Trost 3 【Vollendung - 11】




「アリオス、何をしにきた」
 アリオスを睨みつけるように真っ直ぐに見詰めながらジュリアスは問うた。
「あんたに、聞きたいことがあってな」
 答えながらアリオスはジュリアスに近付いていく。
「私に聞きたいことだと?」
「そうだ。あんた、いや、あんた等、なのかな。オスカーに何をした?」
「何っ?」
 ジュリアスはアリオスの問い掛けに眉を寄せた。
 ジュリアスの前に立ったアリオスは、なおも問いを重ねる。
「あいつは記憶を()くしてる。それも、俺に関してだけだ。いくらなんでも俺のことだけってのは、不自然じゃねぇか。一体、オスカーに何をした?」
 オスカーのことを問うてくるアリオスに、ジュリアスは動転した。既に二人は出会っていたのかと。
「……アリオス、もしやそなた、既にオスカーと……」
 震える声で確認するように問うジュリアスに、アリオスは意地の悪げな笑みを口元に浮かべた。
「ああ、会ってたぜ」
 答えながら、ああそうか、と納得する。
「あれは、あんたの仕業か。最初はあの女のための監視かと思ってたが、そうか、俺とオスカーを会わせないためにあんたがやったってわけだ。あんたの大事なオスカーのために」
 言いながら嘲るような笑みを向け、さらに続ける。
「だが残念だったな。あんな監視なんか何の役にも立ちゃしねえよ。俺は魔導の力で、いつどこへでも行けるからな。それに第一、あいつは俺のものだ。とっくに抱いちまったよ」
 怒りに、ジュリアスは拳を握り締めた。
 間に執務机がなかったら、ジュリアスは彼らしくもなくアリオスを殴りつけていただろう。
「それよりも、俺の質問に答えてもらおうか。あいつに何をした?」
「何をした、だと? 何かしたのは、そなたの方であろうがっ! そなたがオスカーを惑わせたのだ、そなたがあれを、変えたのだっ!!」
 握り締めた拳が震えるのを、ジュリアスは止めようがなかった。
「あれほどに強く、誇り高く、自信に満ち溢れ、炎の守護聖に相応しい男はいない。そのオスカーを、そなたが変えたのだ! あれのあのような姿を……」
 思い出し、苦渋に顔を歪めながら唇を噛み締める。
 そんなジュリアスの様子にアリオスは訝しげに眉を顰めた。
「何が、言いたい……? あいつに何があったっていうんだ……?」
「……狂ったのだ……」
「なん、だって……?」
 怒りに満ちた瞳で睨みつけてくるジュリアスの発したその一言を、アリオスはそのまま受け止めることができなかった。
「オスカーは、貴様のために狂ったと言ったのだ、アリオスッ!!」
「くる、った……? オスカーが? 俺の、ために……? まさか、そんな……」
 確認するようにジュリアスの告げた言葉を反芻しながら、信じられないというようにアリオスはよろめいた。
 らしくもなく声を荒げて叫んだジュリアスは、アリオスのそんな様子に幾分冷静さを取り戻す。
「……信じられぬか? そうであろうな。傍らにいた私ですら信じられなかった。どんなに夢であったらよかったと思ったか知れぬ。だが、紛れもない事実だ」
「あのオスカーに限って、そんな……。一体どうして……?」
 アリオスの問いは、そのまま、ジュリアス自身が思ったことだった。なぜ、どうしてオスカーが── 。ずっと問い続けてきたことだ。
「……あの旧き城砦の惑星での最後の時、あれは、そなたの後を追おうとしたのだ」
「!!」
 ジュリアスの言葉にアリオスは驚倒し、目を見開いてジュリアスを見詰めた。
 あの時、オスカーは『レヴィアスと決着をつけねばならぬことがある』と、そう言って剣を構えて立ち向かってきた。なのに、どうして後を追おうとしたなどと、そんなことになるというのだろう。あれはオスカーの本心ではなかったとでもいうのか。
「あれ自身のサクリアと、アンジェリークたちの癒しの力で辛うじて命を取り留めたが……」
 言い辛そうに目を伏せ一旦言葉を切ったジュリアスは、だが自分の次の言葉を待って黙って見詰めてくるアリオスに視線を戻した。
「……意識を取り戻した時には、気がふれていた」
 アリオスの二つの異なる色を持つ瞳をひたと見据えて、ジュリアスはなおも言葉を綴る。
「誰のことも── 、私のことも、女王陛下のことすらも、何も分からずに、ただ、そなたの名前だけを呼んでいた。ただそなたの姿だけを求めて、そなたの名を呼びながら、彷徨い歩いていた」
「…………」
 返す言葉もなく、ただ呆然とジュリアスを見詰め返すアリオスに、感情を抑え、ただ淡々と事実だけを告げていく。
「だから、医師と諮って女王陛下のお力を借り、封じたのだ、オスカーの中のそなたに関する記憶の全てを」
「……オスカー……」
 ジュリアスの話を聞いても信じられないと、アリオスは今ここにはいない男の名を呼んだ。
 ジュリアスが偽りを言っているとは思わない。だが、どうしても信じられないのだ、あのオスカーがそんなことになるなど。
「そんなオスカーを、傍にいながら何もできずにただ見ているしかなかった私の気持ちがそなたに分かるか? オスカーはそなたのものなどではない。私は決して認めぬ。オスカーをあのようにしたそなたを、許すことはできぬ。もし、もしもそなたが本当にオスカーを想っているというのなら、二度とオスカーに近付くな、惑わせるな! あれには二度と会うな!」
「…………」
 ジュリアスの最後の言葉に、アリオスは拳を握り締めた。
 認めない? 誰に認めてもらう必要がある。たとえ誰が認めなくとも、あいつは俺のものだと。
「フッ、生憎だが、そんなことは聞けないな」
「アリオスッ!」
「あいつは俺のもんだ。あんたに認めてもらう必要なんかない。第一、会うなと言ったってもう遅い。俺たちは会ってしまった。あいつにはまた、俺を刻み付けた。もう手遅れさ。それとも、またあいつの記憶を封じるか?」
 唇に嘲りの笑みを浮かべながら、宣言する。譲る気はないと。
「それに、これはあいつと俺の問題で、他人のあんたが口出しすることじゃあない。俺はあいつを手離す気はない。たとえ他の何を譲っても、これだけは譲れない」
「アリオスッ!!」
 再度ジュリアスがアリオスの名を叫んだ時には、アリオスの姿は執務室から掻き消えていた。
 アリオスが立っていた所に立ち尽くしながら、ジュリアスはオスカーを思った。



 バタバタと慌しい音がして、勢い良く扉が開けられた。
「ジュリアス様!」
 大声でジュリアスの名を呼ばわりながら入ってきたのはヴィクトールだった。
「ジュリアス様! 申し訳ありません、オスカー様が……」
「……知っている……」
 立ち尽くしたまま、顔だけをヴィクトールに向けながら呟くように告げる。
「既に、アリオスと会っていたのであろう?」
「……なぜ……?」
 なぜご存知なのですかと、最後まで言葉にする前にジュリアスは答えた。
「つい先程まで、ここにアリオスがいた」
「アリオスが!?」
 頷きながら、ジュリアスは苦渋に顔を歪める。
「……お許しください、自分がもっとしっかり監視していれば……」
 自分の失態だと項垂れるヴィクトールに、ジュリアスは力無く首を横に振った。
「そなたの責任ではない。私の失策だ。アリオスにも言われた。魔導の力を持つアリオスに監視など無意味だったのだ。アリオスがアルカディアにいると知れた時、アリオスではなく、むしろオスカーをこそ私の監視下におくべきだったのだ、たとえ部屋に閉じ込めてでも……!」
 何度か、もしやと疑念を持った。その時にもっと疑ってかかるべきだったのだ。
 オスカーが私的な事柄をそう簡単に口にする性格ではないのは充分に知っていたことで、そのために前回あのような事態を招いてしまったというのにと、ジュリアスの胸を後悔の思いだけが渦巻いていく。


◇  ◇  ◇



 ジュリアスの執務室から姿を消したアリオスは、そのまま女王執務室にその姿を現した。
 警備の者を呼ぼうと声を上げかけたロザリアを、女王がその白く細い腕を上げて制する。
「陛下!?」
「いいのよ、ロザリア」
 ロザリアに顔を向けて微笑みながらそう告げて、それからアリオスに視線を移した。
「用件は、分かっているわ。オスカーのことでしょう?」
「そうだ。あんたがあいつに掛けたという封印を、解いてもらいたい」
 かつて自分を封じ殺そうとしたこともある男に、よく臆することもなく面と向かい合うことができるものだと感心しながら、アリオスは用件を告げる。もっとも、女王は既に察していたようであるが。
「……ほんの少し前まで、ここにオスカーがいたのよ」
「オスカーが!?」
「ええ。自分から、封印を解いて欲しいと言ってきたの。だから封印はもう解いたわ。明日の朝、目が覚めた時には全てを思い出しているはずよ」
「明日の朝……」
 女王の言葉を受けて、呟くようにその一言を反芻しながら一歩後ずさる。
 そうして瞬間移動しようとしたアリオスを、女王が引き止めた。
「待ちなさい、アリオス!」
「何だ?」
 オスカーの封印が解かれたというのならば、自分には既に女王に対して何の用も、感慨もない。だが女王が何かあるというのならば、聞いてやるくらいのことはしてしかるべきだろうかと思う。
「一つだけ、言っておきたいことがあるの」
「以前の恨み言か? それくらいならいくらでも聞いてやるぜ」
 そう告げるアリオスに、女王は否定した。
「前のことはもういいの。済んでしまったことだもの。私が言いたいのは、オスカーのことよ」
「オスカーのこと? あんたも、ジュリアスと同じで認めない、二度と会うなっていうわけか?」
「いいえ、違うわ」
 これも否定しながら、女王はアリオスに今までとは違うきつい視線を向けた。
「オスカーを不幸にしたら、私は貴方を絶対に許さない。このこと、決して忘れないで。私が言いたいのはそれだけよ」
 その言葉の持つ意味に気付いて、それから「分かった」とそう短く答えるとアリオスは女王の前から姿を消した。





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