昼休みに入ってすぐに、また美里が龍麻に声をかけてきた。
「緋勇くん……、あの……、さっきは小蒔が変なことを言って、ごめんさない。転校早々、嫌な思いさせちゃったかと思って」
なぜ自分がしたことでもないのに自分がしたことのように謝罪するのか、それもやけにおどおどと自信なさげに。
クラスメイト、しかも親しい友人のしたことは、クラス委員として自分の責任だとでもいうのだろうか。
龍麻には理解できない。ましてそのまるでこちらの様子を窺っているかのように見える態度は、見ていると苛々してくるものがある。
蓬莱寺は美里を学園の聖女だと言っていたが、こういう娘は苦手だと、龍麻は心の中で今日何度目かの溜息を吐くばかりだ。
「そうだ……、今日は生徒会があるから無理だけど、明日にでも、学校のこととか色々教えてあげる」
「気持ちは嬉しいけれど、その必要はありません。必要なことは、転入の際に既にマリア先生から教えていただきましたし、それ以外に分からないことができたら、その時にお聞きしますから、そうしたら教えて下さい」
龍麻が自分を見下ろす美里の瞳を真っ直ぐ見返しながら返答すると、美里は自分の申し出が断られるとは思っていなかったらしく、龍麻のその答えにうろたえたようだった。
「あ、あの……、……でしゃばった真似してごめんなさい……」
顔を赤らめ、どうにかそれだけを告げて、美里は教室を急ぎ足で出ていった。
それを見送り、ホッと一息ついた龍麻の前に、蓬莱寺が示したガラの悪い生徒のうちの一人が立っていた。
「オイッ……、おいっ、緋勇ッ」
しかし蓬莱寺が自分の方にやってくるのを認めて、それ以上何をするでもなく慌てて立ち去る。
「ナンだ、佐久間のヤロー……。まぁ、いいや。そういえば、美里の奴、どうかしたのか?」
「さあ」
龍麻は分からない、と言うように首を振って答えた。
特に何かをしたわけではない。ただ、美里の申し出をその必要はないと断った、それだけのことだ。
「言いたくない、ってか。まぁ、どんな理由があるにせよ、あんまり、女を泣かせないこった。── って、俺が言えた義理でもないけどな。それよりも、どうだ、この真神学園は?」
「どうと言われてもまだ半日も経っていませんから。けれど、気を悪くさせるかもしれませんが、正直、今のところあまり良い感じは受けませんね」
多少牽制の意味を込めてそう答えた龍麻だったが、どうやら、その牽制は蓬莱寺には通じていないようだった。
「まぁなぁ……、坊ちゃん嬢ちゃんの学校じゃねぇからな。色々問題もあるってもんさ。オッ、そうだ、昼メシがてら、俺がガッコん中案内してやるよ。── ついて来な」
蓬莱寺は半ば強引に龍麻を教室から連れ出した。
「さぁてと、ドコに行こうか?」
しばし逡巡して、「では1階から」と龍麻は答え、二人は近くの階段から1階に下りる。
「ここ1階にはだな、1年のクラスと、職員室と保健室がある。俺達の担任のマリアせんせに会いたけりゃ、職員室に行けば会えるぜ」
蓬莱寺は歩きながら、隣を歩く龍麻に聞かれてもいないことまで告げる。
「マリアせんせは、前の英語の担任に代わって三ヶ月前に、この学園に来たばっかりなんだけどな……。ヨーロッパのナントカってトコから来たってハナシだぜ。あの通り美人だから止めときゃいいのに狙ってるヤローも多いって話だ。もしかしておまえも、マリアせんせのこと狙ってる口じゃねぇだろうな?」
どうして誰も彼もこういう方向にばかり話を持っていくのか、龍麻は軽い頭痛を覚えながら、首を振って答えた。
「確かに美人だとは思いますが、僕は興味ありません」
「なんだ、違うのかよ。そーだよなぁ、チョット、俺たちにとっちゃ手の届かねぇ存在かもな。悪ぃなっ、変なコト聞いて」
蓬莱寺に限らず、桜井という生徒もそうだったが、人の話を聞く気があるのかと疑いたくなるように、あくまで自分の規準で勝手に判断し解釈されることに、龍麻はたまらないな、と感じていた。
「ちょっとマリアせんせの顔でも覗いていくとするか」
二人はいつの間にか職員室の前まで来ていて、蓬莱寺は言いながら職員室のドアを開けた。
「── っと、マリアせんせは、っと、オッ、いたいた。ヨォ、せんせ」
職員室内を見渡し、マリアを見つけた蓬莱寺が、龍麻からすれば教師に対するとは思えない態度で近付きながらマリアに声をかけた。
「あらっ、貴方たちどうかしたの?」
「いやぁ、別に。ただ、緋勇が先生に会いたいって言うもんだからね。なっ、緋勇?」
「違います」
何も言っていないのに、勝手に自分のせいにされてはたまらないと龍麻はきっぱりと答えた。それに対し、蓬莱寺はなんだよ、という顔をして龍麻を見る。
「フフフッ。きっと、蓬莱寺クンに無理矢理連れて来られたんでしょう。まったく、困ったコね」
マリアは二人を見比べ、微笑いながら言った。
「ごめんさない、二人とも。先生、今から職員会議なの。また後でゆっくり話を聞くわ」
「あー、いいって、せんせ。たいした用事じゃないんだし。じゃッ、俺たち行くわ」
二人が出て行こうとした時、よれよれになった白衣を着た一人の男性教師が入ってきた。
蓬莱寺の姿を認めて、声をかけてくる。
「どうしたんだ? おまえが職員室に顔を出すなんて。そういや、おまえ、先月の卒業式の── 」
言いかける男性教師に、マリアがそれを遮るかのように声をかけた。
「犬神先生」
「マリア先生」
「すいません、蓬莱寺クンを呼んだのは私です。今日、私のクラスに転入してきた子がいて、色々手続きがあるので連れてきてもらったんです。蓬莱寺クン、どうもありがとう。緋勇クンもありがとう。二人とももう行っていいわよ」
マリアは蓬莱寺にまるで助け舟を出すように、その男性教師── 犬神に話しかけ、二人に出ていくように促した。
促されるままに廊下に出てから、龍麻は蓬莱寺に問いかけた。
「さっきの男の先生、犬神先生っていうんですか?」
「そう、犬神。隣のクラスの担任で、生物の教師。俺、あいつでえっ嫌ぇなんだよな」
「犬神── 。そう、なるほど、犬神、ね」
龍麻は蓬莱寺には聞こえないような小さな声で呟いた。その口許には、微かに、分かるか分からないかくらいの笑みが刻まれていた。
その後、2階を案内されて3階に戻ってくると、蓬莱寺はまた何やら在ると言って、龍麻を図書室に連れていこうと誘いをかけてくる。龍麻は興味がないと断るのだが、蓬莱寺はやたらとしつこい。
「行こーぜ、なっ? ほらほらっ、ヘヘヘッ……」
「ヘヘヘッ、じゃないわよ、まったく……」
「わぁっっ!! げっ、アッ、アンコ── ッ!!」
ふいにかけられた女生徒の声に、蓬莱寺は文字通り叫びながら飛び上がった。
「きょ〜いちぃ、あんたねぇ〜、げっつ、アン子じゃないわよっ。なんにも知らない転校生にナニ吹き込んでんのよっ!!」
「い……いやぁ」
見れば同じクラスの桜井と、もう一人、眼鏡を掛けた見知らぬ女生徒が立っていた。
「あんたの品のなさが伝染ったらどうするつもりッ」
「いや、その……」
「まったく……ホントだよ」
正しく呆れているといった態で、桜井は蓬莱寺がアン子と呼んだ生徒の言葉を引き取って続ける。
「京一は、スケベを絵に描いて額に貼ったようなヤツだからね」
「こ、小蒔っ、なんで、おまえが── 」
「ベーッ」
桜井は蓬莱寺に向かって舌を出しながら、慌てふためく彼を小馬鹿にしたように答える。
「ボクは、アン子が犬神センセイに教材の資料探し頼まれたから、手伝ってあげてたんだよ」
「それより、あんたねぇ── 」
「そうだよ、京一っ」
二人して蓬莱寺に詰め寄る。それに耐えられんというように、蓬莱寺はわざとらしく
「おっと──── 、ボク、そういえば、用事を忘れてました。遠野さんに、桜井さん、すいませんが、急ぐんで。それじゃっ」
と、さも今思い出したというように告げると、龍麻に向けて、わりぃな、緋勇ッ、と片手を上げながら声に出さずに唇だけで伝えると、「じゃあなっ」と、一目散、といった言葉が相応しいホウホウの態で廊下を駆け去っていった。
「チ、チョット、京一っ!!」
二人して呼び止めようと大声でその後ろ姿に声を駆けるがもう遅い。
「ハハハハッ、さらばっ」と声だけを残して、蓬莱寺の姿は見えなくなった。
「あっ、逃げた……」
「こらっ、京一っ!! まったく、もぉ」
「あいかわらず、逃げ足は超一流だね」
「ホント……」
二人して愚痴を言いあっていたが、ややあって、一人取り残された感のある龍麻に気がついたかのように声をかけてきた。
「── あっ、ゴメンね、あの京一に気とられてて── 」
「あっそうそうアン子。彼が、さっき話してた転校生の緋勇龍麻クン。緋勇クン── 、アン子とは初対面だよね。彼女、遠野杏子。皆はアン子って呼んでるけどね。新聞部の部長なんだよ」
桜井はそう言って、アン子こと遠野杏子に龍麻を、龍麻に遠野杏子を紹介した。
「── といっても部長件部員一人の寂しい部だけどね。こんちはッ、緋勇くん。あたし、3−Bの遠野杏子。キミの噂は隣のうちのクラスにも聞こえてきてるわよ、よろしくね」
今朝来たばかりで、一体どんな噂が立っているのやら、と半ば呆れながらも、龍麻はそれを顔には出さないようにして、他の皆にもしたように無難に短く挨拶を返す。
「よろしく」
「ふふふっ。これから楽しくなるわ。暫く退屈しないで済みそう……」
と何か意味深な笑みを浮かべていたが、時計を見て「あっ」と声を出した。
「もう行かなきゃ」
「ホントだ、こんな時間っ。アン子! はやく行こっ」
「う、うんっ」
「じゃあね、緋勇クンッ」
「ごめんねっ、今度、ゆっくり話しましょ。あっ、そうだっ、これ、あげるわ。新聞部が発行している新聞── 」
言いながら、遠野はどこから取り出したのか、校内新聞を1部、龍麻に手渡した。
「緋勇くんの取材もさせてよね、じゃあね」
言いたいことだけ言って、二人はあたふたと立ち去った。
「ふぅ── っ、ようやく行ったか。どうもアイツ苦手なんだよなぁ」
二人がいなくなったのを確かめて、どこに隠れていたものやら、いつのまにか蓬莱寺が戻ってきていた。
「わりぃな、緋勇」
ついつい三人の遣り取りに呆気にとられてその場に佇んでしまっていた龍麻だったが、失敗したと、心の中で呟いてた。
「うっとおしい野郎だぜ……。テメェ、目障りなんだよ……」
教室に戻って蓬莱寺が龍麻の傍を離れると、それを見計らったように、蓬莱寺が佐久間と呼んでいた生徒が言いながら寄ってきた。
「転校生だからって、イイ気になってんじゃねぇぞッ」
絡むように龍麻に話しかけてきたが、授業開始のチャイムの音と教師が入ってくる気配に、一つ舌打ちをしてその生徒は自分の席に戻っていった。
たった半日で、龍麻はなにやら随分と疲れを感じていた。
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