怪異 - 3




「遠野、美里とはぐれた場所は、どこらへんなんだ?」
「この先よ……。更衣室と保健室があって、その先で、赤い光が──
 あたりを注意深く見回しながら、遠野の案内に従って彼らは奥へと進んでいった。
 しかしなかなか美里を見つけられないことに不安になって、
「もう一度、戻って探してみましょうか」
 遠野がそう提案した時、醍醐が何かに気付いたように声をかけた。
「ちょっと待て、遠野……」
 醍醐の示す方に、皆の視線が寄せられる。
「……?」
「あれ……、ねぇ……何か……光が……ほら」
「遠野……、おまえが見たって光は、あれか?」
「違うわ、赤くて小さい光だった。それがすっごくたくさん……」
 そこに見えた光は、遠野の言う赤い光ではなく青い光だった。そしてその中心に、美里がいた。いや、中心というのは違う。美里の躰自体が、青く光っているのだ。
 慌てて美里に駆け寄る四人を見やりながら、龍麻は一歩下がってその様子を見ていた。
 ── この娘を選んだか……。
 龍麻の形のよい眉が寄せられ、眼鏡の奥の瞳が、冷たく煌めく。
「葵ッ……」
「桜井、大丈夫だ。気を失っているだけだ」
 美里を取り巻いていた光はいつしか消えうせ、ほどなくして醍醐の腕の中、美里が意識を取り戻した。
「……こ……まき? 私……気を失ってたのね」
「うっ、うん……」
「あの時、赤い光が迫ってきて逃げられないって思った時、突然、目の前が真っ白になって、それから意識が遠くなって……」
 美里が遠野とはぐれてしまった時のことを話していると、部屋の片隅からクチャクチャと、何者かが何かを噛んでいるような音が聞こえてきた。
「どうやら、赤い光の正体が確かめられそうだな。遠野ッ。美里を連れていけッ、ここは、俺たちに任せろっ」
「うっ、うん」
 醍醐に促され、遠野は美里の腕を取ると、「行こう」と促して駆け出した。
 不気味な音、無気味な光── ここには得体の知れないモノがいる。ここにいてはいけないと、好奇心に勝る恐怖に、遠野は今は美里を連れてこの場を離れることだけを考えた。
 残った四人は、それぞれに襲いくるモノに対していった。
 それはコウモリだった。だが、なぜこんなところにそれがいるのか?
 しかし今は疑問を感じている場合ではない。何も考えず、ただ各々の得意の得物をもって、次々と向かってくるコウモリたちを倒していった。
「皆……、大丈夫?」
 気が付けば、美里が一人戻ってきていた。
「葵、なんで戻って──
「ごめんね……、小蒔。私……、皆のことが心配で……。アン子ちゃんには、先生を呼びに行ってもらって……」
「随分と短慮なことだ」
 旧校舎に入って以来ずっと口をきかなかった龍麻が、冷えた声で呟いた。
「緋勇君……」
「何だよ、その言い方っ! 美里は俺たちのことを……」
「そもそも、彼女がここに入り込まなかったらこんなことにはならなかった。違いますか?」
「だって、それはアン子が美里に頼んだから」
「それが短慮だと言うんです。この旧校舎は生徒は立ち入り禁止にされている、そうですね?」
 龍麻は確かめるように美里に尋ねた。それに、ええ、と美里が頷く。
「遠野さんがここに何かあるのか知りたいと、入りたいというのは分かります。それに対して、本来なら貴方は止めるべきではなかったんですか? それを生徒会長自ら、ただ頼まれたからというそれだけで立ち入りを禁止されている場所に一緒に足を踏み入れ、結果、他の者を心配させ、危険に晒している。これが、仮にも生徒会長という立場にある人のすることと言えますか?」
 真っ直ぐに美里を見つめて非難の言葉を綴る龍麻に、美里は何も言い返す言葉が見つからずに、幾分顔を赤らめてただ黙って俯いていた。
「何もそんなに美里を責めることないじゃないか! 美里はアン子の頼みを断れなくて、でも一人で行かせられないってっ、だから……!」
 何も言えずにいる美里に、彼女を庇い弁護するように桜井が龍麻に詰め寄る。それに対し、龍麻は視線だけを桜井に向けた。
「友人の頼みだからというそれだけで、生徒会長ともあろう人が、禁止されていることを破ってもいいというわけですか? もう少し、自分の立場を自覚するべきです。僕の言うことは間違っていますか?」
「ま、間違ってはいないけど、けど……」
「いいのよ、小蒔。緋勇君の言う通り、私の考えが足りなかったんだから」
 尚も龍麻に何かを言おうとする桜井に、美里はその腕を掴んで止めた。
「本当に、迷惑をかけてごめんなさい」
 頭を下げて謝罪する美里に、しかし龍麻はそれを無視するかのように視線を逸らした。その視線の先にあるのは、倒したコウモリの死骸だ。
「その態度はなんだよ、緋勇っ! 美里が頭を下げて謝ってるってのに!」
 龍麻の態度に彼に食って掛かろうとした蓬莱寺だったが、龍麻はそれをも無視すると、コウモリの方へと歩を進めた。
「おいっ!!」
「あ、熱い……、体が……」
 その時、美里が突然上げた声に、蓬莱寺は龍麻に向けて伸ばした腕を戻して、どうした、と美里を見た。
「葵ッ!!」
 蓬莱寺だけでなく、桜井や醍醐の視線も美里に集中する。
 自分で自分の体を抱きしめるように腕を回した美里の躰が、青く光っている。それは、この旧校舎に入ってはじめて美里を見つけた時と同様のものだった。
「一体、どうしたっていうんだ。これは──
「醍醐っ、ともかく表へ出ようぜ。ここは、チョット普通じゃねぇっ」
 美里の様子に、そして自分たちを襲ってきたコウモリに、蓬莱寺は提案した。このままここにいると、また何が起きるか分からないという不安が彼らの心を占めていた。
「ねえ、これ……コウモリなの?」
 外に出ようとして、足元のコウモリの死骸に、桜井は早く外に出ようと思いながらも疑問を口にした。
「スゴイ牙と爪だよ……」
「本来、コウモリっていうのは、多少の差はあれ、昆虫や木の実を食べる生き物だと聞いたことがある。中には小動物の血を吸う種もいるそうだが……」
「にしたって、こんなふうに人を襲って喰べようとするなんて……」
 自分たちを襲ってきた時のことを思い出して、桜井は躰を震わせた。
「あぁ……、そうだな。普通じゃない……」
「これは吸血コウモリの一種ですよ。しかし、この種は日本にはいないはずなんですけどね」
 彼らから一歩離れた所から、別のコウモリの死骸を確認しながら龍麻が冷静に告げる。
「日本にはいない?」
「ええ。記憶に間違いがなければ、主な生息地は東欧」
 ── つまり、あの女が連れてきたということか……。
 答えながら、龍麻は一人の女の顔を思い浮かべた。
「何か良くないコトの前兆じゃなきゃイイけど……」
 言いながら周りを見回し、桜井は醍醐の様子がおかしいことに気が付いた。
「醍醐……クン?」
「くっ……。どうやら、おかしいのは美里だけじゃないらしい、俺の躰も……」
 言い終える前に、醍醐の躰も美里と同じように青い光に包まれ、蓬莱寺、桜井の二人も続けて同じ状態となった。
“目醒めよ──
 脳裏に、誰のとも知れぬ声が響く。それは、耳を通して聞こえるものではない。
── ッ!!」
「こいつは──
「この気は、一体──
 自分の躰に何が起きているのか、把握できぬ不安にさいなまれ、やがて意識が薄れていくのを感じていた。
 そんな彼らの様子を、龍麻はただじっと目を凝らして見つめていた。
 ── 資質があるのは認めるが、よりにもよってこやつらを選ぶというのか……。



 意識がはっきりと戻った時、蓬莱寺たちは自分たちのいる場所が最初分からなかった。
 つい先ほどまで旧校舎の中にいたはずなのに、今いるのは明らかに外だ。
「ここは……」
「ん……?」
「小蒔、大丈夫?」
「葵……」
「どうやら、みんな無事か……」
「俺たちは、一体……」
 互いに互いの無事を確認し、あたりを見回して自分たちがいる場所を確認する。
「ここって、旧校舎の前だよね。なんだろう。急に目眩がして、気が遠くなって……」
「ちっ、一体全体どーなってやがんだッ」
「ふむ……、コウモリといい、俺たちを包んだ青い光といい── 、この旧校舎には、何があるというんだ……」
 彼らの不安そうな視線が、旧校舎に向けられる。しかし、それも束の間。
「まぁ、いいじゃねぇか、美里も無事だったんだしよ」
 どうやら、わけの分からないことにいつまでもとらわれているよりも、よく言えば前向きとでも言うのだろうか、ともかくも自分たちは無事なのだからと、開き直ることにしたらしい蓬莱寺が明るく言う。
「……そうだな……」
「そうそうっ」
「なんか安心したら、お腹減っちゃった」
 ── 呑気なものだな……。
 見方によっては長所と言えなくもないだろうが……と、龍麻は視線は旧校舎に向けながらも、意識だけは蓬莱寺たちに向けつつ思った。
 ── さて、これからどうするか。
「じゃあ、何か食ってくとするか」
「そうだネッ。行こー、行こーっ」
「ふふふっ……、小蒔ったら」
「よっしゃっ、そうと決まりゃ早く行こーぜっ。おい、緋勇、おまえも行くだろう?」
 食べに行くことを決めて、蓬莱寺は先ほどからじっと旧校舎を見つめたまま何かを考えている龍麻に声をかけた。
「君たちだけで行くといい。僕はこれで帰ります」
「行かねーのか? 腹減ってねーのかよ」
「用事があるのでね、そういつまでも付き合っている余裕はないんですよ」
 それではと、龍麻は蓬莱寺たちの視線を背中に感じながら、旧校舎を後にした。



“目覚めよ─────





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