眠っている間、夢に見ていたのは封印によって失っていた記憶。
アリオスとの出会い、共に過ごした旅の中でのあれこれ、突然突きつけられた真実と、そして最期── 。
怒涛のように押し寄せた記憶── 事実と、そしてその時々の自分の感情── に、目覚めた時には呆然としていた。
腕には、レヴィアスを刺し貫いた時の感触まで蘇っている。
思い出そうなんて、考えなければよかったのだろうかと、そんな考えが過る。
わなわなと震える両手をじっと見詰めながら考える。どうしたらいいのかと、どうすべきなのかと。
そうして暫くそのままでいたオスカーの頬を、一筋の涙が伝う。
もう終わりにしよう。
自分たちの関係は、あの旧き城砦の惑星で終わったのだ。レヴィアスが死に、そして自分が死に損なったあの時に。
そう決めて───── 。
◇ ◇ ◇
「本気なのか、オスカー?」
オスカーは再度繰り返し確認するアリオスを、静かに見上げ、そして告げる。
「おまえとは、もう会わない」
「オスカー……」
信じられないと、アリオスは目を見開いてオスカーを見詰め返した。
確かに、記憶を取り戻したらあるいはと、不安に思いもした。自分から離れていこうとするかもしれないと恐れた。だがそれでも、記憶のなかった時ですらあれ程に自分を求めてくれたことを思った時、きっと自分の手を取ってくれるものと、今度こそ一緒にいられると心の内のどこかで信じていたのだ。なのに── 。
「なぜだ? どうしてっ!?」
自分がオスカーを求めるように、オスカーも確かに自分を求めてくれていた。それなのになぜ? 疑問だけが浮かんでは消えていく。
「……終わったんだ、俺たちは」
あくまで冷静に静かに告げるオスカーに対し、アリオスは逆に焦燥に駆られてゆく。
「終わった? 一体何が終わったって言うんだっ!?」
そう叫びながら、アリオスはオスカーを押し倒した。
真上から自分を見下ろすアリオスに、オスカーは僅かに視線を反らし、その瞳を閉じた。
見たら駄目だと、そう思うから。
今アリオスの瞳を見たら、きっと引き摺られる、決心が鈍ると分かっているから。
「答えろよ、オスカー! 一体何が終わったって!? 俺は今でもおまえを求めてる。記憶のなかった間ですら、ずっとおまえを捜してた。それはおまえだって同じだったはずだ。違うとは言わせない! なのに、どうして終わりだなんてそんなことを言うんだっ!?」
「……否定は、しない……」
否定など、できようはずがない。確かに求めていた、捜していた。
記憶のない間、それが何か分からぬままに、だが確かに何かが足りなくて、もどかしかった。そしてアリオスと出会って、その何かがアリオスなのだと分かったけれど。
「だが、もう終わりにしたいんだ」
瞳を閉じたまま告げるオスカーに、アリオスは拳を握り締めた。
「……そんなこと、認めない……」
声を震わせながらそう返す。
「俺は認めない! 終わりにする気はない!!」
そう叫んでオスカーの着ているシャツに手を掛けると、思い切り左右に引き裂いた。その勢いに幾つかの釦が弾け飛ぶ。
そのまま顕わになった胸元にアリオスは唇を落とす。
「んっ……!」
オスカーは小さく一つ呻いて、強く目を瞑るとシーツを掴んだ。
「……抱きたいなら、抱けばいい。けど、……これが、最後だ……」
躰を硬くして、震える声で宣告する、最後だと。
それに、アリオスは動きを止めて顔を上げた。
「……本当に、本気なのか……?」
睨み付けるように再びオスカーの顔を見下ろしながら、アリオスはその躰の線に添わせて掌をゆっくりと撫で下ろした。
「……っ!」
オスカーが息を呑むのを認めて、唇の端を上げて嘲るような笑みを浮かべる。
「こんな躰抱えて、一人でどうするって?」
その物言いに、オスカーは唇を噛み締めた。
「他の男に慰めてもらうのか? もっとも、お前が俺以外の他の奴で満足できればの話だが」
オスカーは閉じていた瞳を開けてキッとアリオスを睨み上げた。
誰にでも躰を開くと思っているのか、男なら誰でもいいと。
そんなことはない。
許すのも、欲しいと思うのも、唯一、アリオスだけだ。
「手近なところで、あの偉そうな金髪野郎あたりか?」
「アリオスッ!」
「教えてやろうか、オスカー。あいつはな、俺がこのアルカディアにいると分かった時から、俺にずっと監視を付けてたんだぜ」
「ジュリアス様が、おまえを……?」
怒鳴りつけようとして、しかし続いたアリオスの言葉に、オスカーは眉を顰めた。
しかし、考えてみれば守護聖の首座であるジュリアスの取る行動としては当然のことと納得する。相手は仮りにもかつての侵略者だったのだから。
「記憶が戻らない間は、てっきりあの女のためかとばかり思ってたんだがな」フッと嘲笑って「おまえのためだったとさ」
「……お、れ……?」
呆然と、オスカーは聞き返した。
「そう、おまえのためさ。俺とおまえを会わせないためにな。けど、あいつもバカだよな、魔導を操る俺に監視なんて、無駄に終わるのが目に見えてるってのによ」
「ジュリアス様が、俺のために……?」
記憶をなくしてからの自分を、常に気遣ってくれていたジュリアスが思い起こされる。
あの時からどれほど心配を掛け続けたのだろうと考えると居た堪れなくなる。だから早く記憶を取り戻して、元の自分に戻って、もうそのように気に掛けていただくにはおよばないのだと安心させたかったのに。
「俺におまえと会うなと言った時のあいつ、必死の形相してたぜ。案外あいつ、本音じゃおまえのことを自分のものにしたいんじゃねえのか? いっそのこと、あいつに縋ってみるか? 俺の代わりに抱いてくれって。喜んで抱いてくれるかもしれねえぜ」
「やめろ、アリオス! それ以上ジュリアス様を愚弄するな!!」
叫んで、オスカーはアリオスの頬を小気味いいほどの音を立てて叩いた。
「ジュリアス様はおまえとは違う! あの方は……!」
避けることもしなかったアリオスは、頬を赤く腫らしたまま瞳に剣呑な光を浮かべて、上げられたままのオスカーの腕を掴むと寝台に押さえ付けた。
「……アリオス……」
「ジュリアス様、ジュリアス様! って、そんなに奴が大事か!? 奴がいいのか、俺よりもっ!? それとももう奴に抱かれたのかよ? だから俺とのことを終わりにするってのか?」
「そんなことは言ってない! 俺はもう……」
再び瞳を閉じて、オスカーは顔を歪めた。
「もう……誰にも抱かれる気はない、誰のものにも、ならない……。おまえのことは、忘れる……」
「忘れる……? 忘れられるのか?」
「……いざとなったら恥を忍んで陛下のお力にお縋りしてでも……」
忘れている間、アリオスと出会う前は、何の問題もなかったのだ。何かが足りないと、その焦燥感は免れなかったが、それでも堪えられた。
アリオスのことを忘れて、出会う前に戻って、そうしたら、大丈夫、一人でも生きていける。時が経てば、いつか忘れていることも忘れられるかもしれない。
オスカーのこめかみを一筋の涙が伝う。
「……なぜだ、どうしてそこまで俺を拒絶する? 俺にはもうおまえしかいないのにっ!!」
オスカーの躰を抱き締めて、アリオスはその肩口に顔を埋めた。
「俺を、一人にしないでくれ、オスカー……」
思わず肩を震わせるアリオスの背に腕を回しそうになって、だがその言葉に、その動きを止めた。
「……先に、俺を一人にしたのはお前じゃないか……」
「オスカー……?」
アリオスはオスカーの言葉に思わず伏せていた顔を上げた。
「あの時……」
あの時── 最後の戦いの時のことを思い出し、唇が戦慄くのを止められない。記憶を思い出したと同時に蘇った感触も、まだ消えずに残っている。
「あの時、俺はおまえと刺し違えるつもりだったのにっ!! なのに、おまえはあれだけ散々俺を離さない、自分のものだって言っておきながら、一人で勝手に死んで……」
オスカーの告白に、昨日ジュリアスから告げられた言葉が蘇る。
『あれは、そなたの後を追おうとしたのだ』
「そうして俺は、おまえの後を追うこともできずに死に損なって、陛下やジュリアス様や、皆に心配かけながら、未だに生き恥を晒してる……」
溢れ出る涙を止めることも拭うこともせずに、続ける。
「この前だって、また来るって言いながら全然来なくて……。俺は、待ってたのに、馬鹿みたいに、おまえの言葉を信じて待ってたのに、なのにおまえはアンジェリークと楽しそうに会ってたんだ。それを見た時の俺の気持ちが分かるか? 俺がどんな思いをしたか、分かるかよ……。おまえはいつだって自分の気持ちを押し付けるだけで、俺の気持ちなんか、考えたこともないんだろう?」
「オスカー、それは違う、オスカー……」
涙を流しながら胸の内を告げるオスカーに、アリオスは自分の気持ちをどう伝えたらいいのかと、考えを巡らせる。
言葉で伝えるのは苦手だから、どう言えばいいのか分からなくて── 。
「……おまえの言葉が信じられない。きっとまたいつか、おまえは俺を置いて一人で行っちまうんだって不安が拭えない。それに俺は、俺たちはいずれ元の宇宙に、聖地に還る。そうしたらどのみちおまえとはそれきりなんだ。だったら、堪えられなくなる前に、今のうちに終わらせた方がいい。もう、あんな思いはしたくないんだっ!」
アリオスに対する自分の気持ちを否定する気はない。一緒にいたいと思っているのは紛れもない事実だ。
だが、アリオスといればいるほどに、自分が自分でなくなっていく。弱くなっていく。強さを司る炎の守護聖だなんて思えないほどに。
このまま共にいて、いつかアリオスが自分から離れていこうとしたら、行かないでくれと縋り付いてしまいそうな気さえする。そんなことは認められない、そんな自分は認めたくない。
だから、終わりにする、忘れる、そう、決めた。
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