目的の宝石を手中にした後も、彼はKIDとしての活動を止めることはしなかった。相変わらず、めぼしいビッグジュエルがあると分かれば、それまでと同様に、予告上を出し、盗み出しては返却していた。また、それは以前からのことではあったが、現在もなお、毎回ではないが、組織の者から狙われ、攻撃を、狙撃を受けていた。すべて交わしきってはいたが。
なぜ、パンドラを見つけ出した後もその行動を続けたのかといえば、一つには、組織に、自分はまだパンドラを手に入れてはいないと思わせるため。幸いなことに、パンドラの元の持ち主は、KIDが送った物を別のものだとは公表しなかった。ただ、盗まれた物が無事にもどってきたと公表したのみだ。おそらく、送る際に同封した書状から何かしか察して、そういった行動をしてくれたのだろうと、KIDは感謝した。それもあって、なおさら組織は、KIDが既にパンドラを手中にしていることに気付いていない、KIDに対する行動は何一つ変わっていない。
そしてもう一つ。KIDとしては時間が欲しかった。確かに、組織に関して、相当の情報を得てはいる。しかし全て、ではない。まだ足りないと感じる部分がある。その情報を得るためには時間が必要だった。そしてさらに、情報を元に組織を潰すとなれば、情報を元に、それなりの準備が必要となってくる。今までは、本当にあるのかどうかも怪しくはあったが、それでも、とにかくパンドラを見つけ出すことが第一だった。同時に組織に関する情報を集めてはいたが。今の主目的は、組織を完全に、何一つ漏らすことなく潰すこと、その為に必要な準備をすることであり、KIDとしての活動は、ただ組織の目を欺くための実際には二次的なものになっている。だから準備のための時間が必要だった。
そしてそれらとは別に、もう一つの悩みがあった。
それはパンドラをどうするか、だ。最初は、組織の、その首魁の目の前で砕いてやるつもりでいた。しかし、考えてみれば、どれだけ用心をしたとしても、どんなイレギュラーが起きるか分からない。そんな予想しない、想定外のイレギュラーに対して、完全な予測など立てられようがない。となれば、当初考えていた通りに組織の前に本物のパンドラを持ち出すことはリスクがあるとしか言えない。そう考えると、組織に対する時に持参するのは、パンドラと連中に十分に思わせることのできる偽物にするに限る。ゆえに、KIDは手にしたパンドラに良く似た、そしてパンドラだと思い込ませることのできる偽物の用意を始めた。偽物だと分からぬように、本物だと思わせるように、月に翳した時、中に赤いインクルージョンが見えるような仕掛けを施した物を。もちろん、それを用意するための時間も必要だった。そう簡単に用意できる代物ではないのだから。
その一方で、本物のパンドラをどうするか、その処分に頭を悩ませていた。ヘタに隠すだけなら、いつか何かの弾みで見つかってしまうかもしれない。どんな人物の手に渡ることになるかもしれない。パンドラというその存在、その意味を知る者が他にはもう誰もいないと確信できるならそれもいいだろう、そう、隠すだけでも。しかしこれもまた、そうとは限らない。当初は気付かなくても、気付く者が出てくる可能性は否定できない。となれば処分するしかないのだが、ただ砕けばそれで大丈夫なのか、問題ないのか。砕くつもりだった、それでいいと思っていたが、果たしてそれで十分なのか、今は疑問を持っている。それらのことを考えた挙句、ある意味、専門家、と言ってもいいのではないかという存在に相談を持ちかけることにした。危険は伴うかもしれないが、パンドラの処分ということでいえば、それが一番確実なのではないかと思ったからだ。ただし、それはあくまで相手がKIDの要望を受け入れてくれればの話であり、そこは自分が相手を信用するしかないのだろうと思い、行動に移すことにした。
KIDは、昼の表の顔、黒羽快斗として、彼が通っている江古田高校において、人目が多くあり注目を集めることになるだろう教室を避け、休み時間に廊下ですれ違うようにして、その相手、KIDとして専門家と認識している小泉紅子に声をかけた。他の誰にも聞こえないだろう小さな声で。
「話が、頼みたいことがある。他の誰にも分からない場所で」
小泉紅子── 彼女曰く、赤の魔女、赤魔術の正当なる後継者。紅子の言葉など、KIDは、快斗は当初は信じてなどいなかった。しかし、彼女のこれまでの言動から、それを否定することは難しかった。彼女は、時にKIDの命を危険に晒し、時に救いもした。また、世間話をよそおって、高校の教室内で、そっと“魔神ルシファー様からの予言”として、KIDである快斗に幾度となく告げた言葉があった。その言葉のおかげで、KIDは難を逃れることがあったのも事実だ。加えて、不老不死を齎すというパンドラなどという物があるならば、一概に“魔女”という存在を否定するのはし難い。いても不思議はないと思える。故に、彼は彼女に賭けたのだ。彼女が、彼女の言う通りに魔女などだと信じて。
「今夜10時、道を開けておくわ」
紅子は小さな声でそれだけ返すと、何事もなかったかのように快斗の脇を通り抜けていった。
“道を開けておく”、普通に考えれば、訪問したいと告げている者に対する言葉としてはおかしな答えだが、彼女が魔女であり、彼女が望む者、許した者以外の存在が屋敷を訪れるのを防ぐためなら、屋敷に辿りつかせないようにすればいい。それが“道を塞ぐ”ことであり、彼女は快斗、いや、KIDのか、訪問を認めたから、“道を開ける”と応えたのだろう。そして真実、紅子が魔女であるならば、彼女に頼みを持ちかけた快斗のその頼みの内容も、察しがついている可能性は十分にあると、快斗は思った。
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