マリアを花見に誘うために彼らは職員室に向かったが、その職員室にマリアは不在だった。
「うーん、ちょっとここで待ってみましょうよ」
「そうだね……」
そんな会話をしていると、ドアが開いて一人の教師が入ってきた。
「なんだ、おまえら」
よれよれの白衣姿に咥えタバコをした犬神だった。
「ちっ、よりによって、一番会いたくない奴に」
「奴じゃなくて、先生── だろ? 蓬莱寺」
「……相変わらず、地獄耳だな。名前の通り犬並だぜ」
「はははっ、犬とはよく言ったな。おまえにしては上出来だ。まっ、俺は鼻も利くってコトも忘れるなよ、蓬莱寺。だから、おまえが何か企んでてもすぐ分かるってわけだ」
「なっ、なんのコトだよっ?」
「とぼけるのがうまいな。それじゃあ、この間のは見間違いだったか。おまえら、この間の夕方、旧校舎に入っていっただろう。なあ。緋勇龍麻……」
「ええ、やむを得ぬ事情で」
龍麻は頷きながら答えた。龍麻にしてみれば、隠す必要などないことだ。
「おまえは素直だな、緋勇。蓬莱寺もおまえぐらい素直ならな」
「緋勇── 、おまえ、素直すぎんだよっ」
「……まあいい。おまえらも知っていると思うが、旧校舎は立ち入り禁止だ。余計な怪我をしたくなければ二度と近づくな」
「余計な怪我って、先生、まさか、あそこに何がいるか── 」
遠野が、旧校舎で見たものを思い出しながら、恐々と尋ねる。
「何がいるか? 何がいるんだ、遠野。俺はただ、あそこは老朽化していて床板が割れたりすると怪我をする、と言いたかっただけなんだがな……」
「えっ? や、やだ、そーなんですか。もう、先生ったら、お茶目なんだからっ」
その遣り取りに、龍麻は他の者が分からぬような小さな笑みを口許に浮かべた。もっとも、犬神だけにはそうと知れたようで、龍麻の顔を見るとニヤリと、これも他の者には分からぬように皮肉げな笑みを浮かべる。
「ところでおまえら、これからどこかへ行くのか?」
「はい。私たち、これからお花見に行くんです」
「花見?」
「えぇ、中央公園まで。きっと、今ごろは満開ですよ。先生は、お花見には行かれないんですか?」
「あぁ。もうだいぶ行ってないな。俺は……、桜ってやつが、好きになれなくてね。桜ってやつは、人に似ている。美しく咲き誇る桜も、一瞬の命を生きる人も。だがどんなに美しかろうが、やがては散ってしまうのだ。俺には……、俺には、散りゆくために無駄に咲き急いでいるように思えてならない」
犬神は何かを思い出すように目を閉じ、俯き加減で言葉を綴る。
「でも……、でも、先生、だからこそ、桜は美しいのだと思います。儚い命だからこそ……。人だってそうだと思います。死があるからこそ、人は強く、激しく、そして優しく、一生懸命生きてゆけるのだと、私は思います」
「それは、死というものを知らない人間の詭弁だよ。君は── 」
犬神の言う通りだと、龍麻は思う。
この女は知らない、この女には分からない、と思う。人の醜さ、残酷さ、悲しみ、憎しみ、それらの負の感情が、そして本当の死というものが。だからこそ、聖女などと言われているのかもしれないが。
「い、いや、すまない。話が過ぎたな。で、花見に行くのに、職員室になんの用があるんだ?」
「あっ、そうそう、それで、マリア先生も誘おうと思ったんですけど……」
「そうか……。マリア先生も、色々忙しい人だからな。今も教頭と会議中だ。旧校舎の囲いの強化がどうのと言ってたな。彼女も旧校舎には随分とご執心だからな……。まっ、花見もいいが、気を付けていけよ。中央公園に、桜以外のものが散らんように……。なあ、緋勇」
「そうですね。もっともこちらがいくら注意していても、散るものは散るでしょうけれど」
「……フッ。とにかく気をつけることだ」
まるで二人だけが分かっていることを話しているような会話に、蓬莱寺たちが怪訝そうな顔を向ける。
「なんだよ、他に散るものって」
「じゃあな」
蓬莱寺の問いには答えず、犬神は入ってきた時と同じように咥えタバコのまま、職員室を出ていったが、龍麻はすれ違いざま、蓬莱寺たちには聞こえぬように犬神に話しかけた。
「おまえも、だいぶ苦労しているようだな」
「お互い様だろう。いや、これからはおまえの方が大変か。ま、せいぜい頑張れや」
犬神と入れ違いにマリアが職員室に入ってきて、すぐに彼らに気がついた。
「あらっ、みんな。まだ、残っていたの? どうかしたの? みんな揃って」
「えっ、えーと、ボクたちこれから緋勇クンの歓迎会でお花見に行くんです」
「それで、よかったら先生もご一緒にと思って」
「ねっ、せんせー、一緒に行こうよ」
女性陣が代わる代わるマリアに誘いの言葉を掛ける。
「そうねぇ……。わかったわ、OKよ」
「やったぁー!!」
「私も担任として、改めて緋勇クンを歓迎したいわ」
「ありがとうございます」
微笑みを浮かべた顔を龍麻に向けて言うのに、龍麻は軽く頭を下げながら応じた。
「フフフ、気を遣わないでね。私にも声を掛けてくれるなんて、本当に嬉しいわ。今日は楽しく過ごしましょうね」
「じゃあ先生、6時に中央公園で── 」
「ええ、6時にね。じゃあ、後で……」
マリアの了承を得たことでここでの目的は果たしたと、職員室を後にして外に出た彼らだったが、正門前に人影を見て足を止めた。
「あら? あそこにいるのってミサちゃんじゃない?」
「なにっ? 裏蜜っ── !?」
「ミーサーちゃーん」
遠野がその生徒に声をかけながら近寄っていく。その名に、龍麻は彼女が、先刻話題に登っていた人物かと納得する。
「馬鹿っ、アン子!! 呼ぶんじゃねえっ!!」
蓬莱寺や醍醐の態度から察するに、男性陣は彼女を苦手としているらしい。
「今、帰るとこー?」
「われらが根付くこの地こそ、セフィロトの下層、物質界なり。
この地こそ、要素の錯覚的な相互作用が生じるところ。
精神的な領域が特性記号を通してのみ認知されるところの領域〜」
「やめろーっ。それは悪魔の呪文か!?」
「うふふふふ〜。やだな〜、京一く〜ん。ただのカバラによる宇宙観念だってば〜」
「……さっぱり分からん」
「うふふ〜。ところでみんな、おそろいでど〜こへ行くの〜?」
「うん。緋勇君の歓迎会を兼ねて、花見に行くんだよ。っと、ミサちゃん、緋勇クンと面識なかったんだよね。もうてっきり会ってると思ってたんだけど。うちのクラスに転校してきた緋勇龍麻クンだよ。緋勇クン、彼女が裏蜜ミサちゃん、アン子と同じクラスで、霊研の部長をしてるんだ」
言いながら、桜井は後ろの方にいた龍麻を引き出し、裏蜜に引き合わせる。
「で、お花見に行くんだけど。ミサちゃんも一緒に行く?」
「お花見〜、桜〜。紅き王冠〜。場所はどこ〜?」
「え……? 中央公園だけど……」
「西の方角ね〜。7に剣の象徴あり〜。う〜ん。やめたほうがいいかもね〜。紅き王冠に害なす剣……。鮮血を求める兇剣の暗示だね〜。あっちは、方角が悪いね〜」
裏蜜の言葉に、龍麻の眉が上がる。
── 大したものだな。……こんなところが、蓬莱寺たちが苦手とする所以か。
「そんなっ、せっかくのお花見なのに」
「まあ、信じる信じないはみんなの勝手だけどね〜。緋勇く〜んはど〜お?」
「さあ、どうなんでしょう」
中央公園で何が起ころうとしているのか、いや、起こっているのか、龍麻は既に知っていたが、微笑みを浮かべながら曖昧に答えを返した。
「敬虔な現実主義者は、いずれ大いなる神の奇跡と悪魔の所業に己の自我を崩壊させる日がくるのよ〜。うふふふ〜」
「相変わらず、それっぽいわね、ミサちゃんの占いは……」
「まっ、この時期、中央公園にいるのなんて酔っ払いぐらいだろ。裏蜜の占いをいちいち信じてたんじゃ、キリがねぇ。それに、王冠だの剣だのって、俺にはさっぱりだしな」
「うふふふ〜」
「それじゃあ、ミサちゃんは行けないのね?」
「悪いけど〜、そういうことで〜」
「残念だわ……」
「ちょっと待って。そういえば……、剣って言ってたけど。もしかしてこの前、国立博物館でやっていた日本大刀剣展から盗まれた刀と関係があるの?」
「うふふふふ〜」
「アン子、盗まれた刀がどうかしたの」
「うん、まあね……。聞きたい?」
「別に」
実は話したかったのだろうが、龍麻が即答したことで、遠野は気がそがれたようだった。
「あ……そ。別にいーけどね」
「うふふふ〜。信じるも信じないもみんなの勝手〜。あたしはまだ、部室で調べることがあるから、これで〜。じゃあ、気を付けてね〜」
「なんだか寒気がするな」
「やーね、醍醐君。そんなの気のせいよっ」
「そうそう。マリアセンセも誘ったことだし、今日は絶対決行!! さあ、帰ろ、帰ろっ!!」
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