かつて古の昔、日本では神は「モノ」であり、鬼もまた「モノ」であった。つまり、神も鬼も、共に「モノ」であり、すなわち、神と鬼は同じものであった。
そして共に同じ「モノ」であるがゆえに、鬼を倒すことができるのは、同じ「モノ」である神か鬼、ということになる。
当時、童子はより神に近いものと考えられていた。実際、古代、飛鳥時代の頃において、物部守屋に対して蘇我氏と共に戦った時、神に勝利を祈り、それを勝ち取った際の厩戸皇子── 後の聖徳太子── のいでたちは童子そのものであったし、昔話や御伽噺で鬼を退治するのは、桃太郎などをはじめとした童子たちであった。
それが何時しか時が経つうちに、神と鬼は別物であるかのようになっていった。
まだ日本にやってきて間もなく、ルルーシュは滞在先の枢木神社にいた頃、鞍馬山の大天狗と名乗る人外のモノとの、他の誰に知られない秘めやかな交流があった。その経験ゆえに、この世界には人以外のモノも存在するのだと、ルルーシュは理解していた。
そして自分たちがいるにもかかわらず、そのようなことは関係ないというようなブリタニアからの日本に対する宣戦布告がなされ、戦争開始からわずか1ヵ月程で日本は敗戦し、ブリタニアの新たなる植民地、エリア11となり、そこに住んでいた日本人はナンバーズとして“イレブン”と呼ばれるようになった。
戦後間もない頃、ルルーシュは実妹であり、目と足が不自由な妹を背負い、当初は共にいた、親しい友人となっていた、預けられた先の枢木家の息子であるスザクと別れ、戦後の焼け野原の中を彷徨い歩いていた。
そんなある夜のこと。
その夜は、小さな森と言っていいような処で、そこで見つけた誰もいないと思われる狩猟小屋のような所に入り込んだ。そしてナナリーが寝付いた後、ルルーシュはなんとなく、本当にこれといった意味合いもなく、小屋の外に出て、夜空を見上げていた。
ふいに、何かの気配を感じ取ってルルーシュは身構えた。
「誰、だ?」
小さな声で、誰何を問う。それは、動物のような気配とはまた違ったものであったから。
『これはまた珍しい、まだ人間の中に我らのようなモノの存在を感じ取ることのできる者がいたとは』
返ってきた答えは、まだ若いといっていいだろう女性の声だ。しかし何処にもその姿は見えない。
ルルーシュが声のしたあたりに目を凝らしていると、ゆっくりと、着物姿の女性の姿が少しずつ鮮明に浮かび上がってきた。
『我が名は葛葉。今はこのように人間の形をしてはいるが、本来は白狐よ』
「白狐……?」
『そう。かつて我らは人ではあらずとも、人と共にこの世で生きてきた。なれどこの秋津洲が近代国家への道を歩み始めて以降、人々の意識の中から我ら人ならざるモノの存在は失せるようになり、我らの存在を感じ取れる者もいなくなってきた。特に、幾たびかの外国との戦いを重ねるごとに。この度の負け戦の後ではなおさら。ゆえに、我が眷属のほとんどは他の次元に棲まいを移し、時折気まぐれのように人界を訪れたりはするものの、我らに気付く者はほとんどいなくなった』
葛葉と名乗った人間にしか見えぬ、自らを白狐だと告げる女性から漏らされた言葉は、ルルーシュには最後の方は幾分悲しげに聞こえた。
『なればこそ、私のことに気付く者などもうおらぬとばかり思うていたに、まさかこの秋津洲の者ではない、外国の童に見られるとはのう。おかしなことじゃ』
そう告げて、葛葉は軽く笑った。
「……前にいた処で、鞍馬山の大天狗、という人とも会ったことがあります。その人も、あなたの仲間ですか?」
『なんと、鞍馬の大天狗殿とな!?』
葛葉が驚いたように声をあげた。
『あの方も、そう、広い意味では我が眷族よ。私如きとは格が違うが。あの方は、この人界に残られた数少ない我が眷属のお一人。だがそうか、あの方を見ることができたなら、私を見るも不思議なことではないな。して、大天狗殿とはどのようなことをした?』
葛葉は興味深そうにルルーシュに尋ねた。
「えっと、兵法、とか、色々教えてもらいました。確か、紗那王? 以来だって言ってましたけど」
『ほう、それはまた。彼の方にそのようなことをしていただいたか? ということは、彼の方は、自分を見ることのできたそなたに余程の興味を持たれたか、あるいは……』
そう言いながら、葛葉は少し考え込むような素振りを見せた。ルルーシュは訳が分からずに、ただひたすらにそんな葛葉の様子を見上げているだけだ。
暫く考え込むようにしていた葛葉が、再びルルーシュに向けて口を開いた。
『我らは、人間が妖と呼ぶモノ。それが全てではないが。そして、人間が我らを認識しなくなり始めた頃から、先に述べたように、次第にこの次元から他の次元へと棲む場所を移した。人間が住むこの次元には、我らはもはやほとんどおらぬ。時折気まぐれのようにこうして訪なうのみ。もう、我らを見ることのできる人間など、存在せぬと思ってもおったしの。ところが、そなたという存在と出会った。しかもこの次元に残った一握りの存在である鞍馬山の大天狗殿に出会い、更にはその教えを受けているという。ならば、我らは考えねばならぬ』
「考える、って、何をですか?」
葛葉の言葉を黙って聞いていたルルーシュは、意味が分からずに問い返した。
『……我らを見ることができるということは、そなたに、なんと言ったらいいかの、そう、特別な力があるということ。かつて、我らには“聖”と呼び従った人間がいた。その方が亡くなられて久しい。そして私はそれが最後とも思っていた。だが、今こうしてそなたが私の目の前にいる。そなたは我らが“聖”と呼んだ方の生まれ変わりか、あるいは、単にその方と同様の力を持っているのか。さすがにそこまでは私では判断しかねる。ゆえに、我ら一族の長老をはじめとした他のモノたちと相談せぬわけにはいくまいと思うのだよ』
ルルーシュには葛葉の言っていることが、凡そではあるが、なんとなく理解できた。だが、葛葉が彼女の言う長老たちに相談した結果、自分に対してどのような処置が施されるのか、そこまでは分からない。
「お聞きしてもいいですか?」
『なんじゃ?』
「その相談とかをして、その結果次第でしょうけど、僕はどうなりますか?」
『最終的な結論を出されるのは長老になろう。ゆえに私にはしかとは答えかねる。が、これ以降、一切そなたにかかわることをやめるか、それとも何らかの形で接触を続けるか。ああ、そなたに、今宵のこと、私のことを忘れさせる、ということもありうるな』
「そう、ですか」
ルルーシュは、葛葉の答えに少し考えた。
今夜のことを忘れるのはいい、初めから無かったこと、あるいは単なる夢だったとでも思えばいい。でも、鞍馬山の大天狗とのことは、遣り取りしたことは覚えておきたい。
何故ルルーシュがそう思ったかと言えば、ルルーシュは母を殺した犯人を探すこともせず、自分と妹のナナリーを人身御供のようにこの日本に捨てて開戦をした、弱肉強食を謳い、植民地政策を続けている、すなわち、母を失い、身体障害を負った妹を含めて、自分たち兄妹を弱者として現在の境遇へと追いやったブリタニアの皇帝、自分たちには実父にあたるシャルル・ジ・ブリタニアと、母国たる神聖ブリタニア帝国を憎み、恨んでいた。何時か自分に力がついたら、ブリタニアをぶっ壊してやりたいと、そう思うほどに。実際、スザクと別れる前、スザクに対してルルーシュは告げたのだ。「ブリタニアをぶっ壊す」と。
だからその為の行動を起こす時のことを考えると、それがどこまで有効かは知れないが、大天狗から教えてもらったことを覚えていたいと思うのだ。
ルルーシュの置かれた状況、立場を知らぬ葛葉は、彼が何を考えているか判断しかねていたが、それでも伝えるべきだろうことを伝えた。
『どのような結論が出るかは分からぬが、その結論が出たら、少なくともその時一度は再びこうして見えようぞ』
「分かりました。……ただ、鞍馬山の大天狗という人との遣り取りは覚えていたいと思うのです」
それが聞き届けられるかどうかは、今、葛葉に尋ねても答えは得られぬだろうと思いながらも、ルルーシュはその望みを伝えた。
『分かった。どのような結論が出るかは分からぬが、そなたのその願いは伝えよう』
「ありがとうございます」
ルルーシュの気持ちを察してくれたらしい葛葉に、ルルーシュは礼を告げて頭を下げた。
『今宵は久しぶりに楽しい一時を過ごすことができた。この先どうなるかは別として、そなたに出会えたことは、私の記憶の中では楽しい思い出となろうよ。では今宵はこれまでじゃ』
そう告げると、葛葉はルルーシュの前から不意に姿を消した。
今起きたことが現実のことなのか、今一つ判断しかねたが、それでもルルーシュは、かつての大天狗とのことを考えると、決して夢や幻想とは言い切れないと思いながら、ナナリーの眠る小屋に戻って自分も横になった。今はあれこれ考えても仕方のないこと、判断を下すのはあちらなのだからと、そう思って。
やがてルルーシュたち兄妹は、二人を探しにやってきた、かつての今は亡き母、皇妃マリアンヌの後見を務めていたアッシュフォード家によって庇護された。
アッシュフォード家はマリアンヌ暗殺を防げなかったことを咎められて爵位を剥奪されていたが、当主たるルーベンのヴィ家に対する忠誠心は少しも変わることはなかった。戦後、ルルーシュたちが死亡したと本国に報告されても、それを信じることなく、あの聡明なルルーシュ様ならばきっと生き延びているはず、そう信じて、ブリタニアの新たな植民地、エリア11となった日本にやってきたのだ。そして多少の時間はかかったものの、思っていた通り、無事に生き延びていたルルーシュたちを見つけ出し、庇護したのである。
そして戦後のどさくさに紛れ、ルルーシュ自身の希望とルーベンの思惑が一致して、ルルーシュとナナリーは本国に戻り皇籍を取り戻すことなく、そのまま一般庶民としてエリア11で暮らしていくべく、偽りの戸籍、IDを用意し、木を隠すには森の中、とばかりに、子供を隠すには子供の中、つまり学校の中、ということで、ルーベンは二人のためにエリア11に打ち立てられたトウキョウ租界の中に広大な敷地を取得し、全寮制の小等部から大学院まで備えた総合学園を建設した。そして二人のために、ナナリーの身体障害を表向きの理由として、他の一般生徒と同じように寮に入るのではなく、クラブハウスの中に居住スペースを作り、そこを二人の住まいとし、加えて、身体障害を抱えるナナリーの世話のためにと、名誉ブリタニア人となっている一人の女性である元日本人を付けた。その女性は、公にはされてはいないが、篠崎流という忍びの家系の直系の当主であり、何かあれば二人の護衛役もこなせると、ルーベンが一体どのような伝手からその女性を探し出し雇入れたのか、さすがにルルーシュにも分かりかねたが、その女性──篠崎咲世子── は誠心誠意、ルルーシュたち兄妹に仕えてくれていた。それは簡単に人を信用することのできなくなっていたルルーシュにとってすら、咲世子は信頼に値する存在だと判断できたほどにだ。
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