貴船の鬼神 【2】




 ユーフェミアが行ったのは、単に“行政特区日本”を設立する、といった宣言だけではなかった。その中で、彼女は仮面のテロリスト“ゼロ”に対して、特区への参加と協力をも求めたのである。ユーフェミアはゼロが誰であるのか、その正体を知っていた。それが今回の宣言を行った原因として、一番大きかったのは紛れもない事実だ。しかしそれをゼロ本人がどう思っているか、考えているかなど関係なく、ただ自分の言うことならきっと賛成してくれると、そう甘く考えていた。皇族であるユーフェミアが言葉にすれば、それは命令以外のなにものでもないというのに、そのような簡単なことにすら気付くことなく、思い至ることもなく。もちろん、その場合の結果についても、多くのイレブンから支持されているゼロが参加してくれれば全てうまくいく、ただそれだけであり、ゼロが参加するにしろしないにしろ、そのことによって起きる影響など、何も考えてはいなかった。
 差別は間違っていると言いながら、実際、ユーフェミアはその差別の上に生きており、深く考えることもせず、逆に新たな差別を生み出すだけにすぎない宣言を行っていることを考えれば、彼女がいかに考えが足りないか、何も考えていないかは、それだけで明らかとも言える。



 ユーフェミアの宣言を聞いて、ルルーシュが最初に抱いたのは、彼女に対する“怒り”だった。ユーフェミアがどのような思いからそれを宣言したかなど関係ない。ただ、それによって、ルルーシュがこれまで“ゼロ”として行ってきた事、そしてこれから行おうと準備をしていた── シンジュクゲットーを中心とした“独立宣言”── 事を全て無駄にされたということだ。
 そして次に思ったのは、これによって自分たち兄妹の存在が、鬼籍に入っているとされているヴィ家の兄妹がアッシュフォードに匿われて生きていることが知られたら、という“恐れ”だった。生きていることが知られれば、本国に連れ戻され、母という最強といっていいだろう後ろ盾をなくし、皇室の中では弱者となった彼らを待っているのは、再び政治利用されることだけだ。ことに身体障害を負っている妹のナナリーはなおさらだ。政治利用だけならまだましだ。最悪、暗殺される可能性も否定しきることはできないのだから。だからこそ、アッシュフォードの当主たるルーベンと相談の結果、戦後のどさくさにまぎれて偽りのIDを作り、一般庶民のランペルージ家の者として隠れて生きてきたのだ。
 しかし真実が知られれば、自分たち兄妹は本国に連れ戻され、二人を匿っていた、隠していたアッシュフォード家は責めを受けることになるだろう。
 それでなくても、名誉ブリタニア人の軍人たるスザクが、皇族であるユーフェミアの口利き、お願いという名の命令によってアッシュフォード学園に編入してきている。更には、スザクはユーフェミアの選任騎士となった。ユーフェミアが誰を騎士として指名し、それをスザクが受ける── といっても、名誉であるスザクの立場からすれば断るのは無理があっただろう。しかし、スザクが所属する特別派遣嚮同技術部はシュナイゼルの出資によるものだ。つまりシュナイゼルの持つ組織であることを考えれば、スザクはシュナイゼルの部下ということになり、他家の皇女であるユーフェミアがシュナイゼルに断りなくスザクを騎士として任命することなどできることではなく、そしてまた、スザク自身もそれを理由として断ることは可能だったのだが── のはスザクの自由であり、そのこと自体に対してルルーシュに何かを言う権利などない。少なくとも今のルルーシュは、本来の出自はともかく、皇族ではなくただの一般庶民に過ぎないのだから。
 そしてスザクは、ユーフェミアの選任騎士となって以降も、アッシュフォード学園に通い続けている。本来、騎士たる者が主の傍を離れていることなどありえない。常に主の傍らにあって、主を守り、時に補佐をするのが選任騎士たる者のすべきことであるにもかかわらず、ユーフェミアは、まだ学生として学校に通うべき年齢なのだからと、自分が通えなかった分も、とスザクを学園に通わせている。そしてスザクもそれに対して何も不思議に思わず、ただユーフェミア様がそう仰って下さっているからと、ユーフェミア様が初めて自分という存在を認めて下さったのだと、何かにつけてゼロに対する批判を口にしながら、嬉しそうにそう言って退学することなく在学し続けている。そのことに周囲の者たちがどれほどに二人の言動を見下しているかなど思いもせずに。そう、周囲からは、ユーフェミアとスザクの関係は主と騎士といった本当のあるべき主従関係ではなく、単なる主従ごっこに過ぎないのだと思われている。それはともかく、実態はどうあれ、ユーフェミアの騎士として世間一般に認識されている名誉ブリタニア人のスザクが通っている学園ということでそれなりの注目を集めていた処で、ユーフェミアによる宣言が行われ、人々のアッシュフォード学園に対する注目度は高まった。その意味するところは、スザクを友人だと学園内で告げてしまっていることもあり、ルルーシュたちの存在が知られる可能性が高まったということだ。そしてルルーシュは、スザクに対して現在の自分たちの立場、つまりアッシュフォードに匿われて皇室から隠れて生きているのだということを告げていた。つまりスザクは知っていたのだ、ルルーシュたち兄妹の立場を。にもかかわらず、退学することなく通学を続け、更には今回のユーフェミアの宣言を受けて、ルルーシュたちに特区への参加を促してすらくる。ルルーシュたちが参加するのは当然だと言わんばかりに。
 ユーフェミアの思いはどうあれ、それを聞いた者たちが思ったのは、“行政特区日本”とは、イレブン、つまり旧日本人を対象として行われるものだということだ。つまり、そこにブリタニア人が参加するなどということは、少なくとも自主的な参加はほぼあり得ない。そこにブリタニア人であるルルーシュたちが参加するということは、目立つことこのうえない。目立つということは、隠している出自が知られる可能性が高いことを意味している。アッシュフォード学園においてはかろうじてまだそこまで至っていないが、特区に参加などすれば、危険性は、ルルーシュたちが必死に隠している真実── その本来の出自、そして死んだと思われているのに実は生きていること── が知られる可能性はいやでも高まる。しかしスザクはそのようなことは全く考えていない。知っているはずなのに。だからルルーシュは思った。確かにスザクは知っている。しかし知っているだけで、それの意味するところは何も理解していないのだと。そのことから、現状では、少なくとも表面上はさして態度を変えてはいないが、ルルーシュのスザクに対する思いは変わった。ルルーシュだけではない。妹のナナリーもだ。つまり、スザクは確かに幼馴染の大切な友人であったし、経緯はともかく、スザクがアッシュフォード学園に編入してきて共に過ごせる時間ができたのは嬉しかった。しかし状況は変わった。もはや、スザクにとって自分たち兄妹はただの友人、いや、知り合いであり、すでにスザクの中に自分たちの立場を思いやるという気持ちはないのだと。スザクにとって一番大切なのは主であるユーフェミアであって── それは確かに主と騎士という立場からすれば正しいことではあるが── もはや自分たちの存在は、スザクにとってさほど重要ではなく、その立場を考えてくれてなどいないのだと。スザクが二人に対して何を告げようと、所詮は表面上のことに過ぎず、二人のことを考えてなどいないのだと。ゆえに二人のスザクに対する思いは、表面上は変わっていなくても、心は確実に離れていた。そしてそれはルルーシュたちの近くにいるミレイやリヴァルたち、生徒会の者たちや二人の世話をしている咲世子には十分に分かっていたのに、肝心のスザクは、表面だけで捉えてそのことには全く気付いていないようではあったが。そして徐々に、二人はスザクから距離をとり始めた。あからさまにスザクに気取られぬように。それは、スザクがユーフェミアの選任騎士であり、ランスロットという、現状世界唯一の第7世代KMFのデヴァイサーたる軍人であること、その上更にユーフェミアの唱えた特区設立という案件── とはいえ、ユーフェミアはただ宣言しただけで、それに伴う実務はほとんど行っておらず、配下たる官僚任せで僅かに回ってくる書類に決済のためのサインをするくらいに過ぎず、必然的にスザクはそんなユーフェミアの傍らに控えているだけで何もしていないというのが実情なのだが── が加わり、アッシュフォード学園に顔を出すことが、編入してきた当初よりも少なくなってきていたことから、スザクにはさして不思議には思われていなかった。来る時間が減る、つまり接触する時間が減る、だから二人との接点が少なくなってしまった、その程度の解釈しかできていないのだ。他の者たちはルルーシュたちが何も言わずとも、その表情や態度から理解しているというのに。
 そしてユーフェミアとスザクに対して怒りを覚えているのは、何もルルーシュたちだけではない。ユーフェミアの登場と、そして唐突に行われた宣言のために、学園の皆が努力して作り上げて開催にこぎつけた学園祭は、中止となった。全てを無駄にされたのだ。今はその後処理に追われている。そして宣言の内容が内容であっただけに、純血派といっていいだろう生徒たちの怒りはさらに深い。



 黒の騎士団にとって、“行政特区日本”の設立は、その実態はどうあれ、参加するにしろしないにしろ、どちらの道をとってもその存在意義を失うものだ。
 参加すれば武装解除させられる。つまり戦うための力を奪われる。そうなったら、それ以後は何があろうと、どのようなことが起きようと、ブリタニアに抵抗する手段を奪われ、名前だけの存在となって何もできなくなる。日本独立など、夢のまた夢の話となる。そのための力を奪われるのだから。奪われた力を取り戻すのは並大抵のことではない。おそらく、もう二度と同様の力を持つのは、それを回復するのは無理だろう。
 逆に参加しなければ、せっかく日本人のことを考えて打ち出してくれた政策なのに、それに拒否するということで日本人からの支持を失い、参加した時とは別の意味で存在意義を失う。
 特区は、決して全てのイレブン、すなわち日本人のためのものではない。ごく限られた、参加することのできた者だけのものでしかない。特区が成立することにより、エリア11には4つの立場の者が存在することになる。
 まずは純ブリタニア人、名誉ブリタニア人、イレブンとなった旧日本人、そして特区に参加して名前を取り戻した日本人。特区に参加した純ブリタニア人は、それまでイレブンに対して持っていた特権を奪われ、日本人の名を取り戻した者たちと同等の扱いを受けることになる。そしてまた、特区に参加できなかったイレブンのままの旧日本人たちは、それまで以上に純ブリタニア人からの差別を受けることになるだろう。何せ、日本人の名を取り戻すことになるイレブンのための特区政策のおかげで、増税され、仮に何らかの事情で特区に参加した場合、本来、差別すべきイレブンである日本人のために、それまで持っていた特権を奪われるのだから。
 そして何よりも、多くのイレブン── 日本人── は思っていた。副総督たるユーフェミアが自分たちのことを思い、差別のない国を作ろうとしていると。今は極一部の限られた地域のことであっても、いずれは拡大され、完全にとまではいかずとも、日本人としての権利を取り戻すことができると、そう思っていた。ユーフェミアの説いた言葉── 理想── はそう受け止められていた。そう、ユーフェミアがあまりにも軽く考えていたのと同様に。
 しかし少し考えれば分かることなのだ。ユーフェミアの唱えた特区は、あくまで限られた一部の地域のことに過ぎず、ブリタニアという国を理解していれば、拡大などということは決してあり得ぬと。そしてまた、特区政策はあくまでブリタニアから与えられる自治区であり、日本を取り戻すことではない。独立ではなく、どこまでいってもブリタニアの植民地であり続けることだということを。真に日本人が望んでいるブリタニアからの独立とは程遠いことであり、言ってみれば、ユーフェミア自身がどう考えているにせよ、実質的には持てる者── エリア11の副総督たる第3皇女ユーフェミア── である目上の者から、ブリタニアの国是からすれば、持たざる者たる弱者にして差別して当然たる存在である目下の者── イレブン── に対するお情けの恵みにしか過ぎないのだということに、どちらも全くと言っていい程に気付いていない。表面上の甘い言葉に浮かされているに過ぎないのだということに気付いていない。それに気付くことのできる者は、決して特区に参加などしないであろうことを、イレブンと呼ばれる日本人も、特区を提唱したユーフェミアも、全く考えてはいない。



 そして、誰も考えもしなかった想定外のイレギュラーが起きることはある。





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