Trost 3 【Vollendung - 3】




「やはり、アリオスなのか……」
 ヴィクトールの見間違いであってくれ、勘違いであってくれと祈っていたジュリアスだったか、アンジェリークの反応にヴィクトールの言ったとおりであったかと溜息を吐いた。
「ヴィクトールから報告を受けた時には、まさかと思ったのだがな」
「ヴィクトール様が……?」
 どうしてジュリアスが知っているのだろうと疑問に思っていたアンジェリークは、ヴィクトールの名が出たことに不思議そうに問い返した。
「そうだ、そなたとアリオスが二人で会っているのを見かけたと、心配して私に報告してきた。アンジェリーク、自分が何をしているか、自覚しているのか?」
 その問い掛けに、アンジェリークは思わず萎縮して顔を伏せた。
 その姿には、宇宙の女王たる威厳など見当たらない。どこにでもいるただの少女にしか、ジュリアスには見えない。
「自分の立場、現在置かれている状況、それらをそなた、よもや忘れているのではあるまいな?」
 アンジェリークの細い肩と、膝の上に置かれた手が小刻みに震えているのがジュリアスにも見て取れた。
「アンジェリーク?」
「……忘れては、いません」
 小さな声で、だがはっきりとそう答えて、アンジェリークは顔を上げてジュリアスを真っ直ぐに見詰め返した。
「忘れてはいません、ジュリアス様! でも、あの人が好きなんです!」
 眦に涙を浮かべながら、思いの丈をぶつけるように、アンジェリークは叫んだ。
「女王としての立場を、務めを放棄したりはしません、育成もちゃんとやります! だから、アリオスと会うのを許してください、時々でいいんです、彼と一緒にいさせてください、お願いします! 駄目だなんて、言わないで……」
 アンジェリークの頬を涙が伝う。
 涙声になって、それでも自分の気持ちを必死に訴えるアンジェリークに、ジュリアスはどう答えたものか悩んだ。恋愛事は、正直手に余るのだ、自分には。
「アンジェリーク。宇宙の女王とはいえ、そなたも年頃の娘であることに変わりはない。人を想うことをやめろとは言えぬ。だが、相手が悪すぎる。アリオスは、かつては女王陛下を害し、宇宙を手に入れようとした侵略者なのだぞ」
 ジュリアスは大きく息を吐き出して、それから諭すように告げた。
 しかしアンジェリークにしてみれば、そのような言葉で簡単に諦められるような想いではない。
「でも、今のアリオスはあの頃の、皇帝だった時とは違います! もうあんなこと、したりしません!」
「そう言い切れるのか? 本当に? そのような保証が一体どこにあるというのだ。そなたの希望に過ぎないのではないのか?」
「あ……」
 ジュリアスの問い掛けに、アンジェリークは思わず唇を噛んだ。
 確かに、それは自分の希望かもしれない。
 アリオスはもう以前の彼ではない、皇帝レヴィアスではないのだと。だから、宇宙を侵略したりしようなんて、もう決してないと。
「……でも、本当に、彼はもう昔の彼ではないんです、信じてください」
 信じるしかなかった。信じてもらうしかなかった。アリオスが二度とかつてのような行為に出ないという証拠は、確かにどこにもないのだ。
「それに、アリオスには以前の記憶はないんです。明らかに、昔のレヴィアスではないんです!」
「アリオスの、記憶がない?」
 アンジェリークの言葉に、ジュリアスは眉を寄せ、その言葉を反芻した。
「はい」
 アンジェリークは、大きく頷いた。
「なんでも、全ての記憶を失って、気が付いたらアルカディアにいたのだと。名前すら覚えていないと言っていました」
 アンジェリークの言葉にジュリアスは考え込んでいたが、暫くして口を開いた。
「今はそうだとして、アンジェリーク、アリオスが記憶を取り戻した後、再び皇帝として私たちの前に立ち塞がらないという保証はあるのか?」
 宇宙のことを考えた時、決して楽観は許されない。あらゆる可能性を考えなければならない。たとえそれがほんの数パーセント、あるいは、1パーセント以下のものであったとしても。
「……っ」
 ジュリアスの問い掛けに、アンジェリークは息を呑んだ。
 これが守護聖の首座たる人の考え方なのかと、宇宙を導く者の勤めなのかと改めて思う。
 それに対して、自分は確かに甘いのだろう。かつてアリオスに、レヴィアスに何度も言われた、『おまえは甘い』と。
 けれどそれが私なのだ。私には信じて祈ることしかできない。それが私の力なのだから── そうアンジェリークは考える。
「……ジュリアス様のご心配されるお気持ちは分かります。でも私はアリオスを信じたい、もうあんなことはしない、って。だって、あの戦いの最後の時だって、彼にはもう分かってたはずなんですから。お願いします、このまま見ていてください。もし万が一彼が何かしようとしたら、何としてでも私が止めますから!」
 必死に訴え掛けるアンジェリークに、ジュリアスは何を言っても無駄なのかと諦めにも似た何度目かの溜息を吐いた。
「……分かった。だがアンジェリーク、もし少しでもアリオスがおかしな動きをしたら、その時はそなたが何を言おうと、私は彼を排除するだろう。この宇宙を守るために、女王陛下をお護りするために。それだけは言っておく」
「はい」
「それから、アリオスのことは今のところ私とヴィクトールしか知らない。そのつもりでいるように」
 アンジェリークは立ち上がると、ジュリアスに深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。認めたわけではないのだ」
 立ち上がりながらそう告げるジュリアスに、それでもアンジェリークは頬に残る涙の痕もそのままに笑顔を向けた。
「……失礼します」
 最後にもう一度頭を下げて退室していくアンジェリークの後ろ姿を見送りながら、ジュリアスは呟いた。
「私は、偽善者だな」
 窓辺に寄って、オスカーの屋敷を望む。
「アンジェリークにはあのように言ったが、実際のところ私が案じているのはそなたのことのみだ、オスカー。頼む、決して、アリオスに出会ってくれるな」


◇  ◇  ◇



 午後、アンジェリークはオスカーの元を訪れた。もちろんそれは育成の依頼のためだったが、それ以外にも、かねてからオスカーに聞きたいと思っていたことがあったのだ。
「よう、お嬢ちゃん。今日は二度目だな。どうだ、元気でやってるか?」
「はい、オスカー様!」
 女王試験を受けていた頃と変わらぬ笑顔で迎えてくれる炎の守護聖に、アンジェリークも笑顔で応えた。
「で、今日の用向きは何かな? 育成か?」
「はい」
 ファイルを開いてデータを示す。
「この一帯に、炎のサクリアを少し、送っていただけますか?」
「少しでいいのか?」
「ええ、今は」
 確認してくるオスカーに、アンジェリークは頷き返した。
「分かった、少し、送ればいいんだな」
「お願いします。それから……」
 一瞬言い淀んだアンジェリークに、オスカーは訝しげな顔を向けた。
「どうした?」
「あの……、オスカー様にお聞きしたいことがあって……」
 歯切れの悪いアンジェリークに、オスカーは遠慮するなというように問いを促した。
「何が聞きたいんだ? 遠慮することはないんだ、何でも答えてやるぜ、お嬢ちゃん。ああ、でも、俺の答えられる質問にしてくれよ」
 そう言って軽くウインクをしてくるオスカーに、アンジェリークはくすっと小さく笑って、それから思い切ったようにその名を出した。
「アリオスのことなんです」
「アリ、オス?」
 アンジェリークの告げたその名を繰り返したオスカーの貌から、表情が消えた。
「はい」
 アンジェリークは頷いて、そのまま続ける。オスカーの様子に気付くことなく。
「以前から一度お聞きしたかったんです。ただお聞きしていいものかどうか悩んでしまって……。だからもし答えられないというならそれでも、いいんですけれど。あの旧き城砦の惑星でのレヴィアスとの最後の戦いの時──



 頭痛が、酷い。
 ガンガンと、頭の中で何かが鳴り響いているようで、アンジェリークの声も聞こえない。アンジェリークが何かを自分に告げているのは分かる。だがその内容が聞き取れない。
 動悸が激しくなり、胸に痛みを覚えた。
 額に脂汗が浮かんでいるだろうことが、自分でも感じられた。
 そしてまた、急激に自分の熱が奪われていくような感じもして──



 ガタン── という不意の大きな物音に、アンジェリークは言葉を切り、顔を上げてオスカーを見た。
「オスカー様!?」
 見れば、オスカーは苦しそうに片方の手で胸を抑え、もう片方の手を机の端に置いて辛うじて倒れこみそうな体を支えていた。
「オスカー様っ!!」
 慌ててアンジェリークはオスカーに駆け寄りその体に触れた。
 冷たかった。呼吸は忙しなく、顔色はすっかり蒼褪めている。
「誰か、誰か来てっ! 誰か! オスカー様がっ!!」
 額に汗を浮かべ、苦しそうなオスカーの背を擦りながら、アンジェリークは顔だけを扉に向けて、大声で叫んだ。
「どうしたのだっ!?」
 そう大きな声がして扉が開く。
 部屋に入って来たのは、光の守護聖ジュリアスだった。





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