Trost 3 【Vollendung - 13】




 女王はこれ以上話すことも聞くこともないとジュリアスに言いおいて、それからジュリアスの後ろに控え、ずっと黙って女王とジュリアスの遣り取りを見守っていたヴィクトールに視線を流して名を呼んだ。
「ヴィクトール」
「はっ」
「今回の件では、貴方にも色々と気を遣わせてしまったようですね。申し訳ありませんでした」
「いえ、そのようなことは。ただ、オスカー様のことが気掛かりでならなかっただけです。この前の時は、気が付いていながら何もできませんでしたから」
 女王の言葉に畏れ多いと頭を下げつつ、後悔を口にする。
 そんなヴィクトールを女王は微笑みながら見やった。
「これから後のことは本人たちの問題です、回りの者が余計な口出しをすることではないでしょう。けれど、もしオスカーが何か悩んでいるようなことがあったら、その時は相談に乗ってあげてくださいね」
 無骨者と言われるヴィクトールだが、それでもこういった事柄は、全てを知っている数少ない者の中では、ジュリアスよりも相談相手としては適任だろうと思うのだ。同じ軍人同士、普段から話が合うことも多いと聞いている。
「これで話は終わりましたね。では下がりなさい。貴方方のお陰で今日はゆっくりお茶を楽しむこともできないでいるのよ」
 その言葉に恐縮し、退室を促されて、ジュリアスとヴィクトールは一礼すると静かに部屋を後にする。
 肩の力を落とし、項垂れた様子で出て行くジュリアスの背を見送りながら、女王は誰に言うともなく呟いた。
「……あんな保護者がついてたんじゃ、アリオスもこれから苦労するわね」
「保護者って、ジュリアスのことですの?」
 それまでじっと黙って控えていたロザリアが耳ざとく女王の呟きを捉えて確認するように聞き返す。
「もちろんそうよ」
 年頃の少女の笑顔を見せながら女王は頷いた。
「大切な娘をどこの馬の骨とも分からない男に持っていかれそうになって、必死に二人を引き離そうとしている父親── そんな感じしない? 昔、近所にあんな感じの人がいたのよね。その人のことを思い出してしまったわ」
「……それって、オスカーがジュリアスの娘っていうこと?」
 笑みを浮かべながらのロザリアの問い掛けに、女王は思わずプッと噴出し、そのまま声を上げて笑い出した。それにつれてロザリアも声を上げて笑い出し、二人はそうやってひとしきり笑い合う。
 そうして今度こそゆっくりお茶の時間をと、新しく淹れ直した紅茶を女王の前に置くロザリアの腕を取った。
「……私はね、オスカーとアリオスの関係については、どうなっても構わないの。さっきジュリアスにも言ったけど、あくまでオスカーが決めることだから、オスカーの望むようにしたらいいと思ってる。ただ私が願っているのは、オスカーが一日も早く元の彼に戻ってくれることなの」
 そう、私の好きになったあの人に早く戻って欲しい、それだけ── そう心の中で呟きながら、隣に腰を降ろしたロザリアの肩に頭を預けた。
「アンジェ……」
 ロザリアは名を呼びながら、告白をすることもないままに自分の恋に終止符を打った大切な親友の髪を優しく梳いてやった。


◇  ◇  ◇



 私室の窓辺から、オスカーはすっかり暗くなった外に視線を向けた。
 自邸に戻ってからずっと、ヴィクトールから聞き出した話を頭の中で反芻している。
 どうしても信じられないのだ。本当に自分があんな行動をとったのかと。
 そしてそれが事実であるなら── いや、事実に違いはないと承知しているが、自分はこれからどうしたらいいのかと思い悩む。
 アリオスとの関係に、どう決着をつけるべきなのかと。
 そしてそれを決めるためにも、やはり事実を事実として受け入れるためにも記憶を取り戻すことが先決なのだろうと思う。自分が何を思い何を考えていたのかを知るために。それを知らなければ結論を出せないと思う。それ故に、無礼を承知で女王を訪ね、封印の解放を願い出たのだから。
 この俺が、こんなものに頼る羽目になるとはなと、そう自嘲の笑みを浮かべながら、手にした錠剤に目を落とす。
 戻る途中、薬屋に立ち寄って購入してきた睡眠薬だ。薬に頼りでもしなければとても眠れそうになくて、目に付いた店で手に入れたのだ。
 暫く黙ってその錠剤を見ていたが、決心したように口の中に放り込み、グラスの中の酒と一緒に喉に流し込む。
 そして残った酒を一息に呷って、それから寝台に身を横たえた。



 その頃、ジュリアスは自室で一人眠れぬ夜を過ごしていた。
 明日の朝には── 女王の言葉が脳裏に繰り返し木霊する。
 全て女王の言うとおりだと、頭では分かっている。しかし分かっていても、どうしても受け入れることができない。
 また、明日の朝、全てを思い出した後のオスカーがどういう行動に出るのか、気掛かりでならない。不安でならない。もし万が一、あの時の繰り返しになったならと、その疑念が拭えない。
 そうしてジュリアスらしくもなく、酒を片手にまんじりともせずに一夜を明かすことになる。



 そしてここにも眠れぬ夜を過ごそうとしている男が一人いた。
 オスカーの私室の窓の下、アリオスは灯りが消えるまでじっと窓辺に立つオスカーのシルエットを見上げていた。
 昼間ジュリアスから聞かされた事実は、アリオスに大きな衝撃を与えた。
 オスカーは誰よりも強い男だと思っていた。強さを司る炎の守護聖だからというだけではなく。
 その強さが欲しかった。何よりもそれを自分のものにしたかった。
 なのにそのオスカーが、自分の後を追おうとしたという事実。そしてそれに留まらず、自分のために狂ったという事実。
 信じられなかった。オスカーにそんな弱いところがあったなんて知らなかった。知りたくなかった。
 自分が彼を変えてしまったのだろうか、追い詰めたのだろうか。
 自問自答する。
 強さが欲しかったのなら、弱い彼を欲することはないのか? 脆い面をも持つ彼を想うことはできないか?
 答えは、否。
 自分の後を追って命を絶とうとしたオスカーに、そして狂ってまで自分を求め続けてくれたオスカーに、愛しさは増すばかりだ。
 強さだけを求めたのではない。彼という存在そのものを欲したのだ。誰の変わりでもなく、ただ彼ゆえに。欲しいのは、オスカーだけだ。
 そして強く思う。
 早く思い出してくれと。
 だがそう思う一方で、恐かった。不安だった。
 自分のことを思い出したオスカーが果たしてどんな態度を取るのか、それが読めなくて──
 アリオスは部屋の明かりが消えて暫くしてから、バルコニーに身を移した。そこから中の様子をそっと窺う。
 静かで、物音一つしない。
 そのまま中に移動しても、既に眠りについているなら、オスカーに気取られぬ自信はあった。
 だが、それはするべきではないと思った。今夜だけは、それをしてはならないと。
 壁に身を凭れさせ、そのまま腰を落とす。
 そうして眠っているであろうオスカーを思いつつ、アリオスはそのまま一夜を明かすことにした。
 せめて彼にもっとも近いところでと──


◇  ◇  ◇



 夜が白み始めて、アリオスは立ち上がると軽く伸びをした。
 ずっと同じ姿勢で座っていたために、体が強張っている。
 それから軽く目を瞑って深呼吸をしてから、部屋の中の様子を窺う。
 まだ静かだった。
 オスカーはまだ目覚めてはいないのだろうか。
 そう思いながらも、アリオスはオスカーの寝室の内にその身を移した。
 まだ薄暗い室内の中、目を凝らせば、寝台の上に半身を起こしたオスカーの姿を確認することができた。
「オスカー……」
 じっとしたまま身動ぎもせずにいるオスカーに、アリオスはらしくもなくそっと遠慮がちに声を掛けた。
 答えは返らない。振り向きもしない。
 もしかして聞こえていなかっただろうかと、近付いてもう一度名を呼ぼうと口を開いた時、オスカーの呟くような声が聞こえた。
「……思い出さなければよかった……」
「オスカー!?」
 オスカーの言葉に、アリオスは名を呼びながら傍らに駆け寄った。
「いや、違う。会わなければよかった。再会したのが間違いだったんだ。二度と会うべきじゃなかった……」
 アリオスは自分を見ることもなくただ淡々と告げるオスカーの肩を掴んで無理矢理振り向かせる。
「オスカー、本気でそう思ってるのかっ!?」
 一度アリオスの顔を見てからオスカーは薄蒼の瞳を閉じた。





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