花見の日から数日後の放課後、龍麻はマリアに呼ばれて職員室へと足を向けた。
「緋勇クン、偉いわね。チャンと来てくれて嬉しいわ。他のセンセイはいないから、適当に座って」
 マリアに促され、龍麻はマリアの隣の席の椅子に腰を降ろし、マリアと向かい合った。
「フフフッ。ところでどう、緋勇クン、学校生活は楽しい?」
「正直なところ、楽しい、とはいささか言い難いですね」
「理由を聞いていいかしら?」
「疲れるんですよ。彼らに付き纏われて、一人になることもできない」
「か、彼らって、蓬莱寺クンたちのこと?」
 龍麻を目の前に、マリアは戸惑っていた。
 今自分の見ている龍麻は、本当に同じ緋勇龍麻なのだろうかと。
 醸し出す雰囲気が違う。普段はとても穏やかで優しげな好印象だ。それが、今はとても冷たい。冷めた感じだ。確かに同じ人間でも、その時の感情や状態で多少は受ける印象が変わることはあるだろう。だがこれは違う、そのレベルを超えていると思う。これが同じ人間なのだろうかと思わず疑うほどに、違う。
「……緋勇クン……。そ、そういえば、この前の刀、どうしたの? 私たち失念していたけど、あなたが持ち帰った、のよね」
「あれなら、処分した。もう二度と人間(ひと)の目に触れぬところに、決してその手に渡らぬように。あれは、毒だ。普通の人間があれを持てば、たちまち憑かれる。あの時の男のように」
「あなたは、大丈夫だったの?」
「あの程度のもの、抑える術もあるし、それ以前に私には効かない」
 互いに椅子に座って、視線の高さはそう変わらない。にもかかわらず、マリアは龍麻に見下ろされているような感覚を覚えていた。そしてその感覚を拭うことができない。
 龍麻は静かに立ち上がった。
「緋勇クン……」
 それにつられるように、マリアも立ち上がる。
「一つ忠告しておこう。おまえの望みが叶うことはない。人間たちは── おまえも、そしてあの男も含めて、大きな勘違いをしている。あれ(・・)は、おまえたちが考えているようなものではないし、私も、おまえたちが思っているような存在(もの)ではない。諦めて、おとなしく故郷(くに)に還ることだ。その方がおまえのためだ」
 そこまで言って、龍麻はマリアの瞳に真っ直ぐに合わせていた視線を一瞬外して、それから戻した。纏う雰囲気をも変えて。
「他にまだ何か?」
「えっ? あ、……わ、私、何を……」
「もう失礼してもいいですか?」
 自分は今まで何をしていたのだろうと、記憶が繋がらない。
 龍麻と向かい合って座って、学校生活のことを尋ねて、それから……? 何気なく時計に目を向ければ、さして時間が経ったわけではない。が、何かが抜けている。
「先生?」
「……ああ、ごめんなさい」
 マリアは、躰がほんの少し震えているのを自覚していた。何か恐ろしいものを見たあとのように。
「……ヘンなことを聞くようだけど緋勇クン……」
 気分を変えるように、マリアは質問を変えた。
「アナタ、年上の女性は好き?」
 いきなりの教師らしからぬ質問に、龍麻は僅かに目を細めた。
「嫌いでは、ないですよ。それが美しい女性であるなら、尚のこと」
 苦笑のような小さな笑みを浮かべながら答える。
「…………ごめんなさいね。ヘンな質問して。ありがとう、もう、帰っていいわ。気を付けてね。最近は、この新宿(まち)も物騒だから。さようなら」
 教室に戻った龍麻に、待ってましたとばかりに蓬莱寺が声をかけてくる。
「おっ、帰ってきたぜ。どこ、行ってたんだ? 一緒に帰ろうぜ、緋勇。ついでにラーメンでも食ってよっ」
「一人でどうぞ」
「なんだよ、付き合いわりーな。おまえだって腹減ってんだろ? いいから、行こうぜっ。── おっ、おい、小蒔、おまえもラーメン食いに行かねぇか?」
 蓬莱寺は龍麻の返事を待たずに近くにいた桜井にも誘いをかけた。
「……え? ボク……遠慮しとくよ。京一と緋勇クンで二人で行きなよ」
 一瞬躊躇って、それかららしくもない表情で誘いを断る桜井に、蓬莱寺は怪訝な顔を向けた。
「どうした、小蒔。おまえがラーメン屋を断るなんて、こりゃあ雪でも降るか」
「大きなお世話っ。とにかく、ボク行かないから。代わりに、葵でも誘いなよ」
「あら……、どうしたの、小蒔」
 自分の名前が出たことに気が付いた美里が、彼らに歩み寄ってきた。
「おっ、ちょうどよかった。美里、おまえもラーメン食いに行かねぇか?」
「あ……、ごめんなさい。私、今日は……」
 俯き加減に、申し訳なさそうに断る美里に、蓬莱寺は桜井が断ったときには茶化したのとは対照的に、至極残念そうに素直に受け止める。
「そっか……。残念だな」
── よお、おまえら、揃って何の相談だ?」
「あっ、醍醐クン」
「よお、醍醐。一緒にラーメン食いに行かねぇか?」
「あぁ。俺は別にかまわんが……」
 醍醐は答えながらそれぞれの顔を見回して、美里と桜井の浮かない顔に首を傾げた。
「なんだ? おまえら、行かないのか?」
 煮え切らない態度に、醍醐は二人の顔とその視線の先にある龍麻の顔を見比べた。
── ふむ。どうやら緋勇、おまえに原因がありそうだな」
「だったら、なおさらみんなでラーメンを食いに行くべきだな。みんなで飯食って、機嫌直そうぜっ」
「……そうだね。うん。ボクも行くよ」
「そうね……私も行くわ」
── よし、決まりだ。おまえもいいな? 緋勇」
 龍麻は冗談ではないと思う。そしてなぜいつもこうなのかと。自分は最初から同行する気はないと告げているのに。なのに彼らは決め付けるように、強制するかのような物言いをしてくる。
「遠慮します」
「……まあ、そう言うな」
 拒否の言葉を告げているにも関わらず、一緒に行くものと決めてかかってくる。
 そしてさあ出ようと蓬莱寺が促した時、ガラッと、教室のドアが開き、駆け込むようにして遠野が入ってきた。
「ちょおっと待った── !! そこのいつもの五人組〜、ちょっとでいいからあたしの頼みを聞いてみない〜?」
 五人組── と言いながら、遠野はまず龍麻にその視線を向ける。
「さあ、どうしたものでしょうね」
 もう遠野のこの態度には慣れたとばかりに、苦笑しつつ答える。何かと自分の意見を押し付けてくる感のある醍醐や蓬莱寺に比べれば── 遠野にもそれがないわけではないが、単に自分の好奇心を満足させることに忠実なのだと思えば、ずっといい。
「ちょっと、何も悩まなくたっていいじゃないのよ。もういいわ。ねっ、他のみんなは?」
「聞きたくない……」
「俺も同感。おまえの頼みをきくと、絶対にロクなコトにならねぇ気がする」
 次々と拒否されて、遠野は困ったような顔をする。そして醍醐の
「俺たちはこれから、ラーメン屋へ行くところだし……」
 の言葉に、
「分かったわっ!! あたしがみんなまとめてラーメン奢ってあげる。だからあたしの話を聞いてちょうだい!」
「おまえが人にものを奢るなんて珍しいな、遠野」
「人聞き悪いわね……。でもまぁ、それだけみんなの手が借りたいってことよ」
「なんだよ、なんだよ!! それならそうと最初から言えよ。水臭ぇなあ、アン子。なぁに、どんなモメ事だろうとこの蓬莱寺京一様が一発で解決してやるから安心しな!!」
 奢り── の一言に、蓬莱寺はとたんに機嫌をよくし、さらに
「いや〜、やっぱり京一君は頼りになるわ。よっ、真神一の伊達男!!」
 と煽てられて、調子に乗ったのか、真っ先に教室を出ていった。
 正門前でマリアに出会い、
「あまりおかしな事件に関わりにならないようにね。気を付けるのよ。興味本位で行動しているとそのうち大変なことになるわ」
 そう注意を受けた後、揃ってラーメン屋に向かった。



「緋勇くん、ラーメン頼まなくていいの? 遠慮なんかしなくていいのよ」
「そうだぜ、せっかく珍しくアン子が奢ってくれるっつってんだからよ」
 蓬莱寺たちが遠慮なくラーメンを注文するのに対して、龍麻は飲み物を頼んだだけだった。
「遠慮してるわけではないですよ。もともと真っ直ぐ帰るつもりでしたし、それに、家の者から途中で食べて帰るのは感心しないと言われているので」
「あら、だって、みんなとここに来る話になってたんじゃなかったの?」
「断ってましたよ、僕は。でも聞いてくれないので、困ってたんです」
「あら、じゃあ、ラーメンに釣られてじゃなくて、ホントにあたしの話を聞くために来てくれたのねっ。嬉しいわ、緋勇くん!」
「緋勇君のお家って、躾に厳しいの?」
「……さあ、僕は普通だと思ってますが。でも、礼儀には煩いかな」
「ふうん。けど、そうね、見るからに緋勇くんて育ちが良さそう。言葉遣いも丁寧だし、ガサツな京一なんかとは大違いよねっ」
 蓬莱寺は遠野の言葉に、食べはじめたばかりのラーメンを思わず吹き出していた。
「きったないわねーっ」
「な、なんだよっ。ガサツってんなら、俺だけじゃねぇだろ、おまえだって似たようなもんだろうがっ!!」
「ふんっ、あんたと一緒にはしてほしくないわねっ」
 遠野は蓬莱寺から顔を背け、その視線の先にあった醍醐の顔に
「あっ」
 と何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば、醍醐くん、知ってる? 佐久間の奴が入院したって話……」
「なんだとっ!!」
「あたしも、今日入手したばかりの情報なんだけどね。何でも、渋谷にある高校の連中と喧嘩したって話よ。目が合ったとか合わなかったとか……」
「チンピラか、あいつは」
 蓬莱寺が呆れたように呟いた。
「相手は、五、六人いたらしいんだけど、結局、佐久間と相手の生徒が三人、病院送り。職員室でも問題になってるわ」
「…………最近のあいつを見てると、何かに苛立っているようだった。俺が、もっと早く相談に乗っていれば……」
 苦渋に満ちた顔でそう呟く醍醐を、龍麻は冷ややかな目で見ていた。
 この男は、自分を何様だと思っているのだろうかと。部長である自分が悩みを聞いてやっていれば、それだけで問題は解決するとでも、起こらなかったとでもいうのだろうか。
 醍醐には佐久間の歪んだ感情は、理解できないのかもしれない。彼は醍醐に嫉妬し、そして憎んでいる。クラスメイトとしてほんの僅かしか付き合いのない自分にも分かるのに、この男には分かっていない。これでは佐久間は救われない。
「醍醐クン……」
「安心しな。あいつは殺したって死ぬようなタマじぇねぇよ。すぐ退院してくんだろ」
「…………」





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