【4_2】




「そのことについての詳しい話は、今あえてする必要はないと思います」
 エルティングの話のあまりの内容に誰も何も返せずにいたところに、当のエルティングがそう告げて、話を戻した。
「今、何よりも肝心なことは、陛下の意を受けて、ネレデディル殿下の遺児であられるその方を、無事に帝都にお迎えすることなのですから」
 エルティングの言葉に、一同は暫く頭の中を整理するかのように黙ったままであった。
 その一同の中でもっとも複雑な心境に陥っているのは、勿論、ガディルだろう。
 自分の義弟が、血の繋がりが無いことを知っていたとはいえ、実の弟と思って共に育ち、大切にしてきた弟が、よりにもよって先の王太子の遺児、そして第2位の帝位継承者だなどと、思いもよらなかったことに違いないのだから。
 そしてショックを受けているであろうそんなガディルに、声を掛けられる者は一人もいなかった。
 話の内容を皆が飲み込み理解するのを待って、一同の様子を黙って見ていたエルティングが再び口を開く。
「陛下の意向は先ほど申し上げた通りですが、既にエシュテート殿下の立太は済んでいます。廷臣や貴族の方々の中には、エシュテート殿下の帝王としての資質の問題から、噂を信じてもう一人の王子、つまり我々がこれからお迎えに上がろうとしている方を次の帝王にと、そう願っている方もおられます。ですがそれは少数に過ぎません。
 たとえエシュテート殿下に問題ありとしても、波風を立てずこのままエシュテート殿下を次期帝王に、というのが大勢です。ですがそういった方々は、何よりも陛下ご自身のご意向と分かれば、おのずと立場を変えられるでしょう。
 問題はエシュテート殿下側の貴族や廷臣達、そして何よりも、殿下ご自身です」
・・・・・・それはそうでしょう。いきなり異母弟君が現れ、その方が帝位を継承などということ、たとえそれが陛下のご意向とあっても、そう簡単に承服なさるとは思えない。まして、その方の母君の家系がどうあれ、殿下から見れば、父君を奪った女の産んだ妾腹の子、なのですし」
 一同の思いを代表するように、フーバーは応えた。
「その通りです。実際、暫く前から、殿下ご自身その噂の真偽を確かめるべく配下の者達を動かしているとの報告も、わが殿は受けておいでです。
 実を申せば、わが殿こそが他のどなたよりも、その方の帝位継承を願っておいでなのだと、私は見ております。ですが、亡きネレデディル殿下のご遺志と、そして何よりも事が知れた時のエシュテート殿下のことを考えて、今までそれを一言も口にすることなく、誰にも何も告げずにご自分お一人の胸の内におさめてこられたのです。しかし、今回は陛下ご自身のご意向ということで、遂に動かれたのです」
「つまり我々の役目は、エシュテート殿下に知られる前に、帝位継承権を持つネレデディル殿下の遺児であるその方を、密かに帝都にお連れすること、ということですね?」
 フーバーは改めて念をおして確認するように、エルティングに問い質した。
「そうです」
 エルティングは頷きながら、フーバーを見、そして一同を見回した。
「念には念を入れ、決して気取られぬように帝都を出立しましたが、いつどのような所から話が漏れるかしれません。それに、殿下の配下の方々が、自力で事実を突き止めることがまったくないとは、決して言い切れないのです」
 そこまで言って、エルティングは考え込むように言葉をとぎらせた。
・・・・・・私が皆さんにお話すべきことはこれで全てです。あと私に残された役目は、王子を説得することなのですが・・・・・・、フーバー殿」
 思案顔をしていたエルティングは、意を決したように真っ直ぐにフーバーを見詰めた。
「なんでしょう?」
「先行してはいただけませんでしょうか?」
「どういうことです?」
 エルティングの意を朧ろに察しながらも、フーバーは尋ね返した。
「ここまでの道中でおわかりのように、私がこのまま同行していては、時間が掛かるばかりです。確かに、目指すエルシアは目の前ですが、しかし事は一刻を争います。こうしている間にも、もしかしたらエシュテート殿下は事態を悟り既に手勢を動かしているかもしれないのですから。そこで、これはわが殿のご指示ではなく私の独断ですが、貴方方に先に王子の許へ辿り着き、万が一の場合に備えて、王子の警護にあたっていただきたいのです」
 エルティングの申し出に、フーバーは考え込むように眉を顰めた。
「お気持ちは分かりますし、状況を考えればその方がいいのかもしれません。しかし・・・・・・。しかし、突然我々だけで行って警護をと告げて、受け入れていただけるかどうか・・・・・・
「そう仰られるのはもっともです。ですが、義兄たるガディル殿がおられる」
 そう答えながら、エルティングは先刻から黙したきり話を聞いているだけのガディルに視線を移し、それから再びフーバーに視線を戻した。
「王子を説得し帝都にお連れするのは私の役目です。しかし、こうして説明を終えた今、ガディル殿から事情を説明していただくことができます。いえ、王子ご自身には何も告げずとも、ご養育にあたっている、養父母であるガディル殿のご両親は全て承知しているのです。ですから、ルキソール公の代理として私が行くと、私の名を出してそう伝えていただければきっと理解してもらえるはずです」
 エルティングの更なる言葉に、フーバーはガディルにその視線を向けた。
 自分達ですら、事の真相に驚きを隠せないでいる。
 ところが、ガディルは単にそれだけではない。ある意味において当事者とも言えるのだ。
 しかし、王太子の立場にあるエシュテート王子側の動きに対する懸念に加え、かねてから病床に伏す帝王の健康状態を鑑みれば、一刻も早くその王子を帝都に無事にお連れするのが何より一番優先される。ガディルの心境ばかりを慮ってはいられない、というのが実情なのである。
 やがて、フーバーは意を決したようにエルティングに対して頷きながら答えた。
「わかりました、我々が先行しましょう。ですが、貴殿も一刻も後を追ってきてください」
 そしてエルティングが、わかっています、と頷くのを目の端に留めながら、今度はガディルに向かって言い聞かせるように告げる。
「ガディル、おまえも突然の話に胸中複雑とは思うが、今は一刻も早くおまえの家に辿り付くのが先決なのだ。わかるな?」
・・・・・・わかり、ました・・・・・・
 一同の者が見詰める中、ガディルは俯き、唇を噛み締めたままフーバーの言葉を聞いていたが、やがて搾り出すようにして、答えを返した。
 フーバーは暫く眉根を寄せてガディルを見詰めていたが、一つ大きく息を吐き出すとやおら立ち上がった。
「さあ、そうと決まれば出発だ、ぐずぐずするな!」
 声を張り上げて命令し、部下達に休憩は終わりだと促す。
 先行する者と後から来る者とは、どう分けるかを告げるまでもなく自ずと決まった。フーバーを隊長とする守備隊の者が先行し、エルティングを始めとするルキソール公家の者が後を追うと。
 ガディルは勿論のこと、部下達が皆騎乗したのを確かめてから、フーバーも自分の馬に跨った。そして馬上からエルティングを見下ろす。
「では、先に行きます」
「はい、私どもが追いつくまで、よろしくお願いいたします」
 フーバーは力強く頷くと、右手を上げて一言、命令した。
「出発だ」と。





 先行したフーバー達は、ほどなくエルシア地方に入り、ひたすらガディルの故郷の村を目指して馬を走らせた。
 エルシア地方は広い。
 その中で、ガディルの村は都から見て最も端に位置する。途中休憩を取りはしたものの、夜を徹して彼らは走り続けた。ただただ、一刻も早く辿り着かねばと、焦りにも似た気持ちに突き動かされながら。
 そうしてやっとガディルの村の前まで辿り着き、村の入口を示す石の柱を前にして、フーバーは馬を止め、部下達もそれにならった。
「ここから先が、おまえの育った村か?」
 フーバーは自分のすぐ後ろにいるガディルにそう尋ねた。視線はその先に向けたままで。
「はい、そうです。この道を真っ直ぐに行った村の一番奥に、俺の家があります」
 フーバーの隣へと馬を進めながら、ガディルは村の奥、まだ視界に捉えることの出来ない我が家を、そして家族──とくに義弟──を思いながら答えた。
 後方のエルティング達との距離は、フーバー等からはわからないが、既におよそ一日の差、と言えた。飛ばしたとはいえ、それが鍛えられた軍人たる彼等と、旅にすら慣れていないエルティング達との差と言える。
 エルティング達がかなり無理をしているのは、フーバーにも見て取れていた。エルティングがフーバー達に先行を、と言い出したのは、これ以上共に進むのは限界に近いと、そう判断したこともあったのだろう。
 そしてエルティングが共にいない今、フーバーはガディルの心境を思い、時間を与えてやりたいと思った。
「ガディル、先に行け」
「!」
 ガディルはフーバーのその一言に、驚いたように目を見開いて彼を見た。
「隊長・・・・・・
「半刻だ、それ以上はやれない」
 誰も異を唱える者はいなかった。
・・・・・・ありがとう、ございます・・・・・・
 ガディルは頭を下げてフーバーに礼を言い、手綱を握りなおした。そして思い切り馬の腹を蹴ると、自分の家に向かって馬を走らせる。
 
 
 後に、フーバーはこの時のことを何時までも後悔することとなる。
 ガディルの気持ちを思い、情を掛けた。それが徒となった。
 何故なら、半刻後にガディルの家に辿り着いたフーバー達一行を迎えたのは、血の臭いだったのだから。



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