「レヴィアス……」
ホッと、明らかに安堵のそれと分かる溜息と共に吐き出されたその呼び掛けに、ジュリアスはオスカーを顧みた。
「遅くなって悪かった。あの女がなかなか離してくれなくてな」
オスカーに掛けられた声に、再び自分の腕を掴んだまま離さない男に視線を戻す。
「……そなたは一体……、オスカー、そなたたちはどういう……」
オスカーと、オスカーが“レヴィアス”と呼びかけた男の顔を交互に見やる。
ジュリアスの顔に浮かぶのは疑念の表情ばかりだ。
「おまえが今自分で言ったではないか、アリオス、と」
唇の端を上げながらの男── レヴィアス── の答えに、ジュリアスは目を見開いた。
「本当に、アリオス、なのか……?」
レヴィアスはジュリアスのその問い掛けには答えず、掴んでいる腕を強く引きながら狭いバスルームを後にした。
「……っ! 離せ、離さぬかっ!」
ジュリアスの抗議の声を無視して、レヴィアスは無言のままに部屋の中央へ進むと、突き飛ばすようにして思い切りジュリアスの腕を離した。
そのあまりの勢いにジュリアスは倒れこみ、床にしたたかに肩を打ち付ける。
痛む肩を押え、小さな呻き声を上げながら顔を歪めるジュリアスを、レヴィアスは冷たく見下した。
それから、顔を上げて今自分たちが後にしたばかりのバスルームの方へ視線を向けると、オスカーが出てきたところだった。
「オスカー」
名を呼びかけながら招くように腕を差し伸べる。 オスカーはレヴィアスの傍らに立つと、レヴィアスに己の躰を預けるようにもたれ掛かった。
そんなオスカーに、レヴィアスはその肩に腕を回してそっと優しく抱き寄せる。
「大丈夫か?」
気遣わしげに声を掛けるレヴィアスに、オスカーは「ああ」と答えながら小さく頷いた。
二人の様子に、ジュリアスはいまだ痛む肩を押えながら目を剥く。
そして、何よりもレヴィアス── 。彼から受ける圧倒的な存在感、威圧感。それはどこかしら覚えのあるものだった。
そう、それは聖地が陥落する前に、聖地を、自分を襲った感覚に、似ている。
「……まさか、まさか、そなたが皇帝……、なのか……?」
よもやそのようなこと、と思いながらも、だが目の前の男から放たれる飲み込まれそうな程の氣に、ジュリアスは声を震わせながら問う。
その問いに、レヴィアスはオスカーを支えるように抱き寄せたまま唇の端を上げて嘲りの笑みを浮かべるだけだ。
それが、レヴィアスの答えだった。レヴィアスはジュリアスの問い掛けを否定しなかった。つまり認めたのだ、自分が“皇帝”であると。
ジュリアスはそうと察して驚愕した。オスカーが、誰と何をしていたのかを改めて理解して、愕然とし、次には心の底から怒りが込み上げてきた。
「オスカー! オスカー、そなた、自分が何をしているのか、その男が何者なのか分かっているのかっ? 承知の上のことか!? この宇宙を、女王陛下を守るべき立場にありながらそれを忘れ、陛下を、私たちを、この宇宙を裏切って……!」
だがそれとて、オスカーがジュリアスに対して、聖地に対して抱き続けてきた怒りと憎悪に比べれば何ほどのことだろう。そして、
「裏切り?」
その言葉に、オスカーは顔を上げてジュリアスを見返した。その薄蒼の瞳にあるのは、憎しみと怒りと、そして侮蔑の色。その色に、ジュリアスは続く言葉を飲み込んだ。
「先に裏切ったのは、貴様等の方だろうがっ!? あんたたちは自分たちが導くべき星を、その星の民を見捨てた! これが裏切りでなくて何だっ!?」
ジュリアスは思い出した。オスカーの生まれ故郷の惑星の名を、そして、その惑星が滅亡した経緯を。
ジュリアスにしてみれば、決して見捨てたわけではない。ただ、判断が甘かったとは思うし、その点についての後悔はある。そしてそれを責められれば返す言葉がないのは事実だが── 。
「違うっ! 見捨ててなどいない、そのようなこと……」
「あんたにそのつもりがなかったとしても同じことだ!」
ジュリアスの言葉をオスカーは遮った。言い訳など、いまさえら聞く耳は持たないというように。
「結果が全てだっ!! あんたたちが軍の警告に耳を貸していれば助かった人間はいたんだ、ヴィーザが死の星になることなんかなかったんだ!! 所詮、主星の大貴族の家に生まれて楽園といわれる聖地しか知らず、人に傅かれるのが当たり前で、人を見下すことしかできないあんたに、現実の世界で必死になって生きてる人間の気持ちなんか分からない! 分かりっこないっ!!」
今まで一度として目にしたことのなかった、激昂し、本音をぶつけてくるオスカーに、ジュリアスは戸惑い、返す言葉が見つからなかった。
常に女王を、そして自分を敬愛し忠実であったオスカーの、初めて目にする姿に、初めて耳にする本音に、ただ驚愕するばかりだ。
「俺は決してあんたを、あんたたちを、そして聖地を許さない! 聖地など、滅びてしまえばいいっ!!」
オリヴィエに対してすら、聖地を憎んでいるとは言っても決して言わなかった一言を口の端に乗せたオスカーに、ジュリアスは我を取り戻したかのように目を見開いた。
「だからか? だから陛下を裏切り、我らを裏切ったのか!? どこまでも陛下に忠実な振りをしながら、侵略者たるその男に身を任せ」
「残念だが、それは違う」
それまで二人の遣り取りを黙って聞いていたレヴィアスが、静かな声でジュリアスの言葉を遮るように口を挟んだ。
「違う? 何が違うと言うのだ!? 現にオスカーは貴様の正体を知っていながら黙っていたではないか!!」
「我にとっては非常に残念なことだが、オスカーはどこまでも命令に忠実な軍人だ。ただ、その仕える対象がおまえたちではないというだけのこと。そして我は、我のことを黙っている代わりに、悪夢に魘されて一人では眠れないというオスカーを眠らせてやっているに過ぎない」
「どういうことだ……?」
レヴィアスの言葉の意味が掴めずに、ジュリアスは怪訝な表情を浮かべながら二人の顔を交互に見た。
レヴィアスはそんなジュリアスに近づくと、右手を真っ直ぐに伸ばした。
「何を……っ!?」
何をするつもりかと、最後まで言い終える前に、レヴィアスの右手から放たれた魔導の力に、ジュリアスは昏倒するように倒れ込んだ。
「レヴィアス……?」
何をしたのかとの問い掛けに、レヴィアスは振り返って簡潔に答えた。
「記憶を少し、な」
弄ったのだと、そう言外に伝えるレヴィアスに、オスカーは俯いた。
「すまない、俺が……」 自分のために正体をバラさせてしまったと、申し訳ないと詫びの言葉を口にするオスカーに、レヴィアスは意識のないジュリアスの体を乱暴に寝台に寝かせた後、気にするなと応じながらその躰を抱き寄せた。
「今回の件の発端は、俺にも責任があるからな。それに、おまえも本音がバレたままではこの先遣り辛いだろうう?」
「……助かる……」
レヴィアスの肩に頭を預けながらそう答えるオスカーをより強く抱き寄せると、空いている方の手を軽く振り上げた。
一瞬、二人の周囲の空気が揺らいで、その揺れが消えた時、二人はそれまでいた部屋の隣、自分たちに割り当てられている部屋の中央に立っていた。
「……油断した……」
オスカーは唇を右手の甲で強く擦った。
「……まさか、あいつがあんな行動するなんて……」
レヴィアスは、思いもよらなかったと、未だ消えないジュリアスの唇の感触を拭い取ろうとするかのようになおも強く唇を擦り続けるオスカーの右手を掴み取った。
「もうそれ以上擦るのはやめろ」
そう言って、その唇に軽く啄ばむように口付ける。
「レヴィアス……」
「今夜のことは忘れろ。やった奴が覚えてないことを、嫌な思いをしたおまえだけが覚えているのは間尺にあわないだろう?」
言いながら、レヴィアスはオスカーに何度も触れるだけの口付けを送る。オスカーが手の甲で擦って拭い取ろうとしているそれを、己の唇で消し去ろうとするかのように。
実際のところ、オスカーに先刻のことを忘れさせるのは簡単だ。ジュリアスにしたように記憶を弄ればいい。しかしオスカーに対してそのようなことはしたくなかった。それに第一、どれほど忘れたいと思っても、オスカーは決してそのような手段を望みはしないだろうから。
オスカーはレヴィアスの首に両腕を絡め、耳元に唇を寄せた。
「おまえで、忘れさせてくれ、レヴィアス」
「承知した」
切なさを含んだ声音で囁くように紡がれた言葉に、レヴィアスは一言で答えると、オスカーの両の頬に手を添えて改めて口付けていった。今度は軽く啄ばむのではなく、深い口付けを。
舌を差し入れ、口腔内を弄り、互いの舌を絡めあう。オスカーをその口付けに陶酔させようとするかのように、レヴィアスは長く濃厚な口付けを続けた。
「……ぁ……」 やがて、オスカーが口付けの合間に小さく声を漏らし、その膝から力が抜けてレヴィアスに縋りつくようにして躰を預けてくると、レヴィアスは漸くその唇を解放した。 それからオスカーの躰を抱き上げて寝台に近づくと、その上にそっと静かに降ろした。
オスカーのシャツの釦に手を掛け、一つ一つ外していく。 脱がせやすいように時折躰を動かしながら、オスカーは黙ってこれから自分を抱こうとしている男の動作を見つめた。
レヴィアスに甘えているとの自覚はあった。いつからかは分からない。
だが気がついてみれば、いつからか自分を優しく抱き締めてくれるその腕に縋り、それを許してくれるレヴィアスの優しさに甘えている自分がいた。
レヴィアスはオスカーが自分のことを黙ってくれている代わりだと、二人の関係は取り引きだと言うが、既に自分の感情はその域を越えていると思う。そして、それはおそらくレヴィアスも── 。 オスカーを全裸にすると、レヴィアスは自分も全てを脱ぎ捨ててオスカーの上に己の躰を重ねた。
オスカーの前髪を掻き上げ、現れた額に優しく口付けを落とす。
「俺のことだけ、考えていろ。他には何も考えるな。俺だけを見て、俺だけを感じていればいい」 真っ直ぐに視線を合わせて告げられるその言葉に、オスカーは黙って頷くと、レヴィアスの躰に両の腕を絡めて引き寄せた。
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