東京を出てから6時間余り経っただろうか、鳴滝は「もう間もなく到着する」と、寝入っている龍麻に声をかけて起こした。
横になっていた躰を起こした龍麻は、狭い車内の中、座ったままではあったが、それでも軽く腕を伸ばし、肩周りを動かして、少しでも硬くなってしまっていた躰をほぐそうとした。
それから15分程して、車は一軒の古い旧家を思わせる、平屋建てではあるが、大きな屋敷の門の少し手前で停車した。
「悪いが、このままここで待機していてくれ」
鳴滝は運転手にそう告げると、車を降り、そのすぐ後に龍麻が続いた。
屋敷と反対の方向を見ると、円錐形の山が見える。あれが、三輪山なのだろうと龍麻は思った。
二人が門の前に立ってみると、門は閉じられていたが、鳴滝が試しに軽く押してみると鍵がかけられている様子もなく、簡単に開いた。二人は互いに顔を見合わせた後、頷きあって、そのまま中へと歩を進めた。
門を入ってから5分近くも歩いただろうか、漸く広い玄関先にたどり着いた。門から玄関までの距離だけで、この屋敷がどれだけ広大な敷地にあるのかを思い、龍麻は無意識のうちに溜息を吐いた。
鳴滝は、思い切って玄関扉のすぐ脇にあるインターフォンを押した。
『どちらさまですか?』
おそらく、この屋敷に仕えている女中だろう、すぐに女性の声が返ってきた。
「鳴滝といいます。こちらに、壬生紅葉がいると思うのですが。私はその壬生の保護者代わりの者です。彼を迎えにきたのですが」
鳴滝は、全てではないが、決して嘘はつかずに完結に事実を伝えた。暫く無言が続いた。どう対応しようか、相手は考え込んでいるのだろう。
『……確かに、紅葉様はこちらにおいでですが、こちらの家は、紅葉様のお母さまのご実家、現在の当主である奥様は、いわば紅葉さまのお祖母さまに当たられる方。紅葉様は今後はこちらに滞在されますので、迎えは無用です』
「紅葉は数日前から行方不明になり、連絡が取れない状態です。ということは、紅葉がこちらにいるということは、無理矢理連れてきたのではないですか? そして以後何の連絡も取れないということは、彼がこちらに滞在しているのは、紅葉の意思ではない。そうではありませんか? それに、紅葉の亡くなった父親は私の古い友人で、くれぐれも、奥さん、つまりはこちらのご当主のお嬢さんということになるんでしょうが、そして紅葉を守ってくれと頼まれています。それにそのお嬢さんである櫻さんからも、紅葉を実家であるこの家から守ってほしいと言われています。病院で紅葉の身を案じている櫻さんのためにも、紅葉を返していただきましょう」
『当主であられる奥様がお決めになられたことです。今後、紅葉様にはこちらに滞在していただきます。どうぞお引き取りください』
きっぱりと鳴滝の申し出を断る声に、それまで鳴滝の隣で黙って遣り取りを聞いていた龍麻が口を開いた。
「あのよ、紅葉は俺のモンなんだよ。だから返してもらいてーんだよ。イヤだっていうなら、力づくでも返してもらうから」
『あ、あなたは一体どなたです!? 紅葉様をご自分のものだ、などと、何の権利があってそんなことを! 第一、力づくでも、などと……』
インターフォンから、明らかに疑念を抱いているのであろう声が返ってくる。その一方で、室内でバタバタと何名かの人間が向かってくる足音が聞こえてきた。龍麻の「力づくでも」との声に反応してのことだろう。
やがて鍵を開ける音がして、玄関扉が開かれた。すると、そこには数人の屈強の体躯をした男たちが立っていた。
それを確認した鳴滝は、脇に身を引き、相手をするのは龍麻に任せたようだ。それを察した龍麻は、無言のままそれを了承したように、男たちに向かっていった。
男たちにとっては相手が悪かった。龍麻は古武道に通じ、氣を練ることもできる。ましてその龍麻が持つ、本来の人ならざる力を思えば、どれほど屈強な男たちといえど、ただの人間が龍麻の相手になろうはずがない。龍麻が男たちを片付けるのに、そう時間はかからなかった。
倒れている男の一人を抱き起して座り込んだ状態にさせると、鳴滝は喝を入れて意識を取り戻させた。
「さて、答えてもらおうか」そしてまだ漸く半覚醒といった状態の男に問い掛けた。「紅葉はどこにいる? 正直に答えた方が身のためだと思うがね」
「……お、奥の、屋敷の、一番奥の間に、奥様と……」
龍麻から受けた技の記憶に怯えを見せつつ、痞えながらも漸く鳴滝の問いかけに答えた。
「奥か……。先に行きます」
「ああ、私も後からゆっくり行かせてもらうよ」
鳴滝の声を後ろに聞きながら、龍麻は屋敷の奥に向かって走り出した。
その頃、屋敷の最奥、板の間のその部屋の中、三輪山に向かった壁面はまるで神社の祭壇のようになっており、その前に一人の老婦人が座り、祈りを捧げていた。
部屋の中央には一組の布団が敷かれ、そこにはまだ意識のないままの紅葉が寝かされている。
「我が主、我が神よ、長らくお待たせすることとなってしまい、まことに申し訳ありませぬ。
本来なら私の娘を差し上げるところでしたが、それは叶わず、娘の生んだ子を、孫を御身に捧げます。そしてあいにくと男子ではありますが、必ずやご満足いただけると存じますれば、それでご容赦いただきたく。
そしてできますなら、これからも我が家に御身からの豊穣のお約束をいただきたく思う次第でございます」
老婦人の言葉が終わると、それに応えるかのように祭壇の前に一つの影が浮かび始めた。
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