初に阿羅醐を倒した後のほんの束の間の団欒の時、そんなふうに話し合ったことがあった。
 あの時、秀は最後に、自分がこんな話をしたことは当麻には内緒にしといてくれよ、と口止めをした。あいつは自分のことを他人に詮索されたり知られたりするのを極端に嫌うからと。
 秀のその台詞に、じゃあそんなところから直してやらないとね、と言って笑い合った。
 それからほどなく、再び妖邪との戦いに巻き込まれてしまい、今度こそ間違いなく阿羅醐を倒して、そして今日に至るのだが──
 あんなふうに遠慮がちに話し掛けてくる当麻など初めてのことで、智将天空の片鱗も見えなかった。ではあれが、“天空の当麻”ではなく、本当の“羽柴当麻”なのかしらね、と思う。本当の自分を見せてくれたのかしらと。ならばそれだけ、当麻は自分を信頼してくれているということなのかしら。それに、もう無理して“智将天空”でいる必要はないんだものね。
 そう思うと、ナスティはなんとなく嬉しくなった。





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