「権限がなくとも、意図が正しければ許されるという感覚もある。
誠心誠意の主張が正しいとは限らない。問題を一面的にしか見ていない場合や、信念が思い込みに過ぎない場合も多く見られた。しかも、本人は心から正しいと思っているのであるから、自分の主張に対して疑うところがない。場合によっては、自分の主張から外れる人間は誤っているという独善的な部分もある」
これは、まだ日本がエリア11となるずっと前、開戦の20年余りも前に起きた、ある大手金融機関の廃業に関して刊行された本の中の一文である。その本の内容は、廃業に関する経緯とその後、特に、場末と呼ばれて他の社員から嘲弄されていた業務管理本部── そこは会社中枢から離れ、仕事でミスをして「勉強し直せ」を言われた者、組織内の跳ね返り、支店で営業ができないと烙印を押された社員、そんな人間たちの集団だった。しかし会社が破綻を迎えた時、廃業にに至った原因── 以外の者もいたが、2,600億もの簿外債務── や、それにかかわった人物たちを調査した事実と廃業に伴う清算業務を元に書かれたものである。その調査を行った者や清算業務に関わっのは、多くはその場末と呼ばれた業務管理本部の者たちが主体であり、その中でも12名の中心となっていた者たち── 特にその長であった業務管理本部長── をメインにして書かれており、その本の中において、彼らは後軍── 戦に破れて退く時、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵士たちのことだ。彼らが楯となって戦っている間に、多くの兵は逃れて再起を期す── と表現されていた。そして先の一文は、更にその本より先に刊行された、その調査委員会のメンバー、特にトップであった業務管理本部長を批難したとしか判断し得ないものであった。
しかしたまたまこの本を読む機会を得て、後にルルーシュがこの一文を思い出して考えたのは、これはまるでスザクそのもののことではないか、ということであった。
スザクはアッシュフォード学園の生徒会室において、常に自分の意見を主張してばかりで、他の意見を聞こうとはしなかった。彼の繰り返される主張にいい加減他の者たちが辟易していることにすら気付かぬかのように、ひたすら繰り返していた。そして自分の考えは絶対に正しいと、他── 特にブリタニアがテロリストと呼ぶレジスタンスたち、その中でも奇跡を起こす救世主として多くのイレブンからの支持を持つ仮面のテロリスト“ゼロ”と彼が率いる黒の騎士団── は間違っていると否定ばかりしていた。おそらくは他の多くのイレブン── 日本人── の方がスザクとは正反対の考えを持っていたであろうに── だからこそ、彼らは名誉にはならずイレブンと呼ばれる立場に甘んじていたのだろうから── それを一切考えることをしなかった。理解しようとすらしなかった。
そしてまた、スザクはよく自分の「実力」と口にしていたが、ルルーシュに言わせれば彼の実力など全く、とまではいかずとも、ほとんど無い、少なくとも関係ない。確かにスザクの身体能力は非常に優れている。それは否定しない。しかしスザクがランスロットのデヴァイサーとなったのは、実力などではなく、ただ単に適合率の高さからであり、要は機体との相性の問題だ。それを見事に使いこなしたのは確かにある程度は実力であると言えるかもしれないが、それも適合率── 相性── あってこそのことと言える。その後の黒の騎士団とブリタニア軍との戦闘においては、確かにスザクの騎乗するランスロットは黒の騎士団にとって十分すぎるほどにイレギュラー的存在ではあった。しかしその要因は、確かにスザクの本来持つ身体能力の高さと、そこからくる反射神経の高さにあったことは否定できないが、最大のものは、他の何よりもランスロットというKMF自体の機体性能の高さそのものにあった。金にあかせて開発された最新鋭のKMF。そしてその機体性能の高さゆえに、ランスロットは使いこなすことのできるデヴァイサーを選ぶことになったのだ。
一方でスザクがアッシュフォード学園に編入できたのとて、たまたま政庁を抜け出していた皇女のユーフェミアと知己となり、そのユーフェミアの計らい── “お願い”という名の“命令”によるもの── でしかなく、更に彼がユーフェミアの騎士となったのは、チョウフ基地での事があったがゆえだ。それはブリタニア軍に捕らわれてランスロットに騎乗したスザクによって処刑されようとしていた藤堂鏡志郎を、ゼロと黒の騎士団がキョウト六家の依頼を受けて、藤堂の部下たる四聖剣たちと共に藤堂の奪還をはかったのだが、その際、スザクは藤堂に敗れている。そう、藤堂はスザクの騎乗するランスロットを一刀にし、そのコクピット内部を明らかにしたのだ。その場は藤堂奪還を第一目的、優先事項としていたためにそれで終わったが、もしそうではなく正面から対峙していたなら、その時点でのスザクは間違いなく敗れていた、ゼロの立てた作戦と藤堂の実力の下に。そこにはスザクの、自分が誰かに敗れることなど無いという、いわば驕慢もあったかもしれないことは否定しないが。そしてその結果、デヴァイサーが名誉であると知れたことにより、その様子をリアルタイムの映像で見ていたブリタニア人たちは掌を返したように処刑すべき藤堂を逃がしたスザクを批難した。それを見ていたユーフェミアは、周囲から“お飾り”と陰で呼ばれて何もできないでいる自分を重ねたのだろう、スザクを哀れに思ったのかもしれない、それがゆえのスザクの騎士指名だ。しかも誰に相談することもなくその場で唐突に、名誉を、しかも特派所属、つまりは特派を創設したという意味からすれば、シュナイゼルの部下にあたるスザクを無断で騎士に任命するという、あるまじきことをしでかしたのだ。騎士を任命するのは皇族たる自分の権利と、ただそれだけで。
スザクが本当にきちんと自分の立ち位置を理解していたなら、ユーフェミアから騎士指名を受けた段階で、まずは直接の上司であるロイドに相談すべきであった。スザクから皇女であるユーフェミアに対して騎士指名を断ることはできない。しかしロイドを通してシュナイゼルが断る、拒絶する、という手段が取れたのだ。しかしスザクはロイドに相談することなど一切考えず、ただ皇族に、ユーフェミアに騎士として指名された、その事実に浮かれて何も行わなかった。相談一つ行わずに受けたのだ。主を持つ者としてはありえべからざる行動といえる。もっとも、スザクは自分の上司はあくまでロイドであって、自分がシュナイゼルの部下であるという認識が無かった可能性も大いにあり、そのための結果とも言えるのだが。
ではそうして主となったユーフェミアと騎士となったスザクの様子についてどうかと言えば、それは単なるおままごととしか周囲には見えなかった。主であるユーフェミアがいいと言ったからと、皇女を愛称で呼び、敬語を使わず、しかも騎士ならば常に主の傍にいるべきであるにもかかわらず、スザクはアッシュフォード学園に在籍し通学を続け、特派にも居続け、ランスロットのデヴァイサーであり続けた。つまり騎士としてユーフェミアの傍にいる時間は酷く短く、一体何のための騎士任命なのか、この在り方のどこが主と騎士なのかと、さすがに表では誰も口にはしなかったが、陰では皆そう言い交わしていた。ましてやスザクは騎士たる者のことを何も理解していない。ただ皇族の傍に仕え、その皇族、スザクの場合は第3皇女であり、このエリアの副総督たるユーフェミアになるわけだが、彼女を守ることだけ── それすら常に傍にいない状態でどれだけできるつもりでいたのか、スザクの思考を知りたいものだ。コーネリアの親衛隊が傍にいるから大丈夫だというユーフェミアの言葉を信じて、なんら騎士としての役目を果たしていない、それでいて彼女の騎士であることに、認められたことに誇りを持っていたその思考を── だと思っている。あくまで名誉であり本来のブリタニア人ではないということから、ブリタニアにおける騎士制度を完全に理解しきっていないのはある程度仕方ないということはできるだろう。しかしユーフェミアはスザクを甘やかし、スザクもまたユーフェミアの言葉に甘え、結果的にスザクは騎士としてどうあるべきか、それをきちんと理解しようとはしなかったし学ぼうともしなかった。皇族の騎士となった以上、ルルーシュたち兄妹のことがなくとも、騎士という立場を考えれば学校に通うことそのものを辞めることはなくとも、少なくとも一般の学園であるアッシュフォードを退学して士官学校に入り直すべきであった。そうすれば少しはブリタニアの騎士制度に関する知識を、騎士とはどうあるべきかを学ぶことができたであろうから。しかしスザクはそのようなことはしなかったし、ユーフェミアも求めなかった。だから周囲は二人の関係を主と騎士と見ることはなく、単なる主従ごっことしか捉えず、陰口を叩き、そんな態度のスザクはもちろん、そのスザクを己の騎士として任命したユーフェミアにしても、その評価は落下の一途を辿っていた。加えてスザクに対する評価の低下は、同時にまた、ブリタニア人から見たイレブンに対する評価を低く貶めていた。スザク自身はそのようなことになっていることに全く気付いていなかったが。ブリタニア人からすれば最も身近にいるスザクがイレブンという存在を評価する基準となっていたのだから、当然といえば言えたことであろう。そんな簡単な当然のことにすら何一つ気付かない、それがスザクの限界であり、彼言うところの実力なのである。そんな有り様でどうしてスザクが言うように、スザクの言う「実力で」という言葉を信じることなどできるだろうか。彼に真に「実力がある」などと認めることができるだろうか。そのほとんどが偶然と幸運の連続に過ぎなかったとしか言えないものを。
スザクのアッシュフォード学園生徒会室における主張は、アッシュフォード、生徒会室、生徒会メンバー相手、ということを別にしても、一般の学校内において発言されるにはもともと相応しいと言えるものではなかったが、そのようなことを気にすることもなく、そして周囲の反応など気にかけることもなく、スザクは一方的に繰り返していたわけだが、ユーフェミアの騎士となったことでそれは余計に拍車がかかった。ユーフェミアに対する賞賛、礼賛が加わったのだ。自分を初めて認めてくれたたった一人の人── それがスザクのユーフェミアに対する一番最初の思いであり、ルルーシュやナナリーのことは頭からすっかり抜け落ちていた。それはルルーシュたちが昔からの友人であり、幼馴染と言える親友だったから当然のこととしての結果だったのかもしれないが、ならばルルーシュの「スザクは自分の親友」という言葉を受けて彼を受け入れた生徒会のメンバーは、他の生徒たちはどうなのかと問いただしたいものだ。スザクが自分を受け入れた生徒会のメンバーや他の生徒たちに対してどう思い、何を考えていたのか。それはともかく、スザクは常にユーフェミアの傍にいるわけではなく、結果、ユーフェミアが副総督として行政面でどのようなことをしているのか、していないのか、全く知らない。たまに公務で外出する時に騎士として傍にあるだけで、それ以外では時間のある時、共にお茶をして話相手になっているくらいだ。しかもあろうことか、皇女であるユーフェミアと共にテーブルにつくという形で。一緒にお茶を、というのももちろんだが、皇族と同席、つまり同じテーブルについていることからして他の者からすれば信じがたいことである。そしてそれを許し、それ以上にそれを願っているユーフェミアについても。
同席したお茶席でスザクがユーフェミアから聞かされるのは、彼女の思い、理想、そして、誰も自分の話を真剣に聞いてくれないという、いわば愚痴である。差別はおかしい、互いに話し合い、手を取り合っていけるはず、そう思い、理想を抱くのは決して間違ってはいない。しかしユーフェミアの場合、その理想を声高に叫ぶだけで具体策がなんら伴わない。ましてやユーフェミアの言はブリタニアの弱肉強食という国是に反している。それでもユーフェミアが他の庶民たちのように罰せられないのは、母方の実家の力、“ブリタニアの魔女”と異名をとる現エリア11総督たるコーネリアの存在があればこそであり、他の者たちからすれば、現状ではユーフェミアはどこまでいっても“お飾り”でしかないのだ。“お飾りの副総督”“コーネリアにとって大切な、愛で、慈しむだけの溺愛する妹姫”でしかないのだ。そのような現状を全く認識していないスザクは、ただユーフェミアの言葉を信じ、間違ってなどいない、間違っているのは周囲の方だと声をかけるだけであり、ユーフェミアはスザクのその言葉を受けて満足する。それが二人の在り方である。そのような有り様では、どこまでいってもそんな二人の関係をきちんとした主従関係にあると見ることのできる者が現われようはずがない。
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