生と死 【8】




 エリア11を攻めるにあたって、黒の騎士団は二方面に分かれた。一隊は総司令官となった中華の星刻が指揮を執る本体であり、キュウシュウ方面において戦端を開く。そしてもう一隊は、日本人を中心として今はCEOという立場にあるゼロが指揮を執るエリア11── かつての日本でも首都であった── トウキョウ租界、当地の中心たる政庁を攻めるトウキョウ方面軍である。
 ゼロはあらかじめ他の隊員には内密に、二人の人物を政庁に忍び込ませていた。篠崎咲世子とロロである。目的はブリタニア軍に身柄を押さえられ、政庁内に閉じ込められているカレンをその愛機である紅蓮と共に脱出させること。そしてもう一人、総督の立場にある妹のナナリーを政庁から無事に連れ出すことである。
 戦闘が開始されてから、ランスロットに騎乗するスザクから蜃気楼のゼロ、否、ルルーシュに対して通信が入った。自分はブリタニアが新しく開発した兵器、それもただの兵器ではない、大量破壊兵器を搭載している。それを使用したくない、だから引いてくれと。だがスザクのその言葉をルルーシュは信じなかった。枢木神社での出会いで裏切られたばかりの状態にあり、ルルーシュだけではなく、それ以外の者たちに対してのことも含めて、それ以前の過去の様々な仕打ちもある。第一、戦闘の総指揮を執っている者からの宣言ならばともかく、いくらラウンズとはいえ、今現在の戦場においては一人の軍人に過ぎない者が、敵の大将、指揮官に告げるようなことではないし、仮にそれら全てを別にしても、言葉だけでどのような兵器かも分からないものの存在など、その兵器の持つ力など、分かりようがない。つまりスザクの言葉を信じる要素など何一つないのだ。そして無事に政庁から紅蓮── ブリタニアによって改造されたらしく、幾分形状は変わっていた── で脱出してきたカレンに対し、ルルーシュは「スザクを殺せ」と命じた。そこにルルーシュの個人的感情が全く無かったとは、否定はしない。そしてまたその命令に背く理由もないカレンは、ランスロットを追い詰め、もう少しでそれを果たすところまで追い詰めた。
 そして結果、かつてルルーシュがスザクにかけた「生きろ」のギアスが発動し、スザクは彼が告げていた兵器を発射した。しかもこともあろうに政庁に向けて。ルルーシュは知らぬことだが、スザクは当初は搭載することそのものを拒絶していたし、搭載することが決まった後も、撃つつもりはない、決して使わない、と言って出撃していたにもかかわらず。ギアスの発動により、スザクは己自身が生き延びるために使用した、そこまではまだ理解できる。しかし何故政庁に向けてなのか。敵は黒の騎士団、自分を追い詰めるカレンの紅蓮と、ゼロの騎乗する蜃気楼であり、そちらに向けて発射するなら、良いか悪いか、スザクの覚悟がどうだったかは別にして、まだ理解できる。だが何故政庁に、すなわち味方に向けてなのだ。ましてや政庁には総督がおり、エリア11の執政を司る中心である。いくらギアスが発動したためとはいえ、そのようなことをしようはずがないのだ。生きるためには自分の敵を倒すこと、つまり黒の騎士団を、直接的には自分が騎乗しているランスロットを攻撃し、スザクを殺そうとしている紅蓮に騎乗するカレンに向けて行われるべきはずなのだから。それらを考えた時、推測に過ぎないが、導き出される答えが一つだけあった。それは、スザク自身も気付いていないだろう心の奥底で、口ではなんと言おうと、そして皇帝の騎士たるラウンズとして従っていようと、実際には日本がブリタニアのエリアとなり、その中で父ゲンブを死なせたことも加わって、ブリタニアに対する恨み、怒りがあったのではないかということだ。そのためにそのブリタニア支配の象徴とも言える政庁に向けて発射した。そうとしか思えない。とはいえ、本当のところはスザク自身も含めて、他の誰にもはっきりと明言できる者はいないだろうが。ただ少なくともスザクが決して使わないと言い切っていた兵器── フレイヤ── を使用したのは間違いのない事実であり、スザクは自分の言葉を覆した。
 かつてスザクの上司であった当時、ロイドはスザクに対して「矛盾している」と告げていた。スザクは「死にたがり」だ。名誉の軍人は銃の所持を認められてはいなかった。それが可能か否かは別にして、ブリタニアを中から変えたい、そのための手段として軍に入ったという側面は確かにあっただろう。だがそれ以上に、そういった環境であれば死ぬことができる、というのもあったことは、決して否定することはできないだろう。それでいながら実際には、適合率の高さからロイドによって選ばれてランスロットのデヴァイサー── ロイドに言わせれば“パーツ”だが── となって、数多くの、テロリストとしてブリタニアの支配に抵抗している者たちや、征服戦争をしかけている相手国の兵士たちを殺し続けている。“白き死神”の二つ名で呼ばれるようになる程に。特にテロリストについては、黒の騎士団、特にゼロにに対する執拗さはユーフェミアのことがあったとはいえ、常軌を逸していると言えるのではないかと思わせることがある。それほどに固執している。それの一体どこが「死にたがり」だと言うのか。スザクは「死にたがり」とされながら、実際にはとにかく数多くの人間を殺し続けているのだ。このことからすれば、スザクは決して「死にたがり」などではない。彼は何よりも己の生を望んでいるのではないか。ただ、自分自身では死を望んでいると思い込み、だからこそクロヴィス暗殺犯として冤罪をきせられ、拘束されて、ゼロに救われた後、自らゼロの差し出す手を払ってブリタニア軍に戻っていったのだろう。ゼロが自分こそがクロヴィス殺害犯だと公表してスザクを救い出したわけだが、必ずしもそれで無罪放免になるとは限らなかったのだから。だがこれまでの言動から、決してスザクは「死にたがり」などではなく、本音では「生きたい、生き続けたい」なのではないか。ユーフェミアに任命されて彼女の騎士となり、そして彼女が、彼女だけが自分を認めてくれたと、それがユーフェミアを賛美、崇拝し、その彼女を殺したゼロを仇として付け狙うことがスザクの生きる目的となったということもできるかもしれないが、決してそれだけが彼が「死にたがり」ではなく、「生きる」目的、要因となったというのには無理がある。つまるところ、スザクの「死にたがり」は彼がそう思い込んでいるだけで、実態は決してそうではなく、彼自身が自覚はしていなくても、むしろ逆だった可能性が高い。そう、生きることにこそ執着していたと言えるのではないか。そしてもしかしたら、そのことにロイドは気付いていたのではないか。それがロイドのスザクに対する評として「矛盾している」という言葉になったのではないか。「死にたがり」が事実であったとしても言えることだが、その逆であるのが真実なら尚のこと、その言動の不一致ゆえに。
 つまり彼の本音は、心の奥底にあるものは、彼自身は全く自覚していなかったとしても、ブリタニアに対する憎しみと、生きたいということだけだったのではないか。ルルーシュが「死にたがり」のスザクにかけた絶対遵守のギアスは「生きろ」であったが、本気で死ぬことを願っていたなら、そのギアスを解くことは、決して容易ではないが可能なのだ。全ては思いの強さなのだから。だからギアスを解くことができると知らずとも、それを強く願ってさえいれば、絶対ではなくあくまで可能性ではあるが、ギアスを解くことはできたのだ。それを願うこともせずに、本当にいやだと思うなら解ける可能性があることを知らずとも、ギアスにかかっていることを理解している以上、解くことはできないのかと、そう思い願うくらいはしていたはずであり、そしてまた、本当にそれを強く願い思っていさえすれば、解けた可能性はあったのだ。そしてそれをしなかったこと、つまり「生きろ」のギアスの発動と、スザク自身気付いていなかった本音が重なり、確かに元々のスザクの身体能力、ランスロットに対する適合率の高さがあったとはいえ、“白の死神”との二つ名を付けられるほどの活躍を見せるに至り、遂には超合衆国連合からの宣戦布告による黒の騎士団、ゼロとの戦闘において“フレイヤ”の使用、しかも政庁に向けての発射に至ったのではないか。
「三つ子の魂百まで」という言葉があるが、人の本質というものはそう簡単に変わるものではない。確かに、全く無いということはない。たとえば人生観を翻すようなことに出会った後などに。それで言えば、ブリタニアとの戦争、そして敗戦とそれに続く全てを奪われ植民地となった地で、被支配民族として生きていかねばならないという、それまでの全てを失ったことがあげられる。ましてやスザクは、キョウト六家の一つ、枢木家の長子であり、しかもその当主であるスザクの父たるゲンブは日本最後の首相だった。そのために戦前のスザクの意識は誰も自分に逆らえないという、政治家── しかも頂点たる首相である── の息子とは思えないほどに他人のことをほとんど考えない俺様で乱暴者でしかなかった。そのような立場、性格であったスザクが、己から全てを奪い去ったブリタニアに対して、憎しみを抱かなかったとはとうてい思えないのだ。
 スザクのユーフェミアに対する思いが偽りだったとは思わない。しかし端から見た二人の在り方は、とうてい「主と騎士」とは言えなかった。二人が若い男女であったことから、陰では恋愛関係を口にする者もいた。主たるユーフェミアが、スザクに自分を愛称で呼ばせ、敬語を使わないことを止めなかった── 実際にはユーフェミアがそれを望まなかったのだが── こと、一般の学校に通学させ、騎士ならば本来は常に主たるユーフェミアの傍らにあってしかるべきところを、学生として一般の学校に通うことを許し、更にはありえないことに、シュナイゼルの所有する組織たる特派に所属させたまま、KMFランスロットへの騎乗を許し続けていた。常に傍にいることを望まなかった、というより、スザクの都合がいい時に、そしてまた自分が望む時に傍にいてくれさえすればいい、そう考えているとしか思えなかった。ゆえに誰も二人の関係を「主とその騎士」とは見ず、それに名を借りた恋人同士と見る者が多かったのだ。しかしスザクにとっては、ユーフェミアに対して愛情は確かにあっただろうが、それは単純な恋愛感情とは言い切れない。アッシュフォード学園の生徒会室におけるスザクの言動から察すると、むしろ教祖と信者、あるいは思想家とそれに賛同する者、いわば、スザクのユーフェミアに対する思いは、恋愛感情が全く無かったと否定しきることはできないが、それ以上にスザクの意識からすれば、初めて自分を認めてくれた存在ということから、そしてまた実態はどうあれ、“慈愛の姫”と呼ばれるユーフェミアのナンバーズに対する思いから── スザク一人を別にすれば、他の者に対しては実行は全く伴っていない単なる理想でしかなく、それがゆえに周囲の見方に拍車がかかっていたのだが── 敬愛、崇拝、そういったものが強かったように思える。それは皇女とナンバーズではなく、あくまで人間同士という個人的な感情であり、そこに国家、民族というものは存在しなかったと思われる。ゆえにスザクの心の奥底に封印されていたであろう無意識のブリタニアに対する思いは、本人自身が自覚していなかったことから更に表面に現れることはなく、どのような感情からとはいえ、表面化されたユーフェミアに対する言動とランスロットでの活躍ゆえに、スザクは日本を裏切りブリタニアに尻尾を振る狗と、イレブンとなった日本人からは思われ、ブリタニア人も、少なくともスザクのブリタニアに対する忠誠に対する思いに疑いを持つ者はいなかたものと思われる。そしてスザク自身も、ゼロに対する憎しみもあいまって誰も気付かなかったのだろうが、その隠れた思いゆえにルルーシュのギアスが解除されることはなく、ことここに至って、ギアス発動から無意識のうちの行為において、“フレイヤ”を政庁に対して発射するという行動に至ったものと思われるのだ。
 スザクが政庁に向けて“フレイヤ”を使用したことにより、政庁は消滅した。いや、政庁だけではない。リミッターをつけていたために、本来持つ能力から言えば限定的ではあったとはいえ、その効果範囲内にあったトウキョウ租界に大きなクレーターを作り出し、その中にいた全てのものを消し去ったのだから。それはもう戦争などではない。一方的な虐殺、破壊以外の何物でもない。皆、何も知らぬままに、自覚もないままに、敵である黒の騎士団だけではなく、むしろそれ以上に、戦闘には関与していない多くの一般のブリタニア人が何も知らぬままに消滅したのだ。そう、“フレイヤ”によって齎されるのは“死”ではなく、生命の有無、有機物無機物に関わらず、範囲内にあるもの全ての“消滅”なのだ。スザク自身、説明を受けていたとはいえ、さすがにそこまでのものとは思っていなかったようではあるが、それが変えようのない現実だ。それはスザクが憎むギアス以上のものである。もともとギアスは必ずしも人の心を操るものばかりとは限らないのだから、それを考えれば、“フレイヤ”の方が遥かに人の意思を無視し、捻じ曲げ、その命を、全てのものを一瞬で消滅させるという点からすれば、恐ろしさはギアスの比ではないと言えるだろう。それでもスザクは、あくまでギアスの方のみを、人の心を操り歪めるものとして否定するのだろうが。





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