放課後──
「おいっ、緋勇ッ!!」
 授業を終えて龍麻が帰り仕度をしていると、蓬莱寺がやってきて声をかけてきた。
「ヘヘヘッ、一緒に帰ろうぜ」
 その申し出に、龍麻は思わず眉を顰める。
「んな顔すんなって。おまえだって、一人で帰るより二人の方がイイだろ?」
「そうとは限らないでしょう。僕は一人の方がいい。一人で帰ります」
「旅は道連れっていうじゃねぇか。── なッ?」
 そんな遣り取りをしていると、隣のクラスの遠野杏子が、教室を出ていく何人かの生徒と入れ違いに入ってきた。
「緋勇・く・んッ、一緒に帰りましょッ!!」
 龍麻の姿を認めて、元気に声をかけてくる。
「げっ、アン子ッ!! おまえなぁ、いつもいきなり出るなッ!! 心臓に悪ぃだろーがッ!!」
「あらっ、京一。いたの?
「いたの? ── じゃねぇっ!! はじめからいるだろ−がっ」
 いきなり自分の目の前で、しかも自分を無視してはじめられた言い合いを、龍麻は呆れ顔で見ていたが、やがて遠野は蓬莱寺とのそれを打ち切って、龍麻に顔を向けた。
「ところで、ねえ、緋勇君。昨日のことだけど──
 そう言って、昨日の放課後、佐久間が龍麻に絡んできた時のことを思い出すように、尋ねてきた。
── 昨日、あの後、あいつらと何があったの?」
 だがそれは、心配して、というものではなく、好奇心からといった感じのものだった。それを察して、龍麻はいちいち話す必要なないだろうと判断する。
「特に話すようなことは何もありませんよ」
 遠野は龍麻のその答えに少しばかりがっかりした表情を浮かべた。
「まっ、緋勇君が言わなくても、あいつらの姿見ればだいたい想像つくけどね。でも、緋勇君って見かけによらず凄いのね。あいつらだって結構ケンカ慣れしてるはずでしょ。それを一人で倒しちゃうなんて」
「あの〜。俺もいたんですけど……」
「……よしっ、決めたわ。“緋勇龍麻、強さの秘密っ!!”、次の見出しはコレよっ。── というわけで、チョット今から取材させてね」
 遠野は途中で口を挟んでくる蓬莱寺を無視して、龍麻ににっこり笑いかけながら申し出た。
 それに龍麻が答える前に、脇から蓬莱寺が応じていた。
「何が、というワケで、だっ! 俺達は忙しいんだよ、興味本位のヤジ馬に付き合ってるヒマはねぇよ」
「別に、京一に付き合ってくれとは言ってないわ」
「お生憎サマ、俺たち、これからラーメン食いに行くのッ」
 再び龍麻を無視した二人の言い合いが展開される。その様子に、さっさと帰った方がよさそうだ、と龍麻は思う。
「緋勇君も、この京一(アホ)に付き合うことないのよ」
「その通りですね。第一、僕は蓬莱寺君とは何の約束もしていないのに、それをさも約束したように言われるのは、正直、迷惑です」
「そうそう。無理しなくていいのよ、嫌なら嫌って言わないと。ネッ、京一ッ」
 遠野は我が意を得たり、といったように蓬莱寺に同意を促す。
「ふんっ。俺の誘いを断って、アン子を選ぶたぁ、おまえ、さてはアン子に惚れたな?」
「別にそういうわけでもありませんが……」
「なっ、なによぉ、緋勇君」
「アン子、この際だからハッキリ言っておこう。しつこい女は嫌われるぜ」
「なっ、なんですってぇ。あんたに言われたくは── ! ……もういいわ、二人で勝手にラーメン屋でデートでもしてなさい」
 三度(みたび)、二人の言い合いになりかけたが、遠野はバカらしくなったのだろうか、
「緋勇君、今度は、この京一のいない時にゆっくり話しましょっ。じゃあねっ」
 そう言うと、置き土産というように京一に向けて黒板消し投げつけて出ていった。
「クソッ、アイツ思いっきり黒板消し投げつけやがって……。当たりドコロ悪くて死んだらどーするつもりなんだ。いてて……」
「まったく、おまえは見てて飽きん男だよ」
 黒板消しが当たったところを撫でていた蓬莱寺に、後ろから醍醐雄也が声をかけてきた。
「醍醐……。なんだ、おまえっ。いつから、そこに……」
「そうだなぁ……、『げっ、アン子ッ』のあたりからか」
「おまえな── 、それじゃ、助け舟ぐらい出せよっ」
 目の前で進められる二人の会話に、龍麻はこれ以上付き合う必要はないだろうと、鞄を持って席を離れた。
 その背に、醍醐の声が聞こえる。
「そうだ、京一。ちょっと、緋勇を借りていいか?」
 その声に眉を寄せ、一瞬立ち止まりかけたが、龍麻は構わずに教室を後にした。
 そのまま二人は話を続けていたが、醍醐が龍麻に話し掛けようとして、今まで気が付かなかったのも間の抜けた話だが、そこで漸く龍麻の姿がないのに気付いた。
「まぁ、緋勇。そういうことなんだ。すまんが、んっ? 緋勇?」
「なんだよ、あいつ。いつの間に……」
 キョロキョロと見回し、教室の中には既にいないと知れて二人は廊下に出た。
 廊下にも姿が見えなくて、急いで階段の方まで足を進めると、龍麻は既に2階の踊り場に差し掛かる所だった。
「緋勇っ! おい、待てよ、緋勇っ!!」
 二人して階段を駆け下りながら、蓬莱寺が龍麻に向かって叫ぶ。周りにいた他の生徒たちが、一体何事かと、蓬莱寺と醍醐を見やる。
 龍麻は一旦立ち止まって彼らを仰ぎ見たが、再び階段を降りはじめた。
「待てっつってんだろーがっ!!」
 駆け寄ると、蓬莱寺は龍麻の腕をとった。
「腕を離してもらえませんか」
 龍麻は言ったが、蓬莱寺は聞き入れず、腕を掴んだまま怒鳴りつける。
「人が呼んでんのに、なんだよっ! 第一、醍醐がおまえに用があるっつってんのに、何考えてんだっ!?」
「醍醐君が僕に、ですか?」
 龍麻が聞き返した所へ、遅れて醍醐が追いついてきた。
「そうだよっ、そのぐらい聞こえてただろーがっ!」
「醍醐君が話していたのは君でしょう。僕は何も聞いていません」
「だからっ、言ってただろーがっ、俺におまえを貸してくれってっ!!」
「そうですね、そう言っていたのは聞こえていましたよ。……では聞きますが、僕は君を通じて貸し借りされるようなもの(・・)ですか? 僕と君は、君を通じて貸し借りされるような間柄だとでも言うんですか? 心外ですね」
「それは……っ!!」
「緋勇、すまない、気分を害したなら謝る。京一と約束があると言ってたから」
 軽く頭を下げながら、醍醐はすまなそうに龍麻に告げた。
「そんなことを言った覚えはありませんけどね。蓬莱寺君との約束など何もありませんから」
「一緒に帰ろっつただろーが、忘れたのかよっ!?」
「約束などしてませんよ。僕は断ったはずです。それに言いましたよね、何の約束もしていないのに、さも約束しているように言われるのは迷惑だと。それと、いいかげん腕を離してもらえませんか」
 熱くなっている蓬莱寺とは対照的に、龍麻は冷静に応じる。それがまた蓬莱寺のカンに触るらしく、端から見ても、さらに彼が苛つきだしているのが分かる。
「あーッ、ゴチャゴチャと男のクセにうるせぇなっ。とにかく、おまえはおとなしく醍醐についてきゃイイんだよっ」
 蓬莱寺は龍麻の腕を掴んだまま、醍醐に向き直った。
「醍醐っ。緋勇をドコに連れてくつもりなんだ?」
「あっ、あぁ……、レスリング部の部室だが……」
「よしっ、行くぜ、緋勇っ」
「蓬莱寺君っ、僕にはそのつもりはないと……っ!!」
 蓬莱寺は龍麻の声を無視するとその腕を引っ張って、醍醐の言うレスリング部の部室へと向かう。
 周りの生徒たちは、無理やり連れていかれる龍麻に同情を覚えながらも、相手が蓬莱寺や醍醐であったことから、ただ黙って見送るだけだった。
「おっ、おいっ。京一っ。おいっ──



 レスリング部の部室のドアを開けると、部活動中の時間であるにもかかわらず、そこに他の生徒は一人もいなかった。
「他の部員はどうしたんだよ?」
 龍麻が逃げ出さないようにと、相変わらず彼の腕を掴んだまま、蓬莱寺は醍醐に尋ねた。
「うむ……。昨日の夜、佐久間と他校生が歌舞伎町でモメてな」
「昨日っていや、緋勇と──
「ああ、その帰りさ」
「ちっ、あのバカ野郎っ」
 蓬莱寺は一つ舌打ちした。
「その件で、相手の学校とPTAから学校に苦情がきたらしくてな。処分はまだ出てないが、自主謹慎の意味も込めて、暫く休部さ」
「んなの、しらばっくれちまえばイイじゃねぇかよ。まったく、おまえはカタすぎるぜ」
「そう言うな、京一。それよりも──
 醍醐は笑いながら、蓬莱寺に腕を掴まれたままの緋勇を見た。
「俺は、強いヤツを眼にすると自然に顔が緩んでくるタチでな。緋勇、悪いが、おまえが何と言おうと、俺と戦ってもらうぞっ!!」
「……君にとっては力が、強さが全て、というわけですか」
「当たらずとも遠からず、といったところだな。覚悟してもらおうか」
 くだらない男だ── と、そう思いながらも、諦めたように龍麻は息を吐き出した。
「仕方ないですね。蓬莱寺君、今度こそ離してもらえませんか。このままでは彼の相手もできない」
「漸くその気になったかい」
 龍麻の答えに意地の悪そうな笑みを浮かべながら、蓬莱寺は彼の腕を離した。
「京一、言っておくが、手を出すなよ」
 醍醐は蓬莱寺に言いながら、先にリングに上がった。
「誰が頼まれて、猛獣の闘いにチョッカイ出すかよ」
 龍麻は学生服の上着を脱ぐと、鞄と一緒にリングの脇にある椅子の上に置いて、それからリングに上がり、醍醐に向き直った。
「さあ、かかって来いっ!」
「……挑んできたのはそちらですからね。そちらからどうぞ」
 そう告げて、しかし龍麻は構えすらとろうとしない。
「いつでもどうぞ」
 いぶかしむ醍醐に再度促す。
「……遠慮なく行くぞ」
 一瞬躊躇したものの、醍醐はそれを振り切り、龍麻めがけて足技を繰り出す。だが、そうして繰り出された足は龍麻を掠めることもなく、空を切った。
 そして態勢を整え直す前に、龍麻の左の拳が醍醐の腹部に入り、次の瞬間にはリングの端まで弾き飛ばされていた。
 リングに張られたロープにすがって崩れ落ちるのをこらえていたが、ずり落ちるようにして醍醐の大きな躰がリングに沈んでいく。
「……これで満足ですか?」
「…………」
 何も答えられない状態の醍醐をそのままに、龍麻はリングを降りると椅子の上に置いた上着と鞄を手に取った。
「こんな馬鹿げたことに付き合うのは、これが最初で最後です。今後は、一切相手をするつもりはありませんから。では失礼」
 そう言い置いて、龍麻は醍醐と蓬莱寺を残して部室を出ていった。
 その後ろ姿を見送ってから、蓬莱寺にリングに上がり、醍醐に声をかけた。
「……おい、醍醐」
「……」
「醍醐、生きてるか?」
「あぁ……」
 醍醐は漸くそれだけ答えを返した。それからリングの上に躰を伸ばしていく。
「どうだ、気分は? しっかし見事にやられたな」
「あぁ……」
「しかも、醍醐雄矢ともあろう男が一介の転校生にだぜ。他の連中が知ったら大変なことになるだろうな」
「ははは……。そう言うな、京一。真っ向から勝負して負けたんだ。……仕方あるまい」
 醍醐は情けないな、とでもいうように、一つ大きな溜息を吐いた。
「とはいえ、たった一撃とはな……。緋勇龍麻か……。どこであんな技、覚えたんだ?」
「さぁ── な。だけど、ありゃあ本物だぜ」
「あぁ……。今まで闘ってきたどの相手とも違う……。外見は、優等生タイプの優男って感じで、とても武道の心得があるとも思えないが……」
 言いながら醍醐は躰を起こして立ち上がろうとした。
「痛ててっ」
「おらっ、肩貸すぜっ」
「不思議だな……。まるで、憑き物が抜け落ちたように、久し振りに……、いい……気分だ」





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