Traum - 3




 翌日の午後、武具屋から依頼の品が揃ったとの宿泊先への連絡に、受け取りに行った者たちが戻ってきたのは夕食前だった。注文品の他にも、旅に必要な物の買出しも済ませたとのことで、予定よりも時間がかかってしまったらしい。
 それぞれに武器や防具を手渡し、それ以外の購入品をチェックし、足りないものはないかと確認を済ませ、そして食事の前に着替えてくるといって部屋に戻ろうとしたオスカーを、ジュリアスが呼び止めた。
「何でしょう、ジュリアス様」
「話したいことがある。夕食が済んだら、私の部屋に来て欲しい」
「分かりました、伺います」
 頷いて、では、と部屋に戻るオスカーの後ろ姿を見つめるジュリアスの瞳には、どこか暗い色があった。



 夕食を摂り、一息ついたあとで、オスカーはジュリアスの部屋を訪れた。
「それで、お話というのはなんでしょう?」
 促されるまま、テーブルを挟んでジュリアスの正面に腰を降ろしながら尋ねる。
 そんなオスカーの前に、ジュリアスはワインを注いだグラスを一つ置き、ついで自分の前に置いたグラスにもワインを注ぐ。
 それからおもむろに口を開いた。
「話というのは、アリオスのことだ」
「アリオス? 奴が何か?」
 オスカーは表情には何の変化も見せぬままに問い返した。
 ジュリアスはそんなオスカーを見て思う。恍ける気なのかと。
 あの晩、たとえオスカーが気が付かなかったとしても、アリオスは自分が見ていたのには気付いていたはずだ。いや、昨日の朝の自分を見る目で分かった。アリオスは、自分が見ていたのを承知していたのだと。
 そしてそれをオスカーに告げていないとは思えない。とはいえ、オスカーの自分に対する態度には変わった所はどこにもなくて、もしかしたら、アリオスは告げていないのかもしれないとも思うのだが……。
「アリオスとそなたのことだ」
 そうはっきり告げたジュリアスに、だがオスカーはいっそ見事というほどに顔色一つ変えない。ただ、そのことですか、とジュリアスが何を言いたいのか分かったというように、軽く頷く。
「それが、何か?」
「何か、だと? そなた、自分が何をしているか分かっているのか?」
「何をしてるもなにも、単なる性欲解消ですよ、それだけのことです」
 僅かに肩を竦めて見せながらそう平然と言い切るオスカーに、ジュリアスの膝に置かれた拳はぶるぶると震えている。
「そなた、恥かしいとは思わぬのか!? 女王陛下にお仕えする守護聖たる者が、氏素性も知れぬ男とあのような行為を……っ! しかもこのような大事の時に!!」
「恥かしい? 行く先々の町で娼館に通って女を買い捲る方がよっぽど問題でしょう? それを考えれば、俺としては一番確実で、後腐れのない手段を選んだつもりですが。欲求不満の解消法としては」
「なっ……!!」
 オスカーの答えに、思わずテーブルに手をついてジュリアスは立ち上がった。その勢いに、座っていた椅子が派手な音を立てて床に倒れる。
「オスカー、そなた、自分の立場を何と心得ているのだ!?」
「守護聖であることを忘れたことはありません。ですが、以前にも何度か申し上げました、いかにジュリアス様といえど執務に影響を与えたならばいざしらず、でなければプライベートへの口出しは無用に願いたいと」
 オスカーは自分を見下ろすジュリアスを感情の読み取れぬ瞳で見上げながら、静かに、だがはっきりと告げた。
 それから椅子を引いて立ち上がる。
「他にお話がなければこれで失礼します」
 一礼をして立ち去ろうと踵を返したオスカーを、ジュリアスはまだ行かせまいと呼び止める。
「待て、オスカーッ!」
「まだ何か?」
 足を止めて振り返ったオスカーに、ジュリアスはテーブルを回ってその傍らに立った。
 ふと、オスカーのシャツの襟元近くに残る鬱血の痕がジュリアスの目に入った。
 それを目にした途端、男の上で揺らめいていた白い背中と艶かしい喘ぎ声がフラッシュバックのようにジュリアスの脳裏に蘇る。
 その唇に、あの男が触れたのか。その躰に、あの男が触れたのか。なぜだ、なぜあの男なのだ?
 自分を凝視したまま何も言わぬジュリアスに、オスカーは訝しげに眉を寄せた。
「ジュリアス様、いかがされました? どこか具合でも……」
 なぜ、どうして、あんな流れ者の男にその身を委ねる、なぜ、私ではない───── っ!?
 心配気にそう声を掛けながら自分を見つめてくるオスカーに、ジュリアスの中のどこか奥深いところで、何かが切れた。
 手を伸ばして、オスカーの腕を掴む。
「ジュリアス様?」
 込み上げてくる衝動に突き動かされるままに、ジュリアスはオスカーを引き寄せるとその唇に己の唇を強く押し付けた。
「ジュリ……ッ!!」
 突然のことに、オスカーは抵抗することを忘れた。だがそれも一瞬のこと、空いている方の手に力を込めてジュリアスの肩を押しやる。
「一体なんの……」
 なんのつもりですか、とそう言いかけて、オスカーは自分を見るジュリアスの瞳に言葉を飲み込んだ。
 好悪の感情は別にして、オスカーはジュリアスの瞳の色を綺麗だと、それは認めていた。どこまでも澄んだその青い色だけは、嫌いではなかった。だが今、その瞳は暗い光を放って淀んでいる。
「なぜあの男なのだ、オスカー。あんな男はやめておけ。男がいいというなら、私がいるではないか。なぜ私のところに来ない?」
 息を荒げてそう言いながら再び顔を寄せてくるジュリアスの、どこか狂気すらも伺えるその瞳に、オスカーは躰が震えるのを覚えた。
 いまだ片腕を掴まれたまま、一歩後ずさる。
「……やめろ……っ」
 そう呟くオスカーの言葉を無視して、ジュリアスは空いている手をオスカーの後頭部に回して引き寄せると再度唇を重ねる。
「やっ……!」
 今度は重ねるだけではなく、オスカーの口腔に舌を差し入れてくる。
 だが、すぐに唇は離れた。
 口の中に鉄の味が広がる。オスカーが差し入れられたジュリアスの舌を噛んだのだ。
 痛みに竦んだジュリアスの躰を、オスカーは渾身の力を込めて突き飛ばす。
 あまりの力に床に倒れこんだジュリアスを睨みつけながら、オスカーは胸に込み上げてくるものに、口元を押えてバスルームに飛び込んだ。
 ユニット式のバスルームの中、便器の傍らに座り込み、嘔吐する。
 夕食で食べたばかりの内容物を、まだ消化しきらないままに、戻した。
 胃の中の全てを吐き終えて出てくるのが胃液だけになっても、吐き気は治まらない。
 それでも、洗面台に手をついてそれを支えにふらつきながらも立ち上がった。
 蛇口を捻り、勢いよく出てくる水を両手で受けてそれを口に含み、口を漱ぐ。それを何度か繰り返し、ふと顔を上げた先、正面の鏡に映る自分の後ろに立つジュリアスの姿に、オスカーはハッとして慌てて振り返った。
「なぜだ、オスカー、なぜ私では駄目なのだ……?」
 問い掛けるように言いながら、ジュリアスはオスカーに向かって右手を差し伸べる。
 オスカーはその手を思い切り払い退け、ジュリアスを睨みつけながら声を荒げた。
「俺に触るな! 虫唾が走る!!」
「オスカー……?」
 オスカーから投げつけられた言葉の意味が一瞬分からなかった。頭の中で反芻して、それから漸く何と言われたのか理解したその一言が信じられなくて、ジュリアスは目を見開いた。
「そなたはずっと私を慕ってくれていたではないか? いつだって私に忠実に従ってくれていたではないか? そのそなたがなぜ? あの男のせいか? あやつに何か吹き込まれたのか?」
「俺が、あんたを?」
 オスカーは嘲るような笑みをその顔に浮かべた。
「冗談じゃない! 俺はあんたが大っ嫌いだ、憎みこそすれ、慕ったことなんか一瞬たりともない! それに、俺はあんたに従ってるわけじゃない。俺は、軍人として総司令官であったクールマン元帥から与えられた最後の命令を忠実に実行しているだけだっ!」
「……憎む……? そなたに憎まれるようなことを私がしたというのか? 私が一体何をしたというのだ……?」
「……やっぱり、覚えてもいないんだな……。そうだよな、どうせあんたにとっちゃ些細な、覚えてる必要なんかない出来事なんだろうさ。けど、俺は忘れない。あんたが、あんたたちが俺の故郷にしたこと、あんたが俺に言ったこと、たとえあんたが忘れても、俺は決して忘れないっ!!」
 その言葉どおり、自分に向けられる憎悪に満ちた薄蒼の瞳。
 だがジュリアスには分からない。
 オスカーの言う意味が。オスカーがそこまで自分を憎み、拒絶する理由が。どうしても、理解できない。
 ジュリアスの戸惑いの表情に、オスカーのこれまで押えに押えてきた怒りが膨れ上がる。もう止められなかった。
「あんたが殺した! あんたたちが殺したんだ! 俺の愛する家族、友人、仲間、恩師や上官、誰よりも尊敬してやまなかった元帥、多くの同胞たち、俺の生まれ育った大地── 全部、あんたたちが奪ったっ!!」
 もう流すものなどないと、枯れ果てたと思っていた涙が頬を伝う。
「監視していた王立派遣軍は何度も警告を発したのに、あんたは聞こうともしなかった。内政不干渉と、その一言で俺の故郷を見捨てたんだ! しかも、それを問い詰めた俺にあんたは言ったよな!? 『与えてやったサクリアをあのような方向にしか活用できぬ愚かな民だったのだ』って! 与えてやったとはよく言う! 第一、そういうふうに導いたのは他ならぬあんたたち自身だろうに!! それを棚に上げて、よくそんなことが言える! サクリアの本質が何なのか、知りもしないで、導いてやっているのだといい気になって!! そうやってサクリアを使い続けて、また滅ぼせばいいさ、この宇宙も、あんたたちが滅亡に導いた前の宇宙と同じようにっ!!」
「……なん、だと……? オスカー、何を言っているのだ、一体……?」
 私が殺した? オスカーの家族や友人たちを? 私たちが奪った? オスカーの故郷を? 私たちが、滅亡に導いた? 前の、宇宙を……?
 オスカーの怒りに任せて投げつけられた言葉に、ジュリアスは戸惑う。
 オスカーが何を言っているのか、到底理解できない。
 民を導き、この宇宙が恙無く運行するように女王陛下の下、サクリアを司っているのに、その自分たちが宇宙を滅亡に導くなどと、なぜそのようなことを言うのか、分からない。
「オスカー……」
 困惑のままに、名を呼びながら震える腕を再びオスカーに差し伸べる。
 その腕を、後ろからふいに掴まれた。
「っ!?」
 振り返ったその瞳に映るのは、黒い髪と、金と翠の二つの異なる瞳の長身の男。だがその顔は──
「……そなた……、まさか、ア、アリオス、なのか……?」





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