授業を終えて帰り仕度をしていると、何時の間に入ってきたのか、昼休みに紹介された遠野杏子が躊躇いがちに龍麻に話し掛けてきた。
「ねぇねぇ緋勇君。ものは相談だけどさぁ……、一緒に帰らない?」
その誘いに一瞬眉をし負け、さて、どう断ろうかと逡巡していると、答えを待たずに杏子が言い募ってきた。
「なんでそこで黙るのよ。ほんとは、こんないい女と一緒に歩きたいくせに素直じゃないんだから……」
なぜここの生徒は誰も彼も人の話を聞こうとしないのだろうと思う。
とりあえず何か言おうとしたところに、数人のガラの悪い生徒が、遠野を押しのけるようにして寄ってきた。
「転校生……、ちょっと面貸せや」
「チョ、チョットアンタたち、待ちなさいよッ」
遠野は思わず止めに入った。一つには、ここで取材の種である龍麻を連れて行かれてたまるか、というのもあったようだが。
「なんだぁ……」
「文句あんのか?」
「文句あんのか? ── じゃないわよっ!! アンタたち、緋勇君をどうするつもりっ」
「ケッ」
「てめぇみたいな、新聞屋に言つもりはねぇな」
「そうそう、おめぇみたいな女は、男に尻尾だけ振ってりゃイイんだよ」
「フンッ、アンタたちこそ、そのデカイ図体の使い道考えたら? 今なら、ウチの部で荷物持ちぐらいになら雇ってあげてもいいわよっ」
遠野は恐いもの知らずというのか、それとも単にいっぱしの記者を気取ってか、男たちにくってかかっていた。それもわざと呷るような言葉を並べて。
「なんだとぉ……」
「ヘェ〜、アンタたちにも、プライドなんてモンあんの?」
「……このアマァ」
「言っとくけど……、アタシの新聞部はアンタたちみたいな能無しに売られた喧嘩ならいつでも買ってやるわよっ。そうねぇ……、なんなら、真神新聞の一面を飾ってあげましょうか?」
明らかに馬鹿にした態度に、しかし遠野がそれを実行した時のことを考えてだろう、男たちは返す言葉がないようだった。
「うっ……」
「…………」
遠野が言葉に詰まる男たちを見下していると、ガラッと扉の開く音がして佐久間が中に入ってきた。
「チッ、佐久間さんっ11」
男たちと遠野の様子に、佐久間はおおよそのことを察したようだった。
「……しょうがねぇな、おめぇらは……。遣いも満足にできねぇのかよ」
「すっ、すいませんっ!!」
「佐久間、アンタ……」
流石に遠野も佐久間に対しては、その手下たちに対するような態度は取れないらしい、微かに震えているのが見て取れる。
「遠野、少し黙ってろや……。俺は、コイツに用があんだ」
そう言って龍麻を見やる佐久間に、遠野は言葉が出ない。
「…………」
「へっ……、緋勇とかいったな。ずいぶんと女に囲まれてご満悦じゃねぇか……」
「そんなことはありませんよ」
むしろ困っているんですけれどね── そう龍麻は心の中で呟く。
「てめぇ……、てめぇのその面を柿みてぇに潰してやる。幸いあの剣道バカはいねぇし── 俺たちだけで話つけようじゃねぇか。体育館の裏まで来いや。逃げんじゃねぇぜ。まぁ、いやだといっても一緒に来てもらうまでだがな」
ある意味で助かったと思い、同時にまた困ったなと複雑な顔をして、龍麻は促されるままに佐久間たちについて教室を出ると、彼らの導くままに体育館の裏に出た。
「オイッ、おめぇら、誰か来ないか見張ってろ。終わるまで誰も近付けんじゃねぇぞ」
佐久間の命令に手下たちが「オスッ」と頷くのを確かめて、改めて佐久間は龍麻に向き直った。
「緋勇……、てめぇにこの学園の流儀ってやつを教えてやる」
「緋勇よぉ、てめぇもついてねぇぜ。佐久間さんに目ぇつけられちまうなんてよ……。転校してきいきなり入院たぁかわいそうになぁ」
黙って立っている龍麻に、佐久間たちは自分たちの力を誇示するかのように言い募る。
が、それを聞いている龍麻は顔色一つ変えてはいない。むしろ口許には小さな笑みを浮かべてさえいた。
「ちょっと転校生をからかうにしちゃぁ、ドが過ぎてるぜ」
ふいに上の方から声がして見上げれば、木の枝の上に蓬莱寺の姿があった。
「足下がこうウルさくちゃ、おちおち部活サボって昼寝もできねぇぜ」
「てめぇ、転校生に味方すんのかよッ!!」
「蓬莱寺、俺はてめぇも前から気に入らなかったんだよ、スかした面しやがって」
「奇遇だな、佐久間」
蓬莱寺は木から軽く飛び下りると、龍麻の隣に立った。
「実を言うと、俺も前からおまえの不細工なツラが気に入らなかったんだよ」
「てめぇ……、無事に帰れると思うなよ」
「おい、緋勇、俺の傍から離れんじゃねーぜっ」
蓬莱寺はそう言って持っていた木刀を構える。
龍麻は黙って蓬莱寺たちの遣り取りを聞いていたが、蓬莱寺が態勢を整えたところで、眼鏡を外して制服の胸ポケットにしまった。
「手出しは、無用です」
「えっ!?」
一言告げて、龍麻はすっと前に出た。
何を言われたのかと、蓬莱寺の気が削がれる。
我に返った時には、あっという間に手下の生徒たちを倒し、龍麻は既に佐久間に詰め寄っていた。
「緋勇……。もしかして俺の手助けなんて、無用って?」
長身ではあるが、細身で、見た目は優等生タイプ、とても武道の心得があるとは見えなかった。だから佐久間にヘンな言いがかりをつけられている龍麻を助けようとしたのだが、どうやら自分は必要なかったらしいと、人は見かけによらないなと、蓬莱寺は思った。そして改めて緋勇を見ていると、佐久間たちに立ち向かうその姿には全く隙が見当たらず、明らかに何か武道の心得があるようにも見受けられる。
そうしてあっけに取られて見ているうちに、龍麻は蓬莱寺の知らない脚技で佐久間を打ち倒し、そこに無事に立っているのは、蓬莱寺と龍麻の二人だけになっていた。あとの者たちは佐久間も含めて皆、地面に突っ伏している。
「もうやめときな……。これ以上やるってんなら、俺も容赦しないぜ」
なんとか立ち上がり、再度二人に向かってこようとする佐久間に、もう勝負はついたろうと蓬莱寺が声をかける。
「うるせぇ。ぶっ……殺して……や……るっ」
「そこまでだ、佐久間ッ」
野太い声が佐久間にかけられた。
「そのぐらいでやめとけ、佐久間……」
「佐久間くん……。もう止めて、佐久間くん……」
見れば、美里ともう一人、体格のいい見覚えのない男子生徒が立っていた。
「今やめれば、私刑のことは目をつぶってやろう」
「そうそう、良い子は聞き分けがイイのに限るぜ」
「よさないかっ、京一ッ、おまえも佐久間を挑発するなッ」
胸ポケットにしまった眼鏡を取り出し、それを掛けながら二人の遣り取りを聞いていた龍麻は、その男子生徒が蓬莱寺と親しい間柄らしいと、あたりをつけた。
「まったく、俺が学校にいない時に問題を起こしてくれるな」
困った奴らだ、というような顔をして蓬莱寺と佐久間の二人に向けて告げてから、その男子生徒は龍麻に向き直った。
「転校生── 緋勇とかいったか、レスリング部の部員が言いがかりをつけたようで謝るよ。すまん」
「別に君に謝ってもらうようなことではないでしょう。それに気にしてませんから」
「いや、先に喧嘩を売ったのは、こっちだからな。だが、そう言ってもらえると助かるよ。俺は醍醐雄矢、おまえと同じC組の生徒だ。レスリング部の部長をしている。よろしく」
「こちらこそよろしく」
「それにしても……、俺が駆けつけたからいいようなものの、キミもあんまり粋がらないことだ」
別に粋がった覚えなどないのですけれどね── と、つくづくここの生徒は相手を見ず、話も聞かずに勝手に判断するのが好きなようだと龍麻は思う。たまたま彼らがそうなだけなのかもしれないが。そしてやりにくい、先が思いやられる── と。
「まぁまぁいいじゃねぇか、醍醐」
「おまえなぁ」
「それにしてもよくここが分かったな」
「ああ、それなんだが、美里に感謝するんだな。彼女が真っ先に俺に知らせてくれたんだ。あの慌て方は尋常じゃなかったぜ。緋勇くんが危ない、ってな」
「もうッ、醍醐くん」
顔を赤らめ、余計なことを言わないでというように、美里が醍醐の名前を呼んだ。
「まぁ、いらぬ心配だったみたいだな。それにしても凄い技だな。昔、古武道で似たような技を見たことがあるが……」
「醍醐、おまえも手合わせしてみるか?」
「さあ……な。まぁ、いずれにせよ、よく来たな、我が真神── いや……、もう一つの呼び名を教えておいた方がいいかな。誰が言い出したかは知らんが、いつの頃からか、この真神学園はこう呼ばれている、魔人学園、と── 」
魔人学園── 醍醐の告げた最後のその一言に、龍麻は目を細めた。
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