黄龍と蛇神 【2】




 東京から途中休むこともなく長時間に渡って走り続けた車は、目的地である、紅葉の母の母、つまり紅葉の祖母が当主だという屋敷に到着すると、一人が、車に乗せて以降、意識を失ったままの紅葉を抱き降ろし、もう一人が紅葉が持っていた鞄を持って、紅葉の祖母が待つそのとても古く大きな日本式の屋敷の中に入っていった。
 玄関口では、その屋敷に長く仕えていると思われる老人が「奥様がお待ちでいらっしゃいます」と告げて出迎えた。
 その言葉を受けて、二人は、屋敷の奥に進んだ。紅葉の祖母のいる部屋へと。
 紅葉の鞄を持った方の一人が、その部屋の前の障子の前で膝をつくと、中へ向けて声を掛けた。
「遅くなりまして申し訳ございません。若君をお連れいたしました」
「おお、やっと着いたか。待っておったよ。早う入りや」
 中からそうとう齢がいったと思われる婦人の声がして、男は障子を開け、紅葉を抱えたもう一人が先に部屋に入り、声を掛けた方は後から入って障子を閉めた。
 未だ意識の戻らない紅葉は、静かに、丁寧に、その部屋の奥に座した、この屋敷の当主たる和服姿の老婦人の前に降ろされた。血の為せる技だろうか。齢は離れていてもその面差しはやはりどこか紅葉に似ていると思われる部分がある。その紅葉に老婦人がにじり寄り、そしてそっとその頬に手をあて、撫でる。
「おお、おお、なんと綺麗な子じゃ。これなら男子(おのこ)であってもあの方にもご満足いただけるじゃろう。部屋を用意してある。儀式の日まで、そこで眠らせておおき。起きられて騒がれても面倒じゃ」
「御意」
 男が再び紅葉を抱きかかえて部屋を出ると、そこには女中の一人が、当主が用意したという部屋へと案内すべく、既に控えて待っていた。



 それから数日後、拳武館高校の館長である鳴滝の元へ、龍麻から電話が入った。
『ここ数日、紅葉と連絡取れねぇんだけど、あいつ、今、何か仕事に入ってるのか?』
「紅葉が? 卒業までもう日もないし、特に急を要することがない限り、暫く前から仕事は入れないようにしてある。だから今も何も入っていないはずだが。本当に連絡が取れないのか?」
 龍麻の問いに、鳴滝は現状を伝えつつも問い返した。
『ああ、数日前に会う約束になってて、でも急用ができたから会えないって如月のところに連絡が入ったのが最後だ』
「わかった、調べてみよう」
 龍麻の述べたことは、鳴滝からしてもあってはならないことだった。いついかなる状況においても必ず連絡を取れるようにしておくこと、これは拳武館の暗殺組に属する者にとっては当然のことである。たとえ卒業を控えた時期であったとしても。
 さてどうしたものか、と鳴滝が考えているところに、また電話が入った。今度は、紅葉の母が入院している病院の看護師から、その母親の頼みでの言伝だった。
『紅葉が、昨日、来ると約束していたのに来なかったんです。約束が守れない時は必ず連絡を入れてくれているのに、今回はそれがありませんでした。こんなこと、これまでのあの子からは考えられません。それに、このところあの子のことで夢見が悪いんです。あの子に何か悪いことが起きているのではないかと思えてならないんです。知っていたら教えてください。知らなかったなら鳴滝さんから連絡を取るか、もしも万一取れない場合は調べていただくことはできませんか。もしもあの子に何かあったらと思うと……。それに、なんとなくですけど、夢見の状況から考えると、私の実家が動いているような気がしてならないんです。もし本当にそうだったら、私は……』
 看護師は、紅葉の母親はそう言って言葉を詰まらせていたと告げた。
 それを聞いた鳴滝は、常の彼らしくもなく慌てて龍麻に連絡を入れた。
「龍麻か。紅葉からの、急用、といった内容について何か聞いていないか?」
『内容? 俺も又聞きだし、如月も詳しく聞いたわけじゃないらしいけど、確か、“母方の実家の件”って言ってたとか』
「!? 龍麻、今どこにいる!?」
『今? 自分の部屋だけど』
「直ぐに来てくれ。多分、紅葉の居場所は分かる。そして何が起きようとしているのかも。それを防ぐためには、紅葉を守るためにはおまえの力が必要だ。急いでくれ、時間がないっ!!」
 電話を切った龍麻は、鳴滝の言葉から、紅葉に身に何かただならぬことが起きかけているのだと察して、ジャケットを手にすると急いで部屋を飛び出した。
 その一方で、鳴滝は紅葉の母親が入院している病院に電話をかけた。先に電話をかけてきた看護師に、伝言を頼むために。
「大凡の見当はつきましたので、これから詳細を調べて、分かり次第ご連絡差し上げます。きっと無事に連れ戻します。そう伝えてくれたまえ」
『はい、分かりました』
 紅葉の母親が入院している病院は拳武館の息がかかっている。ましてやその関係者である紅葉の母親の担当となっている看護師ともなれば、半ば鳴滝の子飼いも同然だ。詳しい状況は分からぬまでも、大凡の察しはつけたのだろう。短く応えて電話を切った。
 鳴滝と紅葉の父親は大学の同期であり、進んだ道は全く違ったが、親しい友人だった。その彼から、彼の妻、紅葉の母親とその家のことは色々と聞いていた。そして紅葉がまだ幼い頃、その友人は若くして事故で亡くなったのだが、連絡を受けて病院に駆け付けた時はまだ辛うじて意識があり、頼まれたのだ。彼の妻の櫻は病で入院しており、幼い紅葉は友人の実家の母親が、老いたとはいえまだ健在であったことからそちらに預けられており、二人ともその友人の運ばれた病院には来ていなかった。
「櫻の、……妻の実家から、何かあったら、なんとしても、櫻と、紅葉を、守って、くれ。おまえなら、できる、はずだ。頼む! 二人、を……」
 それが友人の最期の言葉であり、遺言となった。以後、鳴滝は友人にかわって二人を見守ってきた。後に紅葉は鳴滝の愛弟子となり、拳武館の暗殺組に入り、友人が危惧していたこととは別の危険性を持つにいたり、さらには龍麻の影として、人ならざる者との戦いに身をおくこととなって、逆に危ない目に合わせてしまっているという引け目があったのは否定できない。しかしだからこそ、友人が危惧していたものからはなんとしても守らねばと思い、今日まできたのだ。
 そして今、朧げではあるが、その友人が危惧していたことが現実となろうとしている気配が濃厚だ。なんとしても、その今は亡き友人のためにも、そして、もしそれが実行されてしまった場合、それを知った紅葉の母親がどうなるか、それを考えた時、どうしても、例えどんな手段をとっても紅葉を救い出し守らねばと鳴滝は思い、龍麻の到着を待った。





【INDEX】 【BACK】 【NEXT】