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  眠れぬままに、オスカーは疲れて眠っている他の者たちに気付かれぬようにそっと抜け出して一人表に出た。 
 先刻知れた事実はオスカーを打ちのめしていた。 
 もちろんそれはオスカーだけではなく、アンジェリークをはじめとする皆に言えることではあった。ことに、アンジェリークにとってアリオスは命の恩人であり、また彼に対して恋心を抱いていた節もあって、そうとうのショックを受けたらしく、オリヴィエたちが必死に慰めていた。 
 だがそれでもオスカーが受けたショックに比べればまだましだったのではないかと思う。 
 オスカーの本能は、アリオスは危険だとそう警告を発していたのに、なのに、そもそもの発端は単なる欲求不満の解消というものだったにしろ、躰を許し、いつしかアリオスに囚われて心までも許してしまった。 
 なんと愚かであったことか。なぜ警告に従わなかったのか。 
 自嘲いが、込み上げてきた。 
 近くにある木の幹に躰を預けたまま、オスカーは声を上げて嘲笑った。 
「何がそんなにおかしいんだ?」 
 掛けられた声にハッとして振り返れば、そこには皇帝レヴィアスがいた。 
「……己の愚かさを、嘲笑っていたのさ」 
 レヴィアスを睨みつけ、常の癖で腰に帯びてきた大剣の柄に手を掛けながら静かに答えた。 
「もうとっくにどこかに行ったものと思っていたが、まだ残っていたとはな」 
「忘れ物があったのでな、戻ってきた」 
 言いながら静かにオスカーに近づくレヴィアスに、オスカーは気を張り詰め、いつでも剣を抜けるようにと構えながらジリッと一歩後ずさる。 
「忘れ物?」 
「そう、忘れ物だ。大切なものを一つ、持ち帰るのを忘れた」 
 一体何だ、と思う。 
 洞窟から集落に戻ってきた時、アリオスの荷物も綺麗に消えうせていたと思い出す。もともと少なかった荷物だ、何か残っていれば気がついただろう。何一つとして残ってはいなかったはずだが、アリオス、いや、レヴィアスは忘れた物があるという。 
 レヴィアスを睨みつけながらも訝しそうに眉を寄せ考え込むオスカーに、レヴィアスは小さく微笑った。 
「分からないか、オスカー? おまえだ」 
「え?」 
 レヴィアスが何を言ったのか、オスカーは意味が分からなかった。 
「おまえだと言ったんだ、オスカー。おまえを連れ帰るのを忘れたと」 
「なっ!?」 
 告げられた言葉に、オスカーは驚きに目を見開き、次の瞬間には怒りがオスカーの全身を支配していた。 
「何をバカなことを言っている!! いつ俺が貴様のものになったっ!?」 
 レヴィアスは口元に笑みを浮かべ、オスカーに手を差し伸べながら一歩一歩近づく。 
「忘れたとは言わせぬ。我は何度もおまえに告げた。おまえは我のものだと」 
 言われて、オスカーの脳裏に、夜毎、行為の度にアリオスから耳元に囁かれた言葉がよみがえる。 
『おまえは俺のものだ。おまえの全ては永遠に俺のもの、忘れるな、オスカー』 
「あ……」 
 アリオスの言葉が、何度も何度も頭の中で繰り返される。オスカーの剣の柄を持つ手が小刻みに震えだした。 
「思い出したようだな」 
 言って、レヴィアスは一気にオスカーに近づくとその両腕を取り、オスカーに抗う隙も与えぬままに傍らの木の幹にその躰を縫いとめた。 
「オスカー」 
 耳元で、息を吹き込むようにして名を呼ぶ。 
「……ちが……、違う、俺は……」 
 必死に理性を奮い起こして否定の言葉を紡ぎだすオスカーに、レヴィアスは夜毎そうしたように、甘く囁きかける。 
「思い出せ、オスカー。おまえは我のものだ。おまえの全ては我だけのもの。それに、おまえの躰はもう我なしではいられまい。そう我が作り変えたのだから」 
 レヴィアスの言葉がオスカーの全身を絡めとり、理性を奪い、抗おうとする力を奪い取る。 
 耳元に、頬に、そして唇に、レヴィアスは口付けを与えていく。 
「……あぁ……」 
 唇を離した時、オスカーの口から漏れ出たのは熱い吐息だった。 
 それを認めて押さえつける両腕を離しても抵抗はなく、逆にオスカーの両腕がレヴィアスに絡みついた。 
「オスカー」 
 名を呼び、再び口付ける。 
 舌を差し入れ、全てを奪い尽くすように互いの舌を絡めあう。そうしながら、オスカーの着衣の前をはだけ、その肌を曝していく。 
 レヴィアスはオスカーから唇を離すと、そのまま首筋へ、喉元へとずらしながら、そこここを強く吸っては赫い痕を残した。自分のものだと、その所有を誇示するかのように。 
 それだけでオスカーの躰は既に熱く火照り、男が欲しいと、その逞しいもので早く刺し貫いてくれと、疼きだしていた。 
 ふいに近づいてくる人の気配を感じ取り、レヴィアスが振り返れば、 
「そこにいるのは誰だ!」 
 そう声が掛かり、二人の方に近づいてくる人影が一つ。 
「ちっ、邪魔が入ったか」 
 レヴィアスはオスカーから触れ合わせていた躰を離すと、その頬に優しく手を添えた。 
「次は必ずおまえを連れて帰る。その時まで待っていろ」 
 そう告げて、熱に潤んだ瞳で自分を見上げるオスカーの唇に軽く口付け、掻き消すようにして姿を消した。 
「……レヴィアス……」 
 熱い吐息と共にその名を口にしたオスカーは、支える手を失い、疼いて力の入らない躰を木に預けながら、ずり落ちるようにしてその場に座り込んでしまった。 
 そのまま呆然としていたオスカーの前に、先程声を掛けてきた一人の男が立った。 
 ヴィクトールだった。 
「オスカー様、どうされたんです」 
 オスカーの前に膝をついて腰を落とし、尋ねる。 
「オスカー様」 
 繰り返し名を呼ばれて、空ろだった視線が目の前の男── ヴィクトール── を認め、オスカーは慌ててはだけたままの着衣の前を掻き合わせた。 
「先程ここにいたのは、皇帝、ですね。何があったんです? 奴は一体何を……」 
 聞かなくても、大方の察しはついていた。 
 視線を外し、唇を噛み締め、乱れた着衣を掻き合わせて躰を小刻みに震わせているそのオスカーの様子を見れば、殆ど一目瞭然と言っていいだろう。 
 皇帝はオスカーを陵辱しようとしていたのだ。それがどういった意図の下でか、までは分からないが。 
 返事の返らないことに、やはり答えを期待するのは無理かと、ヴィクトールが溜息をついた時、オスカーの唇がゆっくりと開いた。 
「……奴は、俺を、……自分のものである俺を、迎えにきたと……」 
「どういうことです!?」 
 予想外のオスカーの答えに、ヴィクトールは眉を寄せ、その両肩を掴んでオスカーに詰め寄った。 
 オスカーがレヴィアスのものとは、一体どういうことなのだと。 
「……気付いてなかったのか、本当に?」 
 オスカーは漸くといった感じでヴィクトールに視線を合わせると、自嘲の笑みを浮かべながら聞き返した。 
「何を、です」 
 そんなオスカーの様子に、ヴィクトールは思わず息を飲んだ。 
「俺が、毎晩のようにアリオスに抱かれてたのを」 
「オスカー様……」 
「俺はアリオスの、つまり、皇帝の慰み者だった、奴の女だったんだっ!」 
 そう叫ぶように告げるオスカーの頬を涙が伝うのを見て、ヴィクトールは思わずオスカーの躰を抱き締めていた。 
「クッ、ウッ、アリオス、アリオス……ッ!」 
 名を呼びながらヴィクトールに縋りつくようにして泣き始めたオスカーに、ヴィクトールは掛ける声が見つからず、ただ抱き締めた。 
 ヴィクトール自身は同性愛者ではない。しかし決してそれを否定するものではない。同性同士での恋愛もまたあるのだと、理解はしている。 
 だから、女好きと、聖地一のプレイボーイといわれ、かつての女王試験の際、聖地において日毎違う女性と一緒にいる姿をよく目にしていただけに、オスカーがアリオスとそういう関係にあったということに違和感は感じるが、軽蔑するものではない。 
 そして二人の間の経緯、どういった遣り取りがあったのかは分からないが、少なくともオスカーは本気だったのではないかと思うのだ。でなければ、オスカーほどの男が、同じ男であるアリオスにそう簡単に躰を許すとは思えない。 
 アンジェリークや年少の者たちばかりに気を取られて、オスカーの様子に気付かなかった自分が悔やまれた。 
 もちろんオスカー自身が周囲に気取らせるような態度を見せなかったこともあったが、アリオスこそが皇帝レヴィアスその人なのだと知れて、もっともショックを受けていたのは他でもない、オスカーであっただろうにと。 
 そして改めてヴィクトールは思う。 
 この人も、ただの一人の青年であったのだと。 
 守護聖として崇められ永い時間を生きているといっても、それは外界の時間にすればのこと。もとより時間の流れが外界と異なる聖地にあっては、決して永い時間を生きているわけではない。 
 たとえどのような力を持っていようとも、まだ二十数年しか生きていない青年に過ぎなかったのだと。 
 
 
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