「緋勇君……、どこなの?」
少女の髪に触れる直前に、ふいにかけられた声に龍麻はその手を引っ込めた。少女も、その声に我に返ったように先ほどから真っ直ぐに見つめ上げていた龍麻から視線を逸らした。
「あの……、ヘンなこと言ってごめんなさい。また……、会えるといいですね。それじゃあ……」
そう言って軽く頭を下げると、少女は名も告げぬままに走り去る。その背を見送っていると、声をかけてきた美里が龍麻の元にやってきた。
「緋勇くんっ、良かった……。いつの間にかいなくなっちゃうから……。みんなも待ってるわ、行きましょう」
去っていった少女を気にかけながらも、美里に促されるままにいくと、大通りから一歩入った路地の坂道で蓬莱寺たちが待っていた。
「もうっ、緋勇クンッ、どこ行ってたんだよ。……あれ? なんかイイ匂いがする。緋勇クン、香水なんて使ってたっけ?」 嗅覚が良いのだろうか、おそらく少女とぶつかった時に僅かに彼女のつけていた香りが移ったのだろうそれを、桜井が指摘した。
「本当だ……」
桜井の台詞に、蓬莱寺がクンクンと龍麻の匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。
「おまえ、俺たちとはぐれてる間に何をしてやがったっ!! さては、どこぞに可愛いお姉ちゃんでもいたんだな!? どうして俺も呼んでくれなかったんだよぉ」
「あのね……、そういう問題じゃないだろ!? まったく── 。葵もなんか言ってやんなよっ」
「別に、私は……」
美里が何かを言いかけて躊躇った時、まさに布を引き裂くという表現がぴったりの女の悲鳴が響き渡った。
「きゃあああぁぁぁっ!!」
「今のは……?」
いっせいに声のした方に視線を向ける。
「聞こえた……、聞こえたぜっ、俺の耳にはハッキリと……、お姉ちゃんが助けを求める声がなあっ!!」
そう叫ぶなり、蓬莱寺は駆け出していた。
「あっ、ちょっと京一っ!!」
「私にも聞こえたわ、あそこの路地の方よっ」
「よしっ、俺たちも行こう!!」
醍醐の声に、残った四人も蓬莱寺の後を追った。
「きゃあああぁぁぁっ!! 助けてっ、誰かっ!!」
女の助けを求める声が、切迫したものとなってくる。
「助けてっ!!」
声を頼りに駆けつけると、一人の女性が数羽の鴉に襲われていた。
「鴉が……。遠野の言ってたことは本当なのか……」
「そんなこと、今は言ってる場合じゃねぇ!!」
女性の元に駆け寄り、彼女に襲い掛かっている鴉たちを打ち倒していく。
10分程経った時、彼らの足元には数羽の鴉の死骸が転がっているだけだった。
「どうやら、片付いたようだな」
「お嬢サン、大丈夫ですか?」
蓬莱寺が常日頃の粗暴さを隠して女性に尋ねる。
「えぇ……、ありがとう」
「ボクたちがたまたま近くにいてよかった」
「貴方たち……、ずいぶん強いのね。それにその制服……。まだ、高校生でしょ?」
乱れた髪を整えながら、女性は五人に視線を向けて礼を述べ、それから聞いた。
「はははっ、高校生活も何かと物騒ですからね」
「ふふふ……おかしな子ね。そうだ、これ渡しておくわ」
蓬莱寺の答えに笑いながら、そう言ってバッグから取り出した名刺をそれぞれに手渡す。
名刺には、『ルポライター 天野絵莉』とあった。
「天野 絵莉……さん」
「ルポライター……ってことは、もしかして何かを調べてる途中ですか?」
「まぁ、そんなところね。助けてくれて本当にありがとう。何か、お礼しなくっちゃね。とりあえずその辺でお茶でも、どう?」
「礼をしてもらうほどのことをしたわけではありませんから」
「そう……、残念ね」
龍麻がさりげなく断るのに、蓬莱寺は不満そうな顔を見せて何かを言いかけるのに、醍醐が先にそれを制した。
「すみませんが、俺たち、急ぎの用事があるんです」
「……そうだよね。せめて暗くなる前に代々木公園に着かないとさ……」
「桜井っ!!」
桜井が醍醐に同意し更に言葉を続けるのに、醍醐は余計なことを言うなというように、醍醐は思わず怒鳴っていた。
「あっ── 」
それにまずったというように、桜井が慌てて口元を抑える。
「代々木公園って……、貴方たち、今あそこがどういう状況か分かってるの!?」
代々木公園── その名に、天野の形の良い眉が顰められている。
「やっぱり、貴方も鴉を追ってるんですか?」
「貴方も、って── 貴方たちは……何を?」
訝しげに、天野は五人の顔を見比べていく。何をしようとしているのか、何を言っているのか見極めようとして。
「馬鹿、京一っ」
「あー、えーと……」
「鴉って言ったわね。まさか、貴方たちも── 」
「ちっ、バレちゃしゃーねぇ。もちろん、人喰い鴉を退治に、さ」
さっきまでかっこつけていたのを忘れたかのように、それともいつまでもかっこつけてなどいられなくなったのか、蓬莱寺の口調はいつものものに戻っていた。
「今まで半信半疑だったんですが……、貴方が襲われているのを見て確信が持てました。この街に起こっている事件は、その……」
「普通じゃないってこと?」
「── そうです」
「貴方、自分が何を言ってるか分かってるの? 鴉が人を襲って殺すなんてありえないわ」
「鴉たちは、明らかに殺意を持ってました……。それに、さっき鴉以外に感じた気配は── 」
「あぁ……。あんな気を発するヤツは少なくとも正気じゃねぇ」
「何が言いたいのか、分からないけど── 、これは、警察の言うように変質者か、通り魔の犯行よ。第一、鴉だの何だのなんて誰が信じるっていうの?」
天野がこの件に関わってから鴉に襲われるのはこれがはじめてではない。二度目だった。そこに何らかの犯人の意図を感じる。それを考えれば、どういった経緯から彼らがこの件に関わり、そのような考えに至ったのかは不明だったが、彼らをこれ以上この件に関わらせるのは賢明ではない。常識的な受け答えをして、彼らをこの場から立ち去らせるべきだろうと思う。
また、彼らが告げている内容は、確かに自分でもそうではないかと思っていることではある。だが、それを一体誰が信じるというのだろう。実際のところ、自分でも信じられないのだ。いや、信じたくないと言った方が正しいのかもしれない。そんな考えを持ってしまった自分に、そんなことは有りえないと言い聞かせる意味も意味もそこにはあった。
「……しかし、貴方もそうは思っていない。俺たちと同じように……。違いますか? 天野さん」
「…………。まったく、最近の高校生には驚かされるわ……。私も年をとるワケね」
「へへへっ、ダテに修羅場はくぐりぬけてねぇからね」
彼らの受け答えに、下手な説得は効かないと、天野は納得するしかなかった。
「ふふふっ。いいわ、話を聞きましょ。お互い、いろいろ情報があるでしょうし。ねっ」
「へへへ……。そうと決まれば、さっそく── 」
そう蓬莱寺が言いかけた時、どこからか不気味な笑い声が聞こえてきた。
『ククク……』
それと同時に、キーンという、金属音のような、なんとも言えぬ音が聞こえる。いや、それは違う。それは直接頭の中に響いてくるのだ。
『僕や奴の他にも《力》を持った人間がいたとは……』
「なっ、なに、この音っ!!」
「くっ、耳鳴りがする……」
「何者だっ、姿を見せろっ!!」
どこかで鴉の鳴き声がした。
『ククク……』
「もしかして、てめぇが鴉どもを……」
『僕の名は、唐栖 亮一── 』
「貴方……、貴方は一体、何者なの?」
見えない相手の、どこからとも知れぬ声に天野は辺りを見回しながら詰問する。
『ククク……。貴方は、無事だったんですか、残念だ。貴方を十人目の犠牲者にしてあげようと思ってたのに』
「貴方が── 、遣ってやったの?」
『だとしたら、どうします? 記事にしてみますか? クックックック……。したければ、どうぞ……。どうせ、誰も信じはしない』
その声の主── 唐栖の言うことは、わざわざ言われなくても分かっている。だからこそ、天野は苦慮しているのだ。
「貴様っ、一体何が目的なんだっ!!」
『クククッ……。地上を這いずる虫けらに、神の意志が理解できるはずもない』
「神の意志……だとっ?」
『そう……。僕に、この素晴らしい《力》を授けてくれた神さ……。鴉の王たる《力》を授けてくれた……ね。僕は逃げも隠れもしない。待っているよ、代々木公園で……。クックックッ……。では── 』
それきり、声は聞こえなくなった。頭の中に響いていた嫌な音も、同時に。
まるで彼らを挑発するかのように、鴉の鳴き声が辺りに響き渡る。
「ちくしょーっ、出てきやがれっ!!」
「どうやら、かなり普通じゃないのが出てきたな。これから、どうすべきか……」
「そんなの、決まってんだろっ!? あんなイカレタ野郎、野放しにしておけるはずがねぇ。代々木公園に乗り込んで、ブチのめすだけだっ!! なぁ、緋勇?」
同意を促す蓬莱寺に、龍麻は答えない。ただ、代々木公園の方にじっとその視線を向けていた。
「どうした、緋勇? なに無視してんだよっ」
龍麻が何も答える気がないと分かると、蓬莱寺は醍醐に質問を振った。どうするのかと。
「遠野には悪いが、ここは俺たちで片をつけるべきかもしれんな」
「そうこなくっちゃ!! だって、ほっとけないよね。あんなの……。ボクたちがなんとかしなくちゃ」
「まぁな……」
「このまま見過ごすわけにはいかなくなってきたか」
「……貴方たちは……、一体……」
彼らの遣り取りに不思議なものを感じる。この子たちは一体何なのだろう、何を知り、何をしようとしているのだろうと、天野の中に疑問が湧いてくる。
「えぇっと、なんて言やぁいいのかな……」
「私たちは、ただ……、私たちなりに、東京を護りたいと思っているんです……」
うまい言葉が見つからなくて言いよどんだ蓬莱寺の台詞を継いで言った美里に、蓬莱寺が相槌を打つ。
「おっ、いいこと言うねぇ、美里」
「でも、貴方たちは高校生でしょ? そういうのは、警察や大人たちの── 」
「子供が……と思われるかもしれませんが……。みんな、友達や愛する人の住む街を護りたいという気持ちは同じだと思います……。私たちの《力》だって、そのためにあるような気がするんです……」
「《力》って、さっき鴉たちを倒した……?」
「あぁーっと、つまり── 、俺たちも事件解決の手助けができればなーってコト」
「あの子も、同じような事を言ってたわ……」
「あの子?」
美里や蓬莱寺の言葉に、天野は何かを思い出すかのように言葉を綴る。
「実は、鴉に襲われたの、これで二度目なの。一度目に助けてくれたのが、金髪の男の子だった。もう代々木公園には近付くなって言われたわ」
「誰なんだろ、その男の子って」
「分からないけど、あなたは一人で闘うつもりなのって聞いたら、自分は自分の持っている《力》でこの街を護ってみせる、って、そう言ってたわ……」
「自分の持っている《力》で……?」
自分に何かを言い聞かせるかのように、美里は天野の言葉を反芻しつつ聞き返した。
「そう……。ふふふっ。その子、なんだかあなたたちに似てたわ。私には、貴方たちみたいに体を張って闘うことは無理だけど、代わりに、私のもってる情報を提供させてもらえないかしら?」
天野の申し出に、醍醐たちは顔を綻ばせた。が、
「情報、と言っても、さっきの唐栖亮一についての情報をお持ちのわけではないでしょう? 戦うべき相手は鴉ではなく、それを操っている唐栖亮一です。彼についての情報でなければ、聞く意味はない」
先刻から殆ど口をきかず、ずっと遣り取りを聞いていただけの龍麻の意見に、蓬莱寺たちは不満の声を上げ、天野は残念そうな顔をしながらも、頷いていた。
「……確かに、君の言う通りね。……あの唐栖って子が何を考えてるかは分からないけど、あの口振りからして、単なる快楽殺人ではないのは確かね。彼は彼なりの正義のもとに行動しているんだと思うわ」
「そんなっ……、だからって、人を殺していい理由にはなんないよっ。他人の命を奪っていい権利なんて誰にもないんだからっ!!」
「……そうだな。桜井の言う通りだ。だが、例え天野さんがこのことを公表したとしても、誰も……少なくとも、警察は信用しないだろう」
「だから、俺たちがやるしかねぇのさ。さ、そうと決まれば、代々木公園へ行くとしようぜ」
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