記憶の底 【2】




 海斗が直人と生活するようになって暫く経った頃のある休日、直人が留守の時を狙いすましたかのように海斗と同じ年頃の一人の少女がやって来た。
 アパートの玄関で少女を出迎えた海斗に、少女は笑みを浮かべながら告げた。
「あなたが直人お兄ちゃんが言っていた、海斗? 私は紅月カレン、お兄ちゃんの本当の妹よ。今は父親とは思いたくもない父親の家で一人娘として暮らしてるけど」
 カレンのことを直人から聞いていた海斗は、彼女を部屋の中に通すとキッチンでお茶の用意をした。その様子を部屋の中央に置かれたテーブルにの席に付いて、カレンはじっと見つめていた。
 やがてお茶の用意を終えた海斗がトレイに乗せて持ってきたのを待って、自分の前に座るように促した。
 海斗は、カレンが「お兄ちゃんの本当の妹」と力強く主張したことに、彼女は自分が直人の傍にいていい人間かどうかを見にきたのではないかと直感的に悟っていた。
「お兄ちゃんの話だと、海斗は記憶がない、何も覚えてないってことだけど、それってホント?」
 海斗の様子を伺うようにしてカレンが尋ねる。
 それに、海斗はただ黙って頷いた。
「そういうのって、どんな気持ち?」
 カレンは半ば好奇心から更に尋ねた。
「……」
 海斗はカレンのその問いに暫し目を彷徨わせた。
「不安、っていうのかな……。自分の名前も家族のことも何も分からないのは、自分が何者なのか分からないっていうのは、とても不安で、居た堪れない」
 半ば俯きながら海斗はそう答えた。
「直人さんはいいって言ってくれてるけど、本当に僕が此処にいていいのかも分からない……」
「海斗はお兄ちゃんのこと、どう思ってるの?」
 海斗の言葉に、カレンは問いかけ続ける。
「直人さんのことは、好きだよ。とてもいい人だ。だって何処の誰とも知れない僕を拾って面倒見て、ここに置いてくれてる。とても感謝してる」
 カレンは海斗のその答えに満足したように頷いた。
「ならいいのよ」
「え?」
「海斗がお兄ちゃんのことを好きで、お兄ちゃんがいいって言ってるなら、海斗は此処にいていいの」
「カレンさん……」
「私のことはカレンでいいわ。私たち、同い年くらいでしょう? 海斗は自分のことを思い出すまで此処にいていい。お兄ちゃんがいいって言ってるのを私が反対することなんてできないもの。もっとも海斗がお兄ちゃんのことを好きじゃなかったら話は別だけど。だからいいの」
 笑ってそう告げるカレンに、海斗はほっとしたように息を吐き出した。
「私、時々此処に来るわ。だからお兄ちゃんがどうしてるか教えて。お兄ちゃん、あまり話してくれないの。それにそんなに会えないし。お願いね。それからあまり無茶をしないように見張ってて」
「うん」
 カレンの言葉に、海斗は大きく頷き返した。



 それから7年、海斗は結局記憶を取り戻すことなく、紅月海斗として直人と共に過ごしている。





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