一旦正門前で別れ、待ち合わせ時間である6時少し前に、龍麻は中央公園に着いて一通り見て回っていた。が、今のところ、異常は見られない。
── まだ、早いか……。
「何か動きはあるか?」
『今はまだ何も』
誰にともなく問う龍麻に、どこからか彼にだけ聞こえるように答えが返る。
「……ん? 緋勇じゃないか。随分と早く来たな」
「行け」
『はっ』
近付いてくる醍醐に、すばやく遣り取りをしてから、何もなかったように彼の方に躰を向けた。
「どうだ、中央公園の櫻は。見事なものだろう?」
「そうですね」
「はははっ。まあ、今日は余計なことは考えずに楽しもう。さて── 、そろそろ、他の奴らも来る頃だな。おっ、噂をすれば……」
醍醐の言う通り、桜井と美里、続いて遠野と蓬莱寺、そして最後にマリアと、次々に到着した。
「あらっ、みんなもう揃ってるみたいね。それじゃあ、どこかいい場所を探しましょうか」
「はーいっ!!」
「それにしても毎年のこととはいえ、すごい人出ね」
「この辺りは都庁を含めオフィスビルが多い。それに、花見客の層もサラリーマンが多いしな」
「どこか、イイ場所ないかなぁ……」
言いながら、周りを見回す。
「── あっ、あそこっ!! あそこなんかイイんじゃない?」
「そうね、桜もきれいに咲いているし……。この人数でも、充分座れるわ」
どうやら先ほどまで他のグループが使用していて空いたばかりと思われる場所が目についた。
「それじゃあ、あそこにしましょう。私が持ってきたビニールシートがあるから、それを敷いて座りましょう」
他の花見客に取られないようにと、慌てて見つけた場所に行き、マリアの差し出したシートを敷いてその上に次々と腰を降ろす。
「── オホンッ。それではぁ、転校生の緋勇龍麻クンと、この見事な桜に── 」
誰が言うともなく、蓬莱寺が乾杯の音頭を取る。
「かんぱーいっ!!」
「サア、少し食べるものを買ってきたから、どうぞ」
「ボクも、さっき屋台を回って買ってきたよ」
「私は、ジュースを持ってきたの。みんな、飲んでね」
「飲み物は俺が買ってきたものもあるから、どんどん飲んでくれ」
「あ、あたしは一応、お菓子買ってきたから、どーぞ」
みんなが次々と持ってきたものをシートの上に広げていく。
「……主賓の緋勇は抜いたとして、手ぶらなのって、俺だけ?」
「きょーいちー……」
「あんたって奴は── っ!!」
「あはははははっ、わりぃわりぃ」
頭を掻きながら大声で笑い飛ばす蓬莱寺の様子にマリアもつられるように笑っていたが、その笑いが収まると龍麻に視線を向けた。
「── そうだわ、緋勇クン。犬神センセイが言ってたのだけど、あなた、何か武道をやっていたの? とても……強いって話を聞いたのだけど」
「確かにやってはいましたけど、強くなんかありませんよ」
「そう……」
「緋勇君、謙遜することないのに……。センセー、緋勇君のこと、怒ったりしないよね?」
「フフフッ。センセイも、強い男の子は好きよ。── でもね、緋勇クン、力が強いだけでは、本当の強さとは言わないわ。人に対する優しさ、挫けない勇気、そういう精神の強さが本当の強さだと思うの。分かるでしょ? ごめんなさい。ヘンなコト聞いたりして。これから一年間、がんばりましょう。あらためて、よろしくね、緋勇龍麻クン」
「こちらこそ、よろしく」
言って、龍麻は持っていたコップをマリアに向けて軽く上げてみせた。
「高校最後の年だもの、いろいろ思い出を作りましょうね」
「うーん。葵もさすが委員長で生徒会長、って感じだなぁ」
「もう……、小蒔は大袈裟ね」
「けど、俺たちマリアせんせーでホントにラッキーだぜ。美人だし、優しいし……」
「フフフッ、蓬莱寺クンはお世辞が上手ね。せっかくのお花見なのよ、私なんかよりも、桜を見てちょうだい」
そう言って、マリアは上を見上げる。その場にいた他の者たちも、視線を上げて桜に見入った。
「── そういえば今年の桜は、去年よりまた一段と見事だな」
舞い散る桜の花びらを思わず目で追う。
「あっ、花びらがコップの中に……」
「美里ちゃんの髪にも……。風流だねぇ」
「本当にきれいな桜。なんだか……、吸い込まれそう── 」
そんな風にして桜に見入っていると、突然甲高い女の叫び声が響き渡った。
「キャアァァァァァ───── ッ!!」
続いて、男の、まるで人間というよりもまるで獣のような呻き声が地を這うように響いてきた。
「ウワアアァァァァッ!!」
「な、なにっ!? 見てっ。向こうの方から人が逃げてくるっ!!」
声のしてきた方に視線を向ければ、そちらから次々と人々が我れ先にといった感じで走ってくる。
「なんだよ。変質者でも暴れてんのか?」
「そんな感じじゃないな……。そう遠くはなさそうだ。緋勇、俺たちで様子を見てくるか」
思わず立ち上がっていた蓬莱寺と醍醐だったが、あまりにも不自然な様子と先刻の叫び声とに、醍醐は龍麻に持ちかける。
「そうですね」
はじまったか── そう思いながら、できれば共にというのは避けたいところだったが、この状態ではそうはいかないだろうと、龍麻は醍醐に同意して立ち上がった。
「よし、行こう」
「ちょっと待ってよっ。ボクたちも一緒に行くよっ。犬神せんせーの言ってたことも気になるし」
「犬神センセイが?」
「はい……。中央公園に、桜以外のものが散らないように気をつけろって」
「桜以外のもの……」
「行くんなら、早く行きましょ」
「……待って。行くのなら私も一緒に行きます。私は、みんなの保護者です」
桜井たちは共に行くというマリアに危険だと止めたが、有無を言わせぬマリアの様子に、頷かざるを得ない。
「……分かりました。行くぞっ、みんな」
醍醐を先頭に、花見客が逃げてくる叫び声のした方へと駆けてゆく。
ふいに、鉄のような、いやな匂いが鼻についた。
「……うっ、この匂いは……」
「間違いないな、……血の匂いだ」
辺りを見回しているうち、桜井がある一転を震えながら指差した。
「―――― !! みっ、見て、あの人……」
桜井の示した方を見ると、格好はスーツを着たいかにもサラリーマンといった風体の男が、血走った目で一振りの刀を持って立っていた。
「あの刀……。血が── 」
「気を付けろ」
男が呻きながら、あるいは下卑た笑い声を上げながら、フラフラしながら血塗れた刀を振り回しつつ近付いてくる。
「うぅっ……。くくくくくっ……。ケケケケッ」
とても正気の者の目とは見えない。
「てめぇ……」
「おまえたち、退がってろ」
醍醐が美里や桜井たちを後ろに庇う。
「ハァ── 、ハァ── ッ」
「てめえ……、その刀で人を斬りやがったな?」
「ハァ── 、ハァ── ッ」
男が、何かに憑かれたように荒い息を吐きながら、ただひたすらに向かってくる。
「あなたたちっ、退がってなさいっ!!」
マリアが叫ぶ。
「先生、退がって下さいっ」
「私には、あなたたちを守る義務がありますっ、危険なマネをさせるわけにはいきませんっ」
叫ぶように言いながら前に進み出たマリアに、男が奇声を上げながら挑みかかり、その腕の中に捕まえた。
「せんせ── っ!!」
マリアを羽交い絞めにし、舌なめずりしながら、男は持っている刀をマリアの喉に突きつけた。
「ケケケケ……」
「クッ……離しなさい……」
気丈に男に告げるマリアを、男は可笑しそうに笑い声を上げながらますます強く抑え込んでいく。
「マリアセンセーッ!!」
「うっ……大丈夫よ、緋勇クン、あなたたちは、今のウチに……お逃げなさい」
搾り出すように言うマリアに、龍麻はとても逼迫した状態とは思えない冷静な声で応じた。
「そういうわけには、いかないでしょう」
「緋勇クン……」
「ケケケッ」
「貴様っ、先生を離せっ!!」
「ハァハァッ」
刃が、まるで見せ付けるかのようにマリアの喉元をゆっくりと撫でてゆく。
「イッ、イヤッ……」
「ハァハァッ」
「センセーッ!!」
「ケケケ── ッ!?」
マリアは思い切って自分の喉下にある刀を持つ男の腕に噛み付いた。
「ギャァ── ッ!!」
突然の、思いもかけない反撃に男のマリアを抑える手が緩む。マリアはその隙を逃さずにありったけの力を込めて男を突き飛ばした。
「先生っ」
「センセーッ!!」
「ハァハァ……、どんなことがあろうと生徒たちには、指一本触れさせないわっ」
男に向かって、マリアは息を荒げながらもそう宣言する。
「グルルゥゥ── ッ」
「おいっ、この変態やろーっ、てめぇの相手は、この俺たちがしてやるぜっ!!」
「先生、……後は、俺たちに任せてくださいっ」
「まっ、待ちなさいっ」
「遠野っ、おまえも退がっていろ。── 行くぞ!」
醍醐と蓬莱寺はマリアと遠野を後ろに庇うように男の前に立ちふさがった。
見れば、男に呼ばれたかのように野犬が回りに集まってきている。その野犬の様子も、どこか男に似て正気の状態にあるとはとても見えない。
そしてそう思った通りに、野犬たちも男に呼応するかのように醍醐たちに襲い掛かってきた。
醍醐と蓬莱寺、そして桜井は襲ってくる野犬たちに退治していった。美里がその補佐を行う。
一方、龍麻は野犬には目を向けず、真っ直ぐに男に向かった。
「── 哀れだな」
哀れみを込めて、一言、男に告げる。
それから一気に間合いを詰め、男が一瞬ひるんだところに一撃── 。
短く呻いて、男は地面に倒れ付した。
男に近寄り、その手にある刀を取り上げた。鞘はない。どこかで鞘から抜いて、そのまま落としてでもきたのだろう。
ほどなくして、野犬たちを倒し終えた醍醐たちが龍麻の元に集まった。
「とりあえず、これで当分は動けまい」
「うっ、うん……」
「それにしても、俺たちのこの《力》は一体……?」
そう言って、醍醐は自分の躰を見直した。外見的には、昨日までと何かが変わったわけではない。だが、確かに自分たちの中の何かが、変わっているのは分かる。
「…………」
「あんたたち……」
後方でじっと様子を見ていたマリアと遠野が、一体何が起こったのかと不安そうな眼差しを向けながら近づいてきた。
「アン子……」
「遠野、このことは誰にも言うな」
「アン子ちゃん……、お願い」
「てめぇ、まさか、友達を売るようなマネすんじゃねぇだろうなっ」
醍醐たちの様子に、何か分からない力を持ったようではあっても、それ以外は今までと変わったわけではないと見たのだろう。いつもの強気の遠野に戻っていた。
「ふんっ。馬鹿にしないでくれるっ。あたしがそんなことすると思う? どうりで、この前の旧校舎の時からおかしいと思ってたのよ。まっ、いいわ、貸しにしとくから」
結局のところ、遠野にしてみれば好奇心に勝るものはなく、また、スクープ記事のネタは逃がさないといったところなのだろう。遠野の言い様に、今更ながらに呆れたように蓬莱寺は呟く。
「ちっ、しっかりしてやがる」
「先生── 、先生もお願いします。このことは── 」
「貴方たちは、一体……」
「俺たちにも分からないんです。なぜ、こんな《力》が使えるのか。俺たちは── っ」
「……分かりました。今日のことは、ここだけの秘密にしておきましょう。いずれ……、何か分かる時がくるでしょう。その時まで、このことは、誰にも言わないでおきます」
「すいません……」
真神の総番と言われる醍醐とは思えぬ不安を拭えないでいる様子に、マリアは小さく笑った。
「フフフッ。貴方がそんな顔をしてどうするの? もっと、胸を張りなさい、醍醐クン。《力》というのはね……それを使うものがいるから存在するの。気をしっかりもって自分を見失わなければ、きっと道は開けるはず。貴方たちは、自分の信じた道を歩みなさい。私は真神の生徒である貴方たちを信じています」
「マリア先生……」
そうこうしているうちに遠くからパトカーのサイレンの音が鳴り響き、徐々に近付いてくるのが分かった。
「ちょっと、みんなっ、パトカー来たわよっ!!」
「やっと来たか」
「ちっ、醍醐っ。色々聞かれると面倒だ。早いトコずらかろうぜ」
「この状況じゃ言い訳できないもんね。葵、行こっ」
美里は倒れている男を気にしていたが、醍醐や蓬莱寺たちがとにかくここを離れようとしていると、
「えーっと、写真、写真」
そう言いながら、遠野は持ってきていたカメラのフラッシュを焚きながら男の写真を撮るためにシャッターを立て続けに押していた。
「遠野、まさかおまえ、それ真神新聞に載せるんじゃないだろーなっ」
「あったりまえじゃないっ。あっ、安心して、みんなのことは書かないから」
「でっ、でも遠野さん……、少し校内新聞としては── 」
マリアの言に、遠野はひとしきり記者たるものは── と、自論を展開し、あげく、警察に情報提供して金一封を貰うの、あるいは写真週刊誌に売るのも一つの手と言い出すに至って、醍醐は有無を言わせずに遠野を抱き上げた。
「ちょっ、ちょっとっ、何すんのよっ!! 離してっ、離してよっ。キャーッ、どこ触ってんのよーっ。お金取るわよーっ」
喚きまくる遠野の声を無視して、醍醐は遠野を抱き上げたまま、龍麻たちにこの場を去ることを促した。
「よっしゃ、ずらかるぜ」
そのまま中央公園の、パトカーが来たのとは反対の方向に出ると、そこで醍醐はようやく遠野を降ろした。
「まったく、何するのよっ。せっかくのチャンスを!」
遠野は醍醐に文句を並べるが、今は誰もそれを聞いてはいない。まだ微かに聞こえるサイレンの音に、耳を澄ませていた。
「やれやれ、とんだ花見だったな。けど、日本刀と拳で渡り合うなんておまえも相当肝がすわってんな」
その一方で、蓬莱寺は一人で男と対峙した龍麻に、感心したように、あるいは半ば呆れたように感想を述べた。
「別にたいしたことはないですよ」
「マジかよ……。まっ、強がるのもいいけど、慢心は大怪我の元だ、気をつけな」
こともなげに言う龍麻に、蓬莱寺は忠告するように告げる。
「そういうことではないんですけどね。真剣と立ち会うのはこれが初めてではないというだけで」
「へっ? 今までも真剣を相手にやりあったことあんのかっ?」
「武道はいろいろとやってますから。じゃあ僕はこれで」
「あ、おいっ! 待てよっ」
蓬莱寺の止める言葉を背に、マリアに一言、失礼します、とだけ告げて、龍麻は一人その場を離れた。
そして蓬莱寺たちの姿が見えなくなると、誰にともなく声を掛ける。
「例の男は?」
『姿は確認できませんでした』
「そうか……」
おもむろに、手にしていた男の持っていた刀を投げ出す。宙を舞った刀が、暗闇の中に消えた。
「始末しておけ」
『はっ』
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