鴉 - 2




「で──
 汁を最後まで啜って満足したらしい蓬莱寺が、先ほどの遣り取りを忘れたようにその視線を遠野に向けた。
「頼みってのは、なんだよ、アン子。まっ、どうせ今だって、くだらねぇ事件に首でも突っ込んでんだろーがな」
「くだらないとは失礼ねっ!! あんた、少しは新聞くらい読みなさいよねっ」
「渋谷の事件でしょう?」
 遠野が取り出した新聞から該当する記事を示す前に、龍麻が口にした。
「あら、分かる?」
「だいたいの見当は。でも、本当にそうなんですか?」
「もちろんっ。けど凄いわね、あたしまだ何も言ってないのに分かるなんて。ねぇ、新聞部に入らない?」
「申し訳ありませんが、それは謹んで辞退させていただきます」
 苦笑を浮かべながら答える龍麻に、遠野は小さく舌打ちした。
「やっぱりダメかぁ」
「で、その渋谷の事件てなんなの?」
「ほら、これ!!」
 問い掛けに、出した新聞の中から該当する記事の部分を指し示した。
「なになに── 『渋谷住民を脅かす謎の猟奇殺人事件、ついに九人目の犠牲者』……って、これのことか?」
 遠野が頷くのを確認して、蓬莱寺は尚も記事を読み進める。
「全身の裂傷と、眼球の損失、内臓破裂……ひでぇなこりゃ」
「そういえば……、その事件って確か、現場には必ず、鴉の羽が散乱してるんじゃなかったかしら」
「まさに猟奇的といった感じか……」
「まさか……、この殺人犯を捕まえるのを手伝えっていうんじゃないだろうね!?」
 桜井は嫌な予感を覚え、できれば否定してくれと願いながら尋ねた。
「うーん。近いけどハズレ。だって、捕まえるのは公僕の仕事でしょ。新聞部(あたし)の仕事は、事件の真相を究明することよ」
「どっちだって同じようなもんじゃねぇかっ」
「だが、これは殺人事件として警察が捜査をしているんだ。我々一般人が── それも一介の高校生が首を突っ込むべきことではないと思うがな」
「相変わらず堅いわねぇ、醍醐君は。それに安易に猟奇的、なんて言葉で片付けてほしくないわ。みんなこの前の事件を忘れたの? 旧校舎に巣くう化け物、刀を持った殺人鬼……。そんな不可思議(おいしい)事件を警察にまかせておけると思う?」
 畳み掛けるように意見を述べる遠野に、醍醐は返す言葉もない。
「おいしい……って、おまえな……」
「まぁ、とにかく、あたしの話を聞きなさいよっ。鴉の嘴や爪は猛禽類に劣らないほどの鋭さだから、肉や皮を切り裂くくらいわけないわ。そしてね、今回の事件は、鴉の捕食行動との共通点が多すぎるのよ。例えば、死体の眼球が損失している所とか、ね」
「…………つまり、カラスが人を襲って、喰べてるってコト? そんなこと、あるわけないよ。ねぇ、緋勇君」
 桜井は遠野の言うことが信じられなくて、否定してほしくて、隣にいる龍麻に問い掛けた。しかしその願いは簡単に退けられた。
「そうとは限りません、というより、今回の事件に関して言うなら、その確率の方がはるかに高い」
「なんだよっ、緋勇君まで。本当にそんなこと、あると思ってんのっ?」
「鴉は人間をも上回る雑食性の生き物なのよ。栄養となるものなら、牛の糞から車に轢かれた猫の死体まで、それこそ何でも喰べるんだから。あたしの推理が正しければ、犯人はおそらく── 鴉よ」
「えっ……?」
「そのままじゃねぇか……。いくら現場にカラスの羽が落ちてるからって、そりゃあねぇだろ。あまりにも短絡的だぜ……」
「馬鹿にしないでよっ。あたしだって、色々考えて出した結論なんだからっ」
「だが、鴉のやり方を模した人間の仕業だとも考えられる」
「そう、あたしの懸念もそこなの。これは明らかに捕食というよりも殺すことを目的としてる。
 逆に、これをやったのが鴉だとしたら、大変なことになるわ。現在、都心に暮らす鴉はおよそ二万羽……。この鴉たちが、いっせいに人間を襲うようになったら……」
 桜井は想像しかけて、その恐ろしさに思い切り首を振った。
「そっ、それは……いくら何でも、考えすぎだよ……」
「それは分からないわよ」
「つまり、それを確かめるのに俺たちの力が必要ってことか」
「そういうこと。けど、女の子ひとりじゃあ、なにかと物騒じゃない? だから、一緒に来てくれないかなぁ、なんて── ねっ」
「けどよぉ、一つだけ気になるんだがな。たとえば、この事件が本当に鴉の仕業だったとして、鴉は、自分たちの意志で人間を襲ってるのか……? もしかして──
 蓬莱寺の疑問に、遠野が感心したように返す。
「相変わらず、そういうとこは鋭いわねぇ、京一」
「どういうことだ?」
「つまり、どこかに鴉を操ってる奴がいるんじゃねぇか、ってことさ」
「誰かが鴉を使って人を襲ってるっていうの?」
 醍醐や桜井にしてみれば、先ほどから交わされる話は、信じがたいことばかりだ。普通じゃない、そんなことありえない── そう思う。が、それが普通の反応だろう。
「その可能性もあるってこと」
「俺はどっちかというと、そのほうが気になるぜ」
「その人は……私たちのような《力》を持った人かもしれない……」
「そうね……。そう考えれば、みんなにも、無関係とはいえないわよね?」
「まったく、調子のいいことを言ってくれるよ」
 そう答えながらも、美里の言い出した内容に、もしそうならば有りえない話とはいえなくもないと、そう思う。
「渋谷はこの新宿と隣り合わせ、いつ他人事でなくなるか、分からんのも確かだな」
「なら、決まりねっ」
「そうだな── 。渋谷に行ってみるしかないか」
 醍醐と蓬莱寺の言葉に、これで同行してもらうのは決まりと、嬉しそうな声を上げた。が、それも醍醐の次の科白までだった。
「だが、遠野。おまえを連れて行くわけにはいかん」
「な、なんでよっ!? これはあたしが追ってる事件(やま)なのよっ!!」
「まぁ、そう言うな。相手の正体がわからない以上、おまえを連れて行くのは危険すぎる。本当は」視線を遠野から残る女性二人に向けて「美里に桜井、おまえたちにも残ってほしいところなんだが──
「醍醐くん……」
「あのねぇ、ここまできて急に仲間ハズレなんて納得いかないよ」
「私……、ずっと考えてるの……。私の《力》は一体何なのか、一体何のためにあるのか……。みんなと一緒なら、きっとその答えがみつけられる、そんな気がするの……。足手纏いにならないようにするから……、だから、お願い……、私も連れていって。緋勇くん……」
 美里は縋るように龍麻を見た。
「……僕も醍醐くんに賛成です。連れていきたくない」
「私、絶対足手まといになったりしないから……」
「いいじぇねぇか、緋勇。美里だってもう子供じゃねぇんだ。それによ、いまさら一人だけ置いていかれるなんて美里だって、納得できないだろうぜ。一緒に行こうぜ、美里。緋勇もいいだろ?」
「僕はごめんです」
「ねえ、緋勇君。キミが心配なのはわかるよ。でも少しは葵の気持ちも考えてあげなよっ。友達じゃないかっ」
「勘違いされては困ります。僕が連れていきたくないというのは、あいにくですが心配しているからじゃありません。邪魔をしてほしくないからですよ」
「邪魔って、邪魔ってなんだよっ」
 龍麻の声に、桜井は思わず立ち上がっていた。
「葵は足手纏いにはならないって、言ってるじゃないか! それをっ……」
 興奮している桜井とは対照的に、龍麻は冷静に静かな目で彼女を見上げた。
「足手纏いにならないと、そう言えばならずにすむんですか?」
「そ、それは……っ」
「先日のことだってそうでしょう。美里さんが勝手な、考えのない行動をとらなければ、君たちが危険な目にあうこともなかった」
「……わ、私……」
 龍麻の言葉に、美里は立つ瀬が無いというように躰を縮こまらせる。
「葵……」
「まっ、いじゃねぇか、緋勇。みんなで行こうぜっ」
「……勝手にすればいいでしょう。そのかわり、どうなろうと僕は責任は持ちませんよ」
 龍麻はそう言って立ち上がると、先に行きます、と一足先に店を後にした。
「……ったく。醍醐も文句ねぇだろ?」
 その姿を見送ってから、蓬莱寺は醍醐にも確認する。
「あ、ああ……、仕方ないな。美里も桜井も、くれぐれも無理はするなよ。遠野もいいな? 何か情報を得たら、必ず連絡する」
「ちぇ……、分かったわよ。あたしは学校で待機してるわ」
「さてそうすっと、とりあえずどこに行けばいいんだ? って、緋勇のヤツ出てっちまったけど……」
「緋勇くんなら、どこへ行けばいいかたぶん承知してると思うわ。で、代々木公園へ行ってみてくれる? 代々木公園はもともと都心に暮らすカラスの半数以上が寝床としてるの。最近になって、更に数が増えたっていう噂があるわ」
「なにか……手がかりがあるかもしれないね」
「そうだな……。さてと、それじゃあ、行くとするか、渋谷へ──
「あたしの代わりに、ちゃんと特ダネ掴んできてよねッ!!」
 遠野の声を背に、四人は龍麻の後を追うべく、遠野を残して急ぎ足で店を出た。
 ラーメン屋── 王華を出た後、新宿駅に着く前に龍麻に追いついた蓬莱寺たちは、共にJR山手線で渋谷駅に着いたが、渋谷駅周辺には相変わらず学校帰りの学生たちが多く集まり、賑わっていた。この渋谷で起きている事件も、彼らには関係ないかのようだ。
── ここも相変わらず騒がしい街だな」
「うむ。人も結構出ているな。街にはそんなに変わった様子はないようだ。とりあえず、このまま代々木公園まで歩いてみるか」
「そうだな。おっ、信号が変わる、走ろうぜっ」
 そう蓬莱寺が告げて、横断歩道を渡っていく彼らを別に、龍麻は何か琴線に掛かるものがあって、一人、その場に佇んでいた。
 ── なんだ、これは……? この感じは……。
 それが何なのか、辺りを見回していると、ふいに、ドンッと、何かがぶつかってきた。
「キャッ!!」
 慌てて声のした方を見ると、一人の女子高生が転んでいた。その際にぶつけたのだろう、手で腰の辺りをさすっている。
「痛たた……。ごめんなさい、ボーッとしてて。お怪我はないですか?」
 手を貸して立たせてやると、謝りながら龍麻に聞いてきた。
「大丈夫です。それより、君の方こそ……」
「そうですか……、よかったぁ。私も大丈夫、たいしたことないです」
 痛むのだろうに、笑いながら少女は答えた。
「本当にごめんなさい、ちょっと考え事をしていて……。ぼんやりしてた私がいけなかったんです」
「いや、僕も考え事をしていて……。気が付きませんでした」
 一緒ですね、と少女が笑う。その少女を前に、龍麻は、ああ、そうか── と、自分の心に触れたものが何だったのか分かった。彼女の中に流れる血に、同じ血族の血に反応したのだと。それは本当に微かなものだったけれど。
「でも、よかった。あなたに怪我がなくて……。あの……」
「何か?」
「あの、よかったら、お名前を教えて頂けますか?」
 少女が俯き加減に頬を染めながら聞いてくるのに、龍麻は優しい微笑みを浮かべながら答えた。
「緋勇龍麻、です」
「緋勇龍麻……、さん……」
 確認するように、少女がその告げられた名を反芻する。
「……あっ、ごめんなさい。おかしいですよね、はじめて会ったはずなのになんだか、昔、どこかで…………」
 会ったことはない、けれどおまえの中に流れる血がそう感じさせるのだと、龍麻はまだそれを口にすべきではないと思いながら、愛しげにその手を差し伸べた。
「……私は……」





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