転校生 - 2




 1998年春、東京・新宿── 都立真神学園高校。
 3年C組の教室では、早くからある噂にざわついていた。
「ねぇねぇ、知ってる? 今日、うちのクラスに転校生が来るってハナシ」
「聞いた聞いたっ。職員室で、教頭がマリア先生と話してたんでしょ!?」
「男子だってハナシじゃない」
 女生徒たちが興味津々といった態で会話を交わしていると、ガラッと扉の開く音がして、扉の向こう、廊下に二人の人影が見えた。もちろん、そのうちの一人はこのクラスの担任教師であるマリア・アルカードだ。
「あっ、噂をすれば……」
 マリアが、その後ろに一人の男子生徒を伴って入ってきたのを見て、ざわついていた教室内が静かになった。
起立(きりーつ)、礼、着席(ちゃくせーき)
「GoodMorning Everybody」
「GoodMorning Miss.Maria」
「おはよう」教室の中を見回しながら、言葉を続ける。「みんな揃ってるかしら。もう知ってるヒトもいると思うけど……、HR(ホームルーム)に入る前に、今日からこの真神学園で一緒に勉強することになった転校生を紹介します」
 そう告げてから、マリアは自分の後ろに控えている男子生徒に声をかけた。
「それじゃ、こちらへ来てみんなに自己紹介を── 自分の名前を黒板に書いて」
 担任の指示に、その男子生徒は黒板に自分の名前を書いてから、一歩前に出た。
「島根から来ました、緋勇龍麻といいます。これから一年間、よろしくお願いします」
 決して大きくはないが、よく透る声で簡潔に告げて、転校生── 緋勇龍麻は軽く頭を下げた。
 彼── 緋勇龍麻は、見るからに身長がある。180近いのではないか。そして細身であるが、決して痩せているという印象はない。漆黒の艶のある髪で、難を言えばやや前髪が長く、目元がはっきり見えないところか。しかも眼鏡を掛けている。しかし、それでも顔が端正な造作であろうことは十分に見て取れる。
「緋勇クンは、一ヶ月ほど前にご家庭の事情でこちらに引っ越してきたばかりなの。分からないトコロが多くて戸惑うかもしれないから、みんな、色々緋勇クンに教えてあげてね」
「緋勇くーんっ、前の学校では、なんて呼ばれてたの?」
 女生徒のその質問からはじまって次々と質問が浴びせかけられたが、龍麻は生年月日を答えたのみで、他の質問には答えようとはしなかった。それでも女子を中心として質問は続けられる。
「好きな食べ物はぁ?」
「好きな女の子のタイプはっ?」
「お姉さんか妹いるっ?」
「チョッ……チョット、みんな、待って、緋勇クンが困ってるでしょっ。質問は、もう終わりにします」
 いつまでもキリのない状態に、マリアは思わず止めに入った。それに生徒たちから「えぇ〜っ」と不満の声が上がったが、マリアはそれに構わず龍麻に声をかけた。
「ごめんなさいね、緋勇クン。みんな、転校生が珍しくてしょうがないの。さっ、みんな、授業に入りますよ。緋勇クン、それじゃキミの席は……」教室の中を見渡して「そうね、確か、美里サンの隣が空いていたわね。美里サンはクラス委員だから、色々教えてもらうといいわ。美里サン、よろしくネ」
 龍麻がマリアに促されて示された席に行くと、隣の席になる美里という女生徒が、微笑みながら、ヨロシク、というように軽く頭を下げた。それに対するように、龍麻も軽く頭を下げながら席に着く。
 それを確かめて、改めてマリアは教室の中を見回しながら声を出した。
「それじゃ、ホームルームをはじめましょう。今日の議題は、旧校舎の改築案について……」



「緋勇くん、こんにちは」
 休み時間になって、隣の席の美里が立ち上がり、龍麻の前に立って声をかけてきた。
「さっきは、すぐにホームルームに入ってしまって挨拶もできなかったけれど、……ごめんなさい」
 美里は客観的に見て美少女といえる部類に入るだろう。おっとりした感じで、癖のないストレートの艶やかな黒髪は背の中ほどまである。
 マリアは美里がクラス委員だと言っていたが、龍麻にはとてもそうとは見えなかった。美里からは、クラス委員というリーダー性は感じられなかったから。
 それにしても、一体何を謝る必要があるというのだろうと思う。あの時点で挨拶を交わせなかったのは、何も美里の責任ではないと思うのだが。非がない場合は、そうむやみに謝るものではないというのが、龍麻の持論である。
「私、美里葵っていいます。美里は、美しいに故里の里。葵は、葵草の葵── 。これからよろしくね」
 その言葉に、龍麻は一言、「よろしく」とだけ答える。
「学校のことで分からないことがあったら、いつでも聞いて」
 美里が話していると、ショートカットの活発そうな女生徒が近寄ってきて、美里の肩を軽く叩いて声をかけた。
「あ〜お〜いッ!!」
「小蒔──
「葵もやるねぇ〜。 早速、転校生クンをナンパにかかるとは──
「えっ、ナンパ?」
「うんうん── 。生徒会長殿も、よ〜やく男に興味を示してくれたんだねぇ」
 一人納得したように頷きながら、美里から小蒔と呼ばれた女生徒は話し続ける。
「いやいや、クラス委員長でしかも生徒会長なんてやってると男とは無縁になっちゃうの、分かるけどさ。もうちょっと──
「もう、小蒔ッ」
 いきなり自分の前ではじめられた二人の会話に、龍麻は声にはしなかったが、そのような話なら自分のところではなく、他所(よそ)でやってくれと思いはじめていた。こういった類の会話は、好きではない。
 しかし、美里が単にクラス委員であるだけではなく、生徒会長も兼ねているのだということを美里が小蒔と呼んだ女生徒の科白から知ったが、尚のこと、龍麻には信じられないという感が強くなる。
 今自分の目の前にいる美里が、クラス委員だけならまだしも、全校生徒の代表を務めるようなリーダーシップを持ち合わせているとは、龍麻には到底見えなかったからだ。
「ヘヘヘッ。まぁまぁ」
 小蒔と呼ばれた女生徒は美里を宥めるように言って、それからようやく龍麻に目を向けた。
「転校生クン、はじめまして。ボク、桜井小蒔。花の桜に、井戸の井、小さいに、種蒔きの蒔。弓道武の主将をやってんだ。これから一年間、仲良くしよーね」
 そう告げる桜井に、龍麻は分からぬように小さく溜息をついてから、美里に対した時と同じように「よろしく」とだけ短く答えた。
「うんっ、そうだね。キミ、悪いヒトじゃなさそうだし、仲良くやってけると思うよ。アッ、でもなぁ……緋勇クンて葵みたいなタイプが好みじゃないの?」
 いきなり何を言い出すのかと目を見張ったが、龍麻はあえてその問いには答えを返さなかった。そのような質問に答える謂れはないというのが、龍麻の思いだ。
 すると、桜井は答えがないのを答えと勝手に判断したらしい。
「ふ〜ん……脈なし、か。まっ、いずれにしてもライバルが多いのは、覚悟した方がいいよ。葵は、男に対する免疫がないから大変だと思うけど、玉砕しても骨ぐらいは拾ってあげるからさ」
 矛盾したことを言う、と思う。
 脈なしかと言いながら、その実、龍麻が美里に好意を持っていて、彼女にアタックするのが既に決定事項、とでもいうかのように。
「小蒔……。聞こえてるわよ」
「いやぁ〜、ヘヘヘヘッ。緋勇クン、ボク応援してるからねっ、がんばりなよっ!!」
「あっ、ちょっと…… もうっ、小巻ったらっ!! あ……あの……小巻が、変なこと言っちゃって、その……ほ……本当に、ごめんなさい……」
 桜井は言いたいことだけ言って去り、美里は自分が言ったのでもないことを謝って、慌てて桜井の後を追って立ち去った。
 龍麻は深い溜息を一つ吐いた。どうも、ここは過ごしづらそうだ── と思いながら。
 こちらは何も言っていないというのに、どうして自分が美里に対してアプローチするのがさも当然というようなことを言うのだろうと、龍麻にはそれが理解できない。
 まだたいした会話を交わしたわけではないが、龍麻は既に、美里は自分にとってはどちらかというと不得手なタイプであると感じている。従って、桜井が期待しているようなことは起きようがないのにと。
「あ〜あ〜、あんなにカオ真っ赤にしちゃってカワイイねぇ〜」
 いきなりの声にその声のした方を振り向くと、一人の男子生徒が傍らに立っていた。
「ヨォ、転校生、俺は蓬莱寺京一。これでも、剣道武の主将をやってんだ。まぁ縁あって同じクラスになったんだ、仲良くしようぜ」
「よろしく」
「一つ忠告しておくが……、あんまり目立ったマネはしない方が、身の為だぜ。学園の聖女(マドンナ)を崇拝してる奴はいくらでもいるってことさ。特に、このクラスには── 頭に血が上りやすい奴らが多いしな……」
 そう言って、蓬莱寺が顎をしゃくる。そうして示された方を見れば、ガラの悪そうな数人の生徒がいた。
 もっともそうやって龍麻に忠告をする蓬莱寺自身も、優等生タイプではない。むしろその逆だ。粗野な印象を受ける。
「まっ、そういうこった。無事に学園生活を送りたいなら、それ相応の処世術も必要ってことさ。じゃ、また後でな」
 目立つなとの忠告だが、転校生というのはそれだけで注目されるものなのに── と、蓬莱寺の背を見送りながら龍麻は思う。
 そして、つくづく過ごしづらそうだと、先が思いやられそうだと思いながら、龍麻は眼鏡を外し、取り出した布で軽くレンズを拭いて掛け直した。





【INDEX】 【BACK】 【NEXT】