異界の(モノ) 【4】




 ブラック・リベリオンと呼ばれる、エリア11最大のテロ組織である黒の騎士団を中心としたイレブンよる一斉蜂起からほぼ半年。
 エリア11は矯正エリアへと格下げされ、暫定総督であるカラレス将軍による統治の下、イレブンは以前よりも更に過酷な仕打ち、差別を受けている。彼らにとっての希望であった黒の騎士団の指令たるゼロは、名誉ブリタニア人であり、かつ、“行政特区日本”において騙まし討ちのように日本人を虐殺した第3皇女ユーフェミアの選任騎士であった枢木スザクによって捕らえられ、ブリタニアに、直接的には皇帝シャルルに売られた。その後、ブリタニアからはゼロ処刑のニュースが入っている。それを知った今、イレブンたる日本人たちは、枢木スザクに対して、ブリタニアの走狗となった裏切り者として、そして同胞殺しとしておおいに憎み、恨みを抱いた。
 だが当の枢木スザクは、自分は間違ったことはしていない、ルールに則って正しいことをしたのだと、自分の考えのみを正しいものとし、他者が現在の状況をどう捉え考えているか、自分をどう見ているか、何も考えていなかった。日本人にとって、ゼロが如何に大きな希望をかけた存在であったかなど、考えもしない。
 ほとんどの日本人は、枢木スザクについてはブリタニアに尻尾を振る狗、自分のことしか考えない、自分さえよければいいと考える自分本位の存在なのだと思っている。ゼロをブリタニアに売り渡し己の出世を望み、皇帝の騎士、ブリタニアの臣下としては最高位のラウンズになったことがその思いに拍車をかけている。そう、その出世が、どこからともなく、ゼロと引き換えと知られてからはなおさらである。



 トウキョウ租界にあるアッシュフォード学園は、ブラック・リベリオンの際には、一時、黒の騎士団の拠点とされたことなどもあり、当時は相当に混乱したが、漸くかつての落ち着きを、学園のあるべき姿を取り戻していた。とはいえ、それは実は表面上のことだけであり、理事長をはじめとした当事者たちも知らぬ間に、学園はたった一人の人物を監視するための強固な監獄と化していたのだが。
 以前に比べれば、生徒や教師、職員のほとんどが入れ替わっている。変わっていないのは生徒会に所属しているメンバーくらいといっても過言ではない。だが、その彼ら彼女らにも、ブリタニアの皇帝シャルルの手は伸びており、本人たちが気付いていないだけで、その記憶を改竄されてもいるのだが、何も気付いていないだけに、学園は人の入れ替わりはあったものの、元に戻ったと考えているとも言える。ほとんどの人の入れ替わりについても、残念には思ってはいても、あんなことのあった後だから仕方ないのかもしれない、という思いになっている。それもシャルルの思惑に沿っているといえるだろう。
 そんなある日、リヴァルのバイクで賭けチェスから学園に戻り、クラブハウスの居住区の入り口前でリヴァルがそのバイクを停めて、ルルーシュはサイドカーから降りると、リヴァルに声をかけてからクラブハウス居住棟の玄関扉を開けた。
 それを確認した、ルルーシュを監視するためにある学園の地下に設けられた機情の部屋にいて、彼を“餌”と呼んでいるルルーシュを監視しているメンバーの男性の一人が、ルルーシュの私室を映し出すスクリーンのチェックを始め、途端、「えっ!?」といった驚きに近い声を上げた。その声に、その部屋にいた他のメンバーたちが「どうした、何か異常があったのか?」などと言いながら、声を発した男性の周囲に集まった。
 そして声を上げた男性が指さすスクリーンを見て、他のメンバーも驚き、最初に男性が声を発した理由も理解し納得した。
 何故なら、そこにいるはずのないものがいたからだ。それは一匹の黒い猫だった。
 窓は閉まっているし、扉だって、ルルーシュが出かけてからは誰もその部屋に入っていない。つまり扉を開けてはいない。猫が自力で扉をあけて部屋の中に入ったとも思えない。第一、部屋の中に入る以前にクラブハウスの中に入らなければならないのだから、そこからして、一体どうやって、という疑問が出る。どう考えてもできようがない。つまり、おかしいのだ、ルルーシュの私室に猫がいるということ自体が。
 やがて暫くして部屋の扉が開き、ルルーシュが入室したのがスクリーンに映し出された。そして、猫の存在に驚いたように眼を開いたことも見て取れた。
「……鬼嬢……」
 ルルーシュは小さな声で呟いた。それは本当に小さな声で、部屋に仕掛けられている盗聴器では拾いきれないほどのものだったので、誰も気付かなかった。
 ルルーシュは机の上に持っていた鞄を置くと、ゆっくりと猫に歩み寄り、そっと抱き上げた。
『突然申し訳ありません、聖。急ぎ長老がお目にかかってお話したいことがあると』
 抱き上げられた猫は、そっとルルーシュの耳元に囁きかけた。此処にはルルーシュ以外は誰もいないというのに他に知られるのを恐れているかのように。理由は分からないまでも、そうと察したルルーシュは、これもまた小さな声で「分かった」と応じ、もちろんルルーシュはその存在は知らないが、それでもスクリーンを通しては分からない程度に軽く頷くに留めた。
 機情のメンバーはその様子を余すところなく見てはいたが、ルルーシュと猫の間に交わされた言葉には一切気が付いていない。第一、常識的に考えて猫が喋るなどということはありえないのだから、そのような会話があったことなど、もとより気付きようもない。
 そしてその直後、機情の部屋の中は騒然となった。
 猫を抱き上げたルルーシュの姿が、突然なんの前触れもなく消失したのだから。
 そう、それは正に消失と言っていい状態だった。それまで猫を抱き上げたルルーシュの姿はきちんとスクリーンに映し出されていた。それが移動したのではなく、間違いなく、その場からそのまま消えたのだから。
 機情のメンバーは、まずは機器の異常を調べ、何も問題がないと分かると、まずい行動かとも思いながら、数名が慌てて駆け出していった。もちろん行き先はルルーシュが姿を消した彼の部屋だ。だがそこには誰もいなかった。何もなかった。ルルーシュが帰宅する前、いや、正確には彼が帰ってきて机の上に置かれた鞄以外は、出かける前となんら変わりはない。ちなみにその様子も全て地下のスクリーンにそのままに映し出され、確認できている。
 ルルーシュがそこにいた痕跡は、机の上の鞄以外には何一つ残っておらず、彼らは途方にくれて、上にどう報告したものかと頭を抱えるしかなかった。



 その頃、ルルーシュはかつて通いなれた道を歩いていた。彼が抱いていた黒猫は、すでにその方が馴染み深い、長い黒髪と、黒い衣を纏った女性の姿に変わってルルーシュのやや後ろを歩いている。
 ルルーシュたちが歩いている道は、ルルーシュが一族の里へと行くために、ルルーシュのためだけに開かれた、彼にしか分からない、見つけることはもちろん、入ることも叶わぬ道だ。ゆえに、その道を開いて入った途端にそれまで映し出されていたスクリーンの画面から、他の人間からはルルーシュたちの姿は消えたのだ。
 記憶を改竄されているはずのルルーシュがこの道を覚えているのには訳がある。
 何も難しいことではない。このこと、つまり現在ルルーシュが向かっている里にいる一族のことは、ルルーシュしか知らない。他には誰一人として知らないのだ。いくら記憶改竄のギアスといっても、決して万能ではない。さすがに知らないことまでをも忘れさせられることなどできはしない。そもそもが記憶を改竄する側にその情報がないのだから、弄りようがないのだ。だからルルーシュは彼ら一族に関することについては、何一つ忘れてはいない。それだけなのだ。





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