異界の(モノ) 【2】




 ルルーシュたち兄妹がアッシュフォード家に庇護され、ルルーシュがアッシュフォード学園の中等部に達する年齢になると、ルルーシュは学園に入学した。
 それまで、戦後間もない頃に本性は白狐だという葛葉と名乗る女性と出会ってから、すでに数年が経っていたが、その後、これまでの間、一度も接触は無かった。ゆえに、ルルーシュの中で、葛葉とのことはもしかしたら夢だったのではないかという思いが強くなりつつあった。
 そんなある日の夜、ルルーシュがクラブハウスの居住区内にある自室にいたところ、不意に何者かの気配を感じた。それまで一切何もなかったところに突然に。ルルーシュは気配のした方に躰を向けると、じっとそこを見つめた。するとゆっくりとそこに人の影が浮かび上がってきた。
「……葛、葉……?」
『ほう、覚えていてくれたか。何もないままに年月を経てしまったゆえ、あるいはもう忘れられてしまったかとも思っていたが、覚えていてくれたとは、嬉しいことよ』
 そう笑みを浮かべながら告げる葛葉の躰の影に、ルルーシュよりもいくらか幼いくらいの男の子の影があった。
 ルルーシュがその子の存在に気が付いたことを察した葛葉は、その子を前に押し出した。
『この子は亞愧(あき)という。そなたを我らの里に連れていくには、私だけでは無理なのでな、こうして連れてまいった』
「僕を、あなたがたの、里、に?」
『そうじゃ。そなたと私が初めて出会って以来、我らはずっとそなたを見てきた。見極めるために。が、それだけでは完全に見極めるのは無理がある。そこで、一度、そなたを我らの里に呼び、そこで長老をはじめとした皆と会ってもらってから最終的な結論を出そうということになったのだ。来てくれるか?』
「今から、ですか?」
『無理、であろうか?』
 すでに夕食を終え、妹のナナリーは就寝している時間だ。そして明日は幸い休日でもある。咲世子も自室に引き上げている。呼ばない限り彼女が自分から来ることはないだろう。彼女が自ら不振な気配を察しない限り。そして葛葉と、彼女が亞愧と紹介した子は、その気配を限りなく薄くしている。咲世子は優秀な忍びとミレイから聞いてはいるが、このくらいならば咲世子が気付くこともないだろう。ましてや葛葉たちは“怪しい”、あるいは、“危ない人間”とは違うのだから。
「長い時間は無理ですが、できるだけ早く帰していただけるなら」
 思考を巡らして、ルルーシュはそう首肯した。
『ならば早々に参ろう。亞愧、頼む』
 下を向いて、葛葉は亞愧に促す。
『分かった』
 亞愧は短く返した。と思うや、ルルーシュの目の前には見慣れぬ風景が広がっていた。
『此処が我らの里じゃ。この先で長老たちがそなたを待っておる』
 葛葉に導かれるまま、ルルーシュは歩いた。
 そこは周囲を森に囲まれたような処だったが、今、ルルーシュたちが歩いている処は幾分開けているといえた。
 やがて広場と呼んでいいようなところに出ると、その奥に多くの人影が見えた。ルルーシュは葛葉や亞愧の後について、その影に向かっていく。
 中央に、相当に齢を経たと思われる杖をついた人物── いや、葛葉の言葉を借りれば“(あやかし)”か── が立っていた。おそらくはそれが彼らの、葛葉の言う長老なのだろう。そしてその両脇には、以前、枢木神社の土蔵の中で見つけた本に載っていた、十二単という昔の装束を身に纏った、背丈よりも長い黒髪の美しい女性と、おそらくは男性だろう、全身を黒一色のマントで覆った顔も何も分からない、長身のモノがいた。
 たぶんに、その二人が、長老に次いで彼らの中では重要な立場にあるのではないかとルルーシュは思った。
 そして周囲には多くのモノたちがいた。彼ら、あるいは彼女らは、完全に人間の形をしているモノもいれば、若干異なるモノ、全く異なるモノもいて、その姿形は様々だった。
 暫しの間をおいて、おそらく長老は、ルルーシュが周囲の状況を把握するのを待っていたのであろうが、しわがれた声で傍らの女性に声をかけた。
煌子(あきらこ)、そなたから見て、この(わらべ)、どう思う?」
 煌子と呼ばれた十二単を纏った女性は、じっとルルーシュを見やった。
 長老がわざわざ名を呼び、問いかけていることから察するに、ルルーシュは己が感じたことは間違いではなかったのだろうと思う。
「……そう、ですね。特に問題はないと思われますが。それに、鞍馬山の大天狗殿の教えを受けたという話に間違いがなければ、()の方もまた、この童を認めたがゆえのことでありましょう。ならば我らが受け入れを拒否する理由はないのではないかと。
 葛葉、そなた、さすがにあの清明殿の母御だけのことはある。目に曇りはないようですね」
 煌子は長老に向けて答えた後、いまだルルーシュの傍らに立つ葛葉に、微笑みを浮かべながら声をかけた。
「煌子様、恐れ多きお言葉にござます」
 ── 清明?
 煌子が出した名と、葛葉の名前とを結びつけてルルーシュは考えた、というよりも、思い出したといったほうが正しいだろうか。
 かつて、ブリタニアからの侵略戦争開始前、実質は人質のようなものであったが、少なくとも名目上は親善のための留学ということで、ルルーシュは妹のナナリーと共に枢木神社に滞在していた。その際、ルルーシュは少しでも日本という国とそこに住まう日本人の特性を知ろうとの思いから、自分たちがいる土蔵の中にある大量の本、それは割合的には古文書が多く、日本に来る前に日本語の勉強してきたとはいえ、読み解くのには酷く苦労したが、それをほぼ全てといっていいくらい読み尽くした。
 その中にあったのだ、一つの歴史とも伝説とも言える話が。
 かつて平安時代と呼ばれた頃に存在した稀代の陰陽師、安倍清明。その彼の母は実は人間ではなく、狐で“葛葉”という名であったという記載があったのだ。
 煌子の言葉が正しければ、更に自分の考えがあっているとしたら、葛葉は本当に狐の化身であり、安倍清明の母親なのだろうか。
風鬼(ふうき)殿は如何(いか)に?」
 ルルーシュが考えを巡らしていると、長老は今度は煌子とは逆の側に立つ、全身をマントで覆い隠した男性だろうモノに問いかけた。しかも“殿”とまでつけて。ということは、その存在は、彼らの中でも、長老さえも一目置くほどのものなのかと思う。
 そう思っていると、そのモノはルルーシュに向かって歩み寄り、マントの下から右手を出し、それをルルーシュの額に当てた。思わず一歩引いてしまったルルーシュだったが、当てられたその手の温もりに、何故か、どこかしら懐かしさを覚えた。この手の温もりを、自分は知っている、そう思った。そのようなこと、ありえようはずがないにもかかわらず。
「間違いないようだな。記憶は無いようだが、間違いない。そなたは私の運命星(さだめぼし)。またこうして出会うことができて、これほど嬉しいことはない。たとえそなたに以前の記憶は無くとも、魂は同じものだからな」
 そう告げたかと思うと、頭を覆っていた部分を外した。そこにあったのは二本の角。そして印象的な水色の瞳。
 その顔を見て呆然としているルルーシュを、風鬼と呼ばれた彼── ── は抱き上げた。
「ほわぁっ」
 思わず声を上げて、ルルーシュはいきなり自分を抱き上げた風鬼に抱きつてしまった。風鬼は長身で、あまりにも高い位置に抱き上げられたことで、思わず気が動転してしまったのか、落とされないように、という条件反射のようなものであったか。
「ねえ、本当に彼は“悟”なの?」
 風鬼の言葉に、葛葉の隣に立っていた亞愧が、風鬼にすがりつくようにして問いかけた。
 亞愧が口にした“悟”というのが、彼らが以前に“聖”と呼んでいた存在なのだろうかとルルーシュは思った。そして、風鬼と呼ばれた鬼が、己に対して告げた言葉をそのまま信用するなら、自分は本当に、彼らから“聖”と呼ばれたと思われるその“悟”とやらの生まれ変わりだというのかと。にわかには信じ難いが。
「そうだとも言えるし、違うとも言える。魂は同じだが、彼の中に悟の記憶はなく、その点では別人とも言えるからな。だが、同じ魂なら、やはり私自身にとっては同じこと、我が運命星よ」
「風鬼殿がそう言われるなら、彼はやはり我らが“聖”殿、ということじゃな」
 しわが多くはっきりとは分からなかったが、そう言いながら、長老が嬉しそうに笑ったようにルルーシュには思えた。





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