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 司政長官のルキソール公タイラントの命を受けて夜も明けきらぬうちに首都ヴァルーナを出発した一行は、ひたすらにサルトーナ州のエルシア地方を目指した。
 しかし、トーランド将軍配下の軍人達はいざ知らず、ルキソール公家の者たち、特に、タイラントの名代たるエルティングは、出発前、タイラントが告げたように旅慣れてはおらず、夜を徹しての行程というわけにはいかなかった。
 誰もが、心は一刻も早くと思いながらも、無理をさせて万一目的を果たす前にエルティングが倒れでもしたら話にならないと、どうしても彼の状況を見ながらの旅となる。エルティング自身もそれは充分に承知しており、決して無理をせず、だが可能な限り一刻も早く目的地に辿り着くべく、その歩を進める。
 
 
 そうして、ようやくサルトーナ州へと入り、明日にはエルシアと呼ばれる地に至るとなったある日、エルティングはやっとその重い口を開いた。
 暫し休憩をと、皆が腰を下ろした時、周囲に自分たちの他には誰もいないのを確認して、エルティングは話し始めた。
「もうそろそろ、お話してもよろしいでしょう」
 と。
 詳しい事は道中のおいおいにと、前もってタイラントから言われていたとはいえ、なかなか口を開こうとはしないエルティングに、フーバーを始め、皆、いい加減焦れ始めていたのだ。
 だがそうやって、あたりを憚りながらようやく話を切り出したエルティングに、皆は自然彼を囲むように座を移動した。
「ガディル殿」
 エルティングは、この一行の中では最も若く、この道中の案内役である青年に視線を向けてその名を呼んだ。
「はい、何でしょう?」
「あなたには弟君が一人おられましたな」
「はい、おりますが・・・・・・
 いきなり弟のことを持ち出されて、ガディルは訝しく思いながら頷いた。
「その弟君は養子で、血の繋がりはございませんでしたな?」
 確認するかのようなガディルへの問い掛けに、その場にいる全員が、もしや、とエルティングとガディルを見た。
 それは、ガディルも同じで、思わず目を見開いてエルティングを見つめた。
 今回の旅の目的はある人物を首都へ迎える為のものと言われていた。その話の中でわざわざガディルの弟の話を持ち出したのだ、他に理由は考えられなかった。
 目的の人物は、ガディルの弟なのか、と──。
「確かに、仰られるとおり、血の繋がりはありません」
 俯きながら、ガディルは応えた。
 疑問を、口に出すのが恐かった。口に出してしまったら、認めてしまうようで。
「本当のご両親のことは、ご存知ですか?」
「母君は、昔、両親がお仕えしていたさる貴族の姫君と。お身内もなく、ご自分の先がないことから、実の子と思って育ててほしいと告げられてお預かりしたのだと聞いています。父君のことは、何も・・・・・・
 何も知らないと、軽く首を横に振りながらガディルは答えた。
・・・・・・もう、20年も昔になるでしょうか」
 エルティングは、どこか遠くを見るような目をして、ゆっくりと語り始めた。
「当時、王太子であられたネレデディル殿下は病気療養のために、ザナス高原にある王家の離宮に滞在されました。殿下には既に正妻であられるアムィラ妃と王子がお一人──先頃立太されたエシュテート様がおられましたが、そこで出会った一人の少女と恋に落ちたのです。その少女こそ、ガディル殿のご両親がお仕えしていたという姫君」
 その場にいた全員が息を呑むのが、その気配で知れた。
 エルティングの言葉から、自分たちが迎えに赴こうとしている人物が何者なのかを察し、その事実に声も出ない。
 皆の様子にエルティングは彼らは既に察したと、理解したと認識しながらも、一度軽く息を吐き出してから、更に先を続けた。
「──ネレデディル殿下は、ご自身の立場も何もかもを捨てて少女の手を取り、そして、やがてお二人の間には一人の王子がお生まれになりました。しかし程なく、お二人は亡くなられ、その直前に、王子はある夫婦に預けられました。それが、ガディル殿、あなたのご両親であり、そして、義弟君です」
 最後、ガディルの顔を真っ直ぐに見据えながら語ったエルティングに、ガディルは思わず目を閉じた。
──ルーガル・・・・・・
 心の中で、弟の名を呼ぶ。
 ついこの間の初めての休暇で帰郷した時に、会ったばかりだ。
 両親も家も、何も変わっていなかった。ただ、弟と妹は、家を離れた時よりも少し背が伸びて、顔つきも体つきもちょっとだけ大人になって、変わったのはそれだけだった。なのに─────。
・・・・・・つまり、我々がお迎えに上がろうとしている方は、エシュテート殿下の異母弟君、そして第2位の帝位継承権を持つ方、ということですね?」
 ガディルの傍らに腰を下ろしていたフーバーが、確認するようにエルティングに尋ねるのを、ガディルはどこか遠くに聞いていた。
「そうです」
 大きく頷きながら、エルティングは答えた。
「しかし・・・・・・、何故エシュテート殿下が王太子として立たれた今頃になってそのようなことになったんです? そのようなことをすれば、帝位継承争いが起きるのは必至ではありませんか!」
 フーバーがもっともな疑問を口にする。
 ネレデディルが亡くなって以降、長らく空位だった王太子の座にエシュテートが立ち、これで帝位継承者は確定したと、帝国の未来は安泰だと、殆どの者は考えている。
 確かに、フーバーとてエシュテートの資質に問題あり、との話を耳にしたことはある。それでも、血筋的にも現帝の直系の血筋はエシュテートのみであり、王太子として正式に立つ前から、彼が次代の帝王となることは既定のことと思っていた。
 そしてそれは、フーバーのみではない。
 それを今になって、ネレデディルのもう一人の王子を引っ張り出してどうしようというのだ。無用な争いが起きるだけではないのか。
 まして、その王子は愛妾との間の子。対して、エシュテートの母親はネレデディルの正妃、しかも、彼女は帝国屈指の名門リノア公家に繋がる。力関係は明らかだ。たとえ、リノア公家に匹敵するルキソール公家の当主たる司政長官タイラントがその後見についたとしても。
「確かに、貴殿の仰られるとおりです。ですが、エシュテート殿下ではなくその王子を次代の帝王にとは、何よりも陛下ご自身のご意向なのです」
「なっ、陛下がっ?」
 陛下のご意向──その言葉に目を剥いたのはフーバーだけではなかった。
「そうです。その為に、殿は動かれたのです。でなければ、今回のことはありませんでした。ネレデディル殿下は、王子が王室とは関係ないところで生きられることをお望みだったとお聞きしています。しかし、陛下は今こそ、正統なる王にその冠を還すべき時と」
 正統なる王──。
 その意味を掴みかねて、皆は互いに顔を見合わせた。
「このことを知る者は今では殆どいなくなりましたが、現在の王室は、傍流、なのです。そして、これから我らがお迎えに上がろうとしている王子の母君の家系こそが、このアンティリア帝国を建国し、治めてきた、本来の直系の血筋なのです」
 エルティングの告げた内容に驚愕し、その場にいた誰もが言葉を失った。



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