隣から漏れ聞こえてくる艶かしいオスカーの声と、そして目に焼きついたかのように消えてくれない裸体の残像に、殆ど眠れぬままに目覚めた翌朝、食堂に下りていくと、その一角にオスカーとアリオスが、ヴィクトールと共にテーブルを囲んでいた。
二人の様子からは、昨夜のような関係にあるなどとは到底窺い知ることはできない。
何を話しているのか聞き取ることはできなかったが、その身振り手振りから察するに、ヴィクトールを交えて剣術の話をしているようだった。
朝から何を、とも思うが、ジュリアスの知るオスカーらしい様子に、どこか安堵した。そして昨夜のアレは、夢だったのではないかと思う。
入り口付近で突っ立ったまま三人の様子を見ていたジュリアスに、後から入ってきたルヴァが声を掛けた。
「ジュリアス、どうしたんです? そんなふうにぼーっと突っ立っているなんて貴方らしくもない。疲れてるんじゃないですか?」
「疲れてなどいない、少し考え事をしていただけだ」
「そうなんですか?」
ジュリアスの答えに、しかしルヴァは心配そうに眉を顰めた。
「ですが、自分では疲れていないと思っても、体は案外疲れていたりするものですよ」
自分が何を思っていたのか、ましてや昨夜の自分の行動を知られたくなくてついそっけなく答えてしまったジュリアスだったが、ルヴァの心配そうな、自分を気遣う表情に申し訳なく思う。
「特にあの時以来、気を張り詰めどおしでしょう。気が張っているから分からないだけで、実際には精神的にも肉体的にも、自覚がないだけで疲労は相当溜まっていると思いますよ」
「ルヴァ……」
ルヴァの言うとおりかもしれないと思う。
そして、もしかしたら昨夜のあれは、その疲れが見せた夢だったのかもしれないと。
ルヴァに促されるままにテーブルに着こうと歩を進めながら、さりげなくオスカー達三人に視線を向ける。
すると、アリオスがジュリアスの方に顔を向けて、何やら意味深な笑みを浮かべているのが目に入った。 それを見て、思わず躰が硬直した。
やはりあれは夢ではなかったのだ、現実だったのだと思い返す。
そしてアリオスは、自分に見られていたことを、知られたことを承知していて、それをあえて隠す気もないのだ。
「ジュリアス?」
立ち止ってしまったジュリアスに、ルヴァは気遣わしげに声を掛けた。
「どうしたんです? 顔色も悪いですね、やはり疲れてるんですよ」
「……あ、ああ、そうかもしれない……。心配を掛けてすまない」
掛けられる声にハッと我に返って答えながらも、ジュリアスの脳裏を占めるのは、昨夜のオスカーの痴態と、今目にした自分を見つめるアリオスの表情。それが交互に浮かんでは消え、浮かんでは消える。
それを振り払うように軽く頭を振ってから、ルヴァと共にテーブルに着き、椅子に腰を降ろした。
「ジュリアス」
「……何だ?」
「状況を考えれば、そんなことをしている場合ではないと貴方は言うでしょうが、やはり少し休みを取るべきです。張り詰めた続けた弦は、いつかは耐え切れずに切れてしまいます。時には緩めてやることも必要なんです。でなければ、肝心の時に使い物にならない。貴方の性格では無理かもしれませんが、全てを忘れて心も体もリラックスさせるべきだと思いますよ。これから先のためにも」
とつとつと語られるルヴァの言葉に耳を傾けながらも、ジュリアスは自分を見つめるアリオスの視線を感じていた。
運ばれてきた朝食を食欲の湧かないままに、けれど機械的に口に運び咀嚼する。
そうしてどうにか食べ終えると、忠告に従って休むことにしようとそうルヴァに告げて食堂を後にした。まるでアリオスの視線から逃れるように。
部屋に戻ると、ジュリアスは寝台の上に腰を降ろした。
もともとこの町に逗留することになったのは、何と言ってもアンジェリークと、そして年少者たちの疲れが目に付いたからだ。
いつどこで敵と出会うか分からないという緊張感。一日も早く女王陛下をお救いせねばという焦燥感。
それらの連続に、疲れるなという方が無理だ。ましてや、それでなくとも一部の者を除けば旅慣れぬ、戦い慣れぬ者たちの集まりなのだから。
加えて、立て続く戦闘とさらに強くなってきた敵に、武器と防具を改めて整備する必要にも迫られて、のんびりしているわけにはいかないと思いつつも、この町に暫く滞在することにしたのだった。
完全に気を抜くことはできない。だがそれでも、1日くらいはそれをしても許されるだろうかと、ジュリアスはそう思って、ゆっくりと体をベッドに横たえて目を閉じた。
しかしそうやって目を閉じると、また昨夜の光景がフラッシュバックのように浮かんできて、ジュリアスは慌てて跳ね起きた。
何をそんなに気にしているのだろうと思う。
確かに思いもよらぬことだった、信じられぬことだった。いや、今でも信じられない、信じたくない。夢であってくれたらと思う。
だが食堂で自分を見るアリオスの視線が、それを事実だと告げてきた。夢などではないと。
否定したいのは、あのオスカーが男に抱かれていたという事実なのか、それとも、それを覗き見てしまったという後ろめたさなのか。
しかし覗こうと思って覗いたわけではない。漏れ聞こえてくる苦しそうな声にオスカーの様子が心配になって思わず覗いてしまったのだ、後ろめたいことなど何もない。ただ、人の情事を見てしまったということが、やましくもないのに、やましいことをしてしまったように思わせるのだ。
けれどそれが、オスカーが女を抱いているところを見たのであったのならば、ここまで気にはしなかったのかもしれないとも思う。オスカーの性癖は、承知しているつもりだ。
自他共に認めるプレイボーイ、聖地一の女好き。漁色家ともいわれ、それを耳にするたびに苦々しく思い、幾度か注意をしたこともある。しかしオスカーはそれをプライベートのことであれば口出しは無用に願いたいと、執務については常に己に従い忠実な男が、私生活についてだけは頑なに拒否する。
そうして執務に影響を与えているわけではないというその一事をもって、半ば諦めの気持ちで、最近はそれについて苦言を呈することも減ってきていた。
そのオスカーが、男に抱かれるという、いわば性交において女の立場となることを甘受していたという事実に、驚愕し、そして打ちのめされた。
覗き見てしまった、男の上で身悶えていたオスカーの白い背中が、一晩経っても残像として消えずに残っている。熱のこもった艶かしい喘ぎ声が耳に残っている。
どちらも自分の知るオスカーからはかけ離れたものだ。
自分がオスカーの全てを知っているなどとは思わない。だがそれでも、この目で見、耳で聞いたにも関わらず、どうしても信じられなくて、なぜ、どうしてと、その問い掛けだけが、昨夜以来、答えの出ぬままに浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
気がついた時、あたりは真っ暗だった。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしいと、苦笑を浮かべつつ、部屋の一角、窓から差し込む月明かりを頼りに、ジュリアスはベッドから離れ、電気を点けた。
急に明るくなった部屋に、一瞬目を瞑り、それから目を開いてふとテーブルの上を見ると、食事を乗せたトレーが置いてあった。
「……ルヴァ、か……?」
おそらく朝の様子から、そっとして休ませてあげましょう、とでも他の者たちに言ったのだろう。だから誰にも邪魔されずに、こんな時間まで気付かずに眠ってしまったのだろう。
そして朝食以来、昼食も夕食も何も摂らずに眠り続けているのを流石にまずいと思って、起きた時に食べられるようにと持ってきたのに違いない。
微笑を浮かべながら椅子を引いて腰を降ろすと、スプーンを手にとった。
スープはすっかり冷たくなってしまっていたが、ルヴァのその心遣いが嬉しかった。
ジュリアスは一人食事を終えた後、バスルームに入って軽くシャワーを浴びた。
それから、さて、どうしようかと思う。
つい先ほどまでずっと寝ていたのだ。加えて、食事を終えたばかり。さすがにまたすぐ眠れるような状態ではない。
窓の外、明るく照らす丸い月を見て、散歩に出てみようかと思った。
クラヴィスではあるまいに、と苦笑を浮かべつつも、それでも、聖地の外で、たまにはいいかもしれないと思う。これから先のことを考えれば、この旅の中、のんびりできるのもおそらくこれが最後かもしれないから。
そう思い、ベッドの脇のサイドテーブルに乗せてある部屋の鍵を取ろうとした時、壁の向こうから声が聞こえてきた。
「……んっ、ああっ、……やっ……」
その声に硬直し、動きが止まる。
昨夜から耳に着いて離れないその、甘く艶かしい声。
ジュリアスは思わず両手で耳を塞いだ。
「……んあっ……、……あぁ……、もう……っ……」
しかしそれでも、声は聞こえてくる。
本来の漏れ聞こえてくるそれよりも更に大きな声で、ジュリアスの耳を刺激する。
── 今夜もあやつに抱かれているのか? なぜだ、なぜだっ、オスカー!? どうしてそんな男に身を任せたりするのだっ!!
昨夜見たオスカーの痴態が、今、目の前で起きていることのように感じられる。
薄い壁の向こう、透かし見るように、オスカーの白い背中が揺らめいて、見えた。
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