Trost 2 【Zauber - 5】




「オスカー様!」
「オスカー、無事だったのだな」
「オスカー様……」
 口々に、皆がオスカーの名を呼び、その無事な姿を見て喜んだ。
 顔色は血の気を失い蒼褪め、ふらつき気味で、しっかりした足取りとはとても言えないが、それは紛れもなく皆の知るオスカーだった。
 その躰を支えようと駆け寄るランディを、オスカーは余計な手出しは無用と無言のうちに手で制すると、ゆっくりとではあったが、レヴィアスをヒタと睨みつけながら歩み寄った。
「オスカー様」
 オスカーとレヴィアス、この二人の関係を知るヴィクトールが、心配そうに声を掛ける。
 それに大丈夫だと頷き返して、オスカーは鞘から大剣を抜いた。
「おまえが目覚める前に全てを終わらせるつもりだったが、終わるのはアンジェリークたちではなく、我のようだな」
 レヴィアスのその言葉に、アンジェリークは彼を振り返った。
「レヴィアス、いいえアリオス、終わるのは戦いだけよ。剣を納めて。そして、私たちと新しい生を生きて! お願い、あなたを失いたくない!!」
「相変わらず甘いことだな、アンジェリーク」
 アンジェリークの言葉に、レヴィアスは口元を歪めた。
「そう言われても構わない。お願い、アリオス、生きて、私達の元に帰ってきて!!」
 両腕を差し伸べ、必死に説得しようとするアンジェリークを、レヴィアスは冷たく、何の感情も見えぬ瞳で見下ろした。
「全ては終わった。我はおまえたちに敗れたのだ。この上は、我一人助かって、生き恥を曝す気は、ない……」
「アリオスッ!!」
 アンジェリークの後ろで黙って二人の遣り取りを聞いていたオスカーは、剣を構えたまま一歩踏み出した。
「オスカー様!」
 オスカーの意図を察したアンジェリークは、オスカーの前に立ち塞がって留めようとする。だがオスカーはそんなアンジェリークを押しのけるようにしてさらにレヴィアスに向けて歩を進める。
「オスカー様、止めて下さい、これ以上殺しあう必要なんてもうないんです!」
 言い募るアンジェリークに、オスカーはその視線をレヴィアスに向けたまま冷たく言い放つ。
「お嬢ちゃん、女性である君には、ましてや慈愛に満ちた宇宙の女王たる君には理解できないだろう。だが、レヴィアスは既に覚悟を決めている。あいつにはこれ以上生きる気は、ないんだ。そして俺も、レヴィアスと決着をつけねばならぬことがある。俺が俺であるために」
「ここで終わるのが我の運命であるなら、オスカー、他の誰でもない、おまえに止めを刺されるのもまた良し!」
 そう言い放ち、改めて剣を構え直すレヴィアスと、そのレヴィアスに立ち向かっていくオスカーにアンジェリークの悲痛な叫びが響き渡る。
「オスカー様! アリオスッ! やめて── っ!!」
 見ていられないと両手で顔を覆うアンジェリークのことは、二人の男には意識の片隅にもなかった。在るのはただ互いのみだ。
 真っ直ぐに自分に向かってくるオスカーを待って避けもせずに身構えながら、レヴィオスは口元に端からもはっきりと分かる微笑を浮かべた。
「レヴィアスッ!!」
 名を叫びながら突き進んでくるオスカーの剣の切っ先を、レヴィアスは手にしていた自分の剣を投げ捨てると、避けもせずに自分の躰で受け止めた。
「!?」
「……グゥッ……!!」
 レヴィアスは一つ小さな呻き声を上げた後、腕を伸ばし、オスカーの剣を持つ手を掴んでそのまま引き寄せた。
 いやな、音がした。
 剣が肉を絶ち、骨を砕く音。オスカーの、刺す力ではなく、レヴィアスの引き寄せる力で、オスカーの大剣がレヴィアスの躰を刺し貫いていく。
 ゴフッと咳き込んで、レヴィアスの口元から鮮血が溢れた。
 だがレヴィアスはそれを気に止めることもなく、ニッと笑うとさらに強くオスカーの躰を抱き寄せた。
 オスカーの背後で二人を見ていた全員が、その予想外の展開に声を発することもできずに息を呑む。
 激しい鍔迫り合いになると思っていたのだ。
 オスカーは見るからに万全ではなく、だがレヴィアスもまた先に受けたダメージがある。二人とも常のようにはいかないだろうことは明らかだった。しかしそれでも、二人の技量を考えれば、それ相応の剣の応酬になると、そう思っていたのだ。
 だが現実に目の前で繰り広げられているそれは、オスカーの手に掛かる、というよりも、むしろレヴィアスの自決ともいえる行動だ。
「レヴィ、アス……」
 オスカーのレヴィアスの名を呼ぶ声が震える。
 オスカーもレヴィアスがこんな行動を取るなどとは思ってもいなかった。
 自分が自分であるために── そうアンジェリークに告げた。そのために決着をつけるのだと。だが本音では、刺し違えるつもりだったのだ。
 もう以前の自分に戻ることなどできはしない。
 本来倒さねばならない敵であるアリオスに、レヴィアスに身も心も全て絡め取られて、これから先を一人で生きていくこともできそうにない。
 ならばせめて共に滅びようと、そう覚悟を決めてレヴィアスの懐に飛び込んだのに──
「レヴィアス……、どうして……?」
「……オスカー……」
 震える声で問いかけるオスカーに、残った力の全てでその躰を抱き締めながら、レヴィアスはその耳元に息を吐き出すようにして囁きかけた。
「……おまえを、愛して、いる……」
 レヴィアスの言葉に、オスカーは思わず息を呑み、目を見開いてそれを口にした男を見た。
「……レヴィアス……」
 名を呼ばれた男は、オスカーの唇に口付けようとして、叶わなかった。唇を触れ合わせようとした寸前で、レヴィアスの躰が傾いだ。
 オスカーを抱き締めていた腕から力が抜けてその背から擦り落ち、そのまま力尽きたようにゆっくりと崩れ落ちていく。
「いや───── っ!!」
 アンジェリークの悲鳴が、皇帝の間に響き渡った。
「アリオス、アリオスッ!!」
 名を叫び、駆け寄ろうとするアンジェリークを、ヴィクトールがその腕を掴んで止めた。
「離してっ! 離してください、ヴィクトール様。アリオスがっ!!」
「ダメだ、アンジェリーク!」
 アンジェリークを行かせるわけにはいかなかった。それはアンジェリークのためにではない。オスカーのためにだ。
 自分たちはもちろんだが、オスカーにとっても、おそらくレヴィアスのとった行動は予想外のことだったろう。相当のショックを受けているはずだ。そんなオスカーの心中を察すれば、オスカーの邪魔をしたくはなかった。誰にもさせたくなかった。
 だからヴィクトールはアンジェリークを引き寄せて、その腕の中に抱き込んだ。
「アリオスッ、アリオスーッ!」
 腕の中で泣き叫ぶアンジェリークを、気の毒に、そして哀れにも思うが、たとえあとでどうしてと詰め寄られ、憎まれることになったとしても、できなかった。
 アンジェリークを自分の腕の中に抱きとめながらオスカーに視線を向ければ、オスカーは倒れこんだレヴィアスの傍らに、力が抜けたように座り込んでいる。後ろ姿であるためにどんな表情をしているのか、それは分からなかったが。
 そして回りを見回せば、他の者たちはただ呆然と、見ているだけだ。



「おまえ……やっぱりずるい男だ。今まで一度だって、そんなこと口にしなかったのに……、なのに、今になってそんなこと言うなんて……。おかげで、おまえを憎めなくなっちまったじゃないか……」
 実を言えば、憎もうとして憎めなかったというのが本当のところだ。ただ悔しかった、悲しかった。そして、滑稽だったのだ、騙されていた自分が。
 オスカーの呟きは小さすぎて、他の誰にも何も聞こえてはいなかったが、いつまでも動こうとしないオスカーに、このままではいけないと気を取り直したジュリアスが足を踏み出した時、足元が揺れた。
「なんだ?」
 それと同時に肩に当たるものがあって、上を見上げれば、天井からパラパラと小さな石が落ちてきて、床の揺れも大きくなってきた。
「一体何がっ!?」
「城が崩れ出してるんだ!」
「急いで脱出しましょう、このままここにいたら城の崩壊に巻き込まれます」
 頷き合って、皆が扉へと向かう中、
「オリヴィエ様、アンジェリークを頼みます」
 そう言ってヴィクトールは抱きかかえていたアンジェリークをオリヴィエに預けた。
「分かったわ、あんたも急いでね」
 オリヴィエはオスカーをちらっと見てヴィクトールの意図を察し、アンジェリークを受け取った。
「ヴィクトール様!」
「アンジェリーク、話は後だ。とにかく、今はこの城を出るんだ、早く」
「……は、はい……」
 言いたいこと、聞きたいことは色々あったが、ヴィクトールとオリヴィエの二人に促されて、アンジェリークはオリヴィエに手を取られるままに一緒に走り出した。
 先に他の仲間を脱出させ、後に残ったジュリアスとヴィクトールがオスカーに視線を向ければ、オスカーは立ち上がろうともせずに、レヴィアスの傍らに座り込んだままだった。
「オスカー、何をしている、早くこい!」
「オスカー様、急いでください、このままでは危険です!!」
 二人の声に、オスカーはゆっくりと顔を向けた。
 ジュリアスはそのオスカーの顔を見て、その頬を伝うものを見て、愕然とした。
 ── オスカー、そなた、泣いて……? 一体、皇帝との間に何があったというのだ?
「オスカー様!」
 オスカーは、ゆっくりと、けれどはっきりと首を横に振った。
「!? オスカー、どういうつもりだ、早く戻れ! 戻らぬか!!」
 声を荒げるジュリアスに、オスカーは静かに答えた。
「行って下さい。俺は、ここに残る……」
 そう告げて、オスカーは再び顔をレヴィアスに向けると、その頬に手を差し伸べた。
「何を馬鹿なっ!? オスカー、守護聖たる自分の立場を弁えぬか!!」
 このままでは致し方ないと、力ずくでもオスカーを連れ出そうとジュリアスが足を踏み出した時、ヴィクトールがとっさにジュリアスの腕を掴んで引き寄せた。
「危ない、ジュリアス様!」
 見れば、一際大きな石がジュリアスの立っていた位置に落ちてきたところだった。
「すまぬ、助かった、ヴィクトール」
「いえ。それよりも、急いで我々も脱出しましょう」
「しかしオスカーが!」
 ヴィクトールはジュリアスに弱々しく首を横に振りながら答えた。
「無理です、オスカー様はここで死ぬ気です。先程より揺れも崩れ方も酷くなってきている。これ以上留まれば我々も助かりません。俺はともかく、ジュリアス様、あなたを失うわけにはいかない。失礼を!」
 オスカーのことは諦めろと言外に告げて、ヴィクトールはジュリアスの腕を取ると扉に向かって駆け出した。
 二人が出ていくのを背後に感じ取りながらも、オスカーの濡れた瞳に映るのはレヴィアスだけだ。
「……俺のことを自分のものだと言って、俺を雁字搦めにしておまえから離れられなくしておいて……、離さないと言いながら自分だけ一人でさっさと逝くなんて、ひどいじゃないか。俺はおまえのものなんだろう? だったら、最後まで責任持てよ。俺を、連れていけよ、アリオス……」
 屈み込んで、冷たくなったレヴィアスの唇にそっと口付ける。
 それから傍らに落ちている、レヴィアスが投げ捨てた細身の剣を拾い上げた。
「待っていてくれ、直ぐに、追いつくから……」





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