Trost 3 【Vollendung - 12】




「あんなにあっさり行かせないで、もう少し苛めてやればよかったかしら……」
 アリオスの消えたところをじっと見詰めながら呟かれた女王の言葉を、ロザリアは聞き逃さなかった。
「苛めるって、陛下……」
「だって」自分より僅かに背の高いロザリアをどこか拗ねた子供のような瞳で上目遣いに見上げて「私の大切なものを奪っていくのよ? 少しくらい苛めてやりたいって思っても当然だと思わない?」
「それって、先程も思いましたけど、二人の仲を認めるってことですの?」
「必ずしも、そういうことではないのよ」
 軽く小首を傾げながら答える様は、女王というよりも、年頃の普通の少女と何ら変わるところはない。
「私ね、オスカーが好きだったの。ううん、今も好き」
「……ランディじゃなかったの?」
 驚いたようにロザリアは目を見開いて尋ねた。
 女王候補だった頃、毎週とはさすがにいかなかったが、日の曜日になるとよく二人で会っているのを見掛けた。だからてっきりアンジェリークはランディに対して好意を持っていると、ロザリアに限らず当時飛空都市にいた者は思っていたものだ。
「違うわ。育成の相談にのってもらっていただけよ。ランディは、私に好意を寄せてくれてたみたいだったけど」
 軽く首を横に振って否定して、それから女王はその頃を懐かしむような表情を浮かべながら話し始めた。
「最初はね、すごく嫌だったの。初めて会った時から、私のことをからかってばかりいて、なんて人なんだろうって思ってた。でもそれは緊張で堅くなっていた私をリラックスさせるため。その後だって、私を元気付けるため、私の負けん気を煽るためだって分かってから、彼を見る目が変わって……、気が付いたら、彼に恋してた。でも、彼の回りにいるのは大人の女性ばかりで、私は彼にとっては女王候補のお嬢ちゃんで、恋愛対象にはなりえなかった」
 ロザリアは黙って女王の、いや、大切な親友の告白を聞いていたが、立ったままでいる女王にソファに座るように促した。
 それに応じながら、女王は一人の少女に戻って告白を続ける。
「そのうちに、私が女王の指名を受けたでしょう? その時に思ったの。平均すると、女王と守護聖では守護聖の方が在位期間て長いじゃない?」
「ええ、確かに」
 それが一体何の関係があるのかしらと訝しみながら、再度女王の向い側に腰を降ろしたロザリアは頷いた。
「だから、半分賭けみたいなものだったんだけど……。女王でいる何年かの間にうんと素敵な大人の女性になって、私が退位する時にオスカーがまだ炎の守護聖としていたら、そしてその時に彼がまだ一人身で、私の彼への気持ちが変わってなかったら、その時、自分の気持ちを彼に告白しようって、そう決めたの。だのに、それなのに……」
 そこまで告げて俯いてしまった女王の肩が震えているのに、ロザリアは気が付いた。そして胸の下、握り締められた両の拳が震えているのにも。
「……アンジェ……?」
「なのにっ! 後から現れた、しかも男なんかに掻っ攫われるなんてっ! 悔しい── っ!!」
 いきなりそう力を込めて叫んだ親友を、ロザリアは呆気にとられたように見詰めるしか出来ない。
「……だったら、何であんな二人の仲を認めるようなことを言ったの?」
 既に女王と補佐官の会話ではない。だからロザリアの口調も、補佐官の女王に対するものではない。だが今はそれでいいと思うのだ。
「……必ずしも認めたわけでは、ないのよ……」
 拗ねたような、そしてまたどこか寂しげな眼差しを向けながらロザリアの疑問に答える。
「オスカーがアリオスといたいというなら── 、たぶんオスカーはアリオスを選ぶと思うんだけど、それはそれで仕方ないと思うの。でもね、もし、オスカーがアリオスといることで不幸になるようだったら、私、その時は認めない。絶対に認めてなんかやらない。私がアリオスに言った『オスカーを不幸にしたら許さない』って、そういう意味なのよ。だからアリオスがどうしてもオスカーといたいっていうなら、何としても彼を幸せにしてもらわなきゃ!」
 そう力説するように告げる女王を、ロザリアは何とも言えない表情で見やりながら、確認するように聞いた。
「アンジェ、貴方、それでいいの?」
「……だって、たとえ自分のものにはならなくても、好きな人には幸せでいて欲しいじゃない? そしてね、これからうんと素敵な女性になって、いつか想いを告白して、オスカーを悔しがらせてやるの、惜しいことをしたって」
 見ている方が切なくなるような微笑みを浮かべながら答える親友に掛ける言葉が見つからなくて、ロザリアはただ、そうね、と頷いた。
 その時──
 重厚な扉の外、なにやらざわめきが聞こえてきた。
 何事かしらと思ってロザリアが腰を上げて扉の方に顔を向けると、開いた扉から女官長が顔を見せた。
「お寛ぎのところを申し訳ございません。光の守護聖ジュリアス様と、精神の教官ヴィクトール将軍が至急陛下にお目にかかりたいとの仰せで見えておられますが、いかが……」
 女官長が最後まで告げ終える前に、彼女を押しのけるようにしてジュリアスとヴィクトールが姿を見せた。
「非礼の段は充分承知の上だ。だが何としても大至急陛下にお目にかかりお話しせねばならぬことがあるのだ」
 アリオスが去った後にやってきたヴィクトールから、オスカーが自分の記憶が女王の力によって封印されていることを知った後で姿を消したと聞き、慌てて女王の元へとやってきたのだった。
 そして女王への謁見を必死の形相で告げるジュリアスに、ロザリアはどうしましょうという顔で女王を振り返る。
「……女官長、貴方はもう下がっていいわ。ジュリアス、ヴィクトール、貴方方はこちらへ」
 ソファに座ったままそう声を掛ける女王に、女官長は頭を下げて扉を閉め、そして残されたジュリアスとヴィクトールはほっとしたように女王の元へ歩み寄る。
「貴方らしくもないことね、ジュリアス」
 女王の傍らに立ってそう声を掛けるロザリアに、ジュリアスはこれまた彼らしくもなく何も答えぬまま、女王の前に跪く。
「このように手順も踏まずに突然お伺いしましたこと、深くお詫び申し上げます。ですが……」
「ああ、いいわ、分かっています」
 女王はジュリアスに最後まで言わせることなく、そう返した。
「陛下?」
「オスカーとアリオスのことで来たのでしょう?」
「はい、そのとおりですが、どうしてそれを……?」
 疑問を浮かべるジュリアスに、女王は微笑を浮かべた。
「だって、オスカーもアリオスもここに来たんですもの。もう少し早かったら、アリオスと鉢合わせしていたところだわ」
「オスカーだけではなくアリオスまでっ!?」
 ジュリアスは己の迂闊さを呪った。アリオスに事実が知れた以上、アリオスが女王の前に現れるのは簡単に予測しえたことであるのに、考えもしなかった自分の迂闊さを。
「そ、それで陛下、二人は……」
「オスカーの封印は解きました、アリオスにもそう告げたわ、明日の朝には全て思い出しているはずだと」
「陛下っ!?」
 女王の言葉に、ジュリアスは立場も忘れて思わず非難の目を向ける。
 ジュリアスとしてはオスカーの封印を決して解いて欲しくなかったのだ。たとえオスカー自身がそれを望んだとしても。
「オスカーの記憶はオスカーのものです、他の誰かがどうこうしていいものではありません。あの時はああするよりないと思い、貴方が言うようにオスカーの記憶を封じましたが、いつかは解くつもりでいました。それに、彼は記憶がないことに不安を持ち、焦燥を募らせていました。あれ程に思い詰めたような眼差しで請われて、どうして拒めるでしょう。」
「陛下の仰られることは分かります。ですが、ですが記憶を取り戻したオスカーが万が一……」
 呻くように、不安なのだと、心配なのだと告げるジュリアスに、女王は溜息を零した。
「つまり、貴方はオスカーがまたあの折りのようになるのではないかと心配しているというわけですね。では聞きますが、オスカーはそれほど弱いのですか?」
 頭を項垂れていたジュリアスは、女王のその問い掛けにはっとしたように顔を上げた。
「いいえ、オスカーが弱いなどとそのようなこと……!」
 言いかけて、だが言葉を飲み込んだ。
 オスカーは強いと、そう思っていた。それは肉体的にだけではなく、精神的にも。しかし思ってもみなかったオスカーの意外な脆さを目にした後で、完全に女王のその問いを否定しきることができない。
「貴方がオスカーを心配する気持ちは分かります、それは私とて同じことです。ましてやあのようなことのあった後なのですから。けれど、オスカーは保護者が必要な幼い子供ではないのですよ。オスカーのことはオスカー自身が決めることであって、他人の私たちがどうこう言うべきことではありません。もちろん、彼から相談を持ちかけられたような時はそれに応じてあげるべきでしょうけれど。違いますか、ジュリアス?」
「……」
 女王の言うことは分かる。そしてそのとおりだと思う。
 しかしジュリアスの脳裏には狂ってしまったオスカーと、それをただ見ていることしかできなかった自分の姿が(よぎ)って、女王の言葉に素直に頷くことができない。
「私はオスカーを信じます、炎の守護聖である彼の強さを。明日の朝には、彼の記憶は全て戻っています。その後どうするかは全てオスカー次第です」
「……陛下。陛下は……もしやあの二人を……」
 どこかジュリアスを突き放すように告げられた女王の言葉に、ジュリアスは恐る恐る問い掛ける。
 あの二人の仲を認めるおつもりなのですかと。
「二人が互いに互いを望むなら、認めるも認めないもないのではありませんか?」
 何でもないことのようにあっさりと返す女王に、ジュリアスは目を剥いた。
「馬鹿なっ!! オスカーは陛下にお仕えする守護聖です。その守護聖が、ふしだらにも、に、肉欲に溺れ……!」
「ふしだら? 人を想うことが、愛することがふしだらなことなのですか? 男同士だから? 人を愛するのに男も女も関係ないでしょう? 守護聖だから人を愛してはいけないとでも? 守護聖といえど人であることに変わりはないではありませんか。それとも、貴方は人ではないとでも言うのですか?」
 女王の問い掛けに、ジュリアスは苦渋に顔を歪めながらも、しかし認めることはできないと言い募る。
「陛下の仰られることは分かります。分かりますが、相手が悪すぎます! 相手はあのアリオス、かつて我々の宇宙を侵略し、陛下に害をなそうとした皇帝レヴィアスなのですよ!? 陛下にお仕えし陛下をお守りするべき立場にあるオスカーが、よりにもよってそのような男に……」
「ジュリアス!」
 それ以上聞く気はないとばかりに、女王は声を荒げてジュリアスの名を呼ばわった。
「貴方の言いたいことは分かりました。ですが、先程も言ったように決めるのは貴方でも私でもありません、オスカー自身です。これ以上の口出しは無用です」
「陛下……」
 きっぱりと言い切る女王に、ジュリアスは返す言葉を持たない。そこまで言われてどうして女王に逆らえるだろう。
「それとアリオスですが、もう彼は以前の皇帝レヴィアスであった時とは違います。案じることはないと思います。……決してオスカーを不幸にはしないと約束させたし……」
 最後の方はジュリアスに、というよりも自分自身に言い聞かせるように、幾分俯きながら女王は呟いた。
 それから何かを振り切るように軽く頭を振ってからジュリアスに視線を移す。
「この話はここまでです。もうこの件で貴方と話すことはありません」





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