「……分かりますか? ここは、もう貴方が呪いを掛けた宇宙ではないんですよ」
言いながら、クラヴィスは女の頬を撫ぜた。
「貴方が滅びよと願った宇宙は、貴方が望んだとおりに、滅びました。ここは、その宇宙から星々を移行させた、別の宇宙なんです。
サクリアによって理を捻じ曲げられた世界は、多くの歪みを抱えたまま、滅びました。
それがなければ、本来ならもっと長く存在することができたでしょうに。そして滅びるにしてももっと緩やかにいったでしょうにね。
けれどこの世界は違う。最初からサクリアによって管理され統括されている。サクリアの存在することが、この世界の理です。かつての世界とは違う。サクリアの喪失こそが、この世界のバランスを崩し、歪める。
だからどうか呪いを解いて下さい。貴方の憎しみが、哀しみが消えることはないのかもしれないけれど、ここはもう、貴方の呪った世界ではないから」
身を屈め、女の額に口付ける。
「もう古い世界のことを識る者はいない。その血の中に、サクリアの存在しなかった頃を知る者は、記憶を持つ者は、私たちが最後だ。
それが時の流れ、なのでしょう。どんなに逆らおうとも、時の流れには逆らいきれない。
……随分と待たせてしまったけれど、もうすぐ、行きます、貴方の元に……」
そう言って、クラヴィスは手にした銃を蟀谷に当てた。躊躇いは、ない。
「……許せ…………」
それは、誰に対して許しを求めたものだったのだろう。
最後に脳裏を過ったのは何だったろう、誰だったろう。
永い年月を共に過ごした半身とも言える光の守護聖か、かつてただ一人愛しいと想い、その手を取ることを望みながら叶わなかった金の髪の少女か、それとも───── 。
クラヴィスは瞳を閉じ、ゆっくりと、銃の引鉄に指を掛けた。
一旦船に戻り、王立派遣軍の軍人たちとともに魔女の墓場を目指していたオリヴィエは、突然のドーンと地の底から響くような音と、大きな揺れに見舞われた。
一体何が、と辺りを見回し、前方に舞い上がる砂塵と砂煙、そして空に立ち上る煙を見た。
「急いでっ!!」
軍人たちを急かし、目的地へと急ぐ。
そして魔女の墓場の手前、そこに立つ老人を認めた。その老人の足元にあるのは、古い、爆破誘導装置が一つ。
「…………」
何があったのかは一目瞭然だった。
オリヴィエたちの目に映ったのは、砂煙を巻き上げながら崩れた岩山だった。
間に合わない── オリヴィエは、そう思った。
クラヴィスが死のうとしていることは分かった。そしてその意思を覆すことは無理だと理解した。それでもクラヴィスの元を離れたのは、蘇生させればいいと思ったからだ。
簡単なことではない。けれど一定時間内であるならば、決して不可能なことではない。船の設備では完全にはいかなくても、ある程度まで持っていければ、あとは聖地に戻ってから処置を施してもいい、そう思った。だから離れたのだ。それが── 。
オリヴィエは老人の許に歩み寄ると、その腕を掴み上げた。
「なんてことをしたのよ! あの中にはクラヴィスがいたのよっ! !」
オリヴィエに腕をとられ、その痛みに眉を顰めながら、老人は答える。
「魔女が望んだことだ。魔女の息子が望んだことだ」
「魔女の、息子……?」
「そうだ、あの黒髪の長身の男。あれが、魔女の奪われた息子だ」
やはり、とオリヴィエは思った。
墓場の中で魔女の顔を見た時、似ていると思った。けれど信じたくはなかった。もしそうであるならば、魔女を、つまりはクラヴィスの母親を殺したのは、聖地の人間ということになるのだから。そんなことはあってはならぬことだから。
「これでワシの役目は終わった。やっと解放される」
老人のその物言いに疑問を感じた時、不意に、掴んでいた腕の感触が、消えた。
「何っ!?」
一言叫んだ瞬間、老人の体が崩れた。
後に残ったのは、僅かばかりの砂の山と、老人が来ていたものだろう、ボロボロになった布の欠片。
「……これも、魔女の力だって、いうの……?」
オリヴィエは躰の震えを止められず、思わず両腕で自分の体を抱き締めた。
「……クラヴィス……」
聖地を経つ前、女王補佐官であるロザリアから、くれぐれもと言われていた。
『女王陛下はとても気にしておられます。今回の件に関してはお二人の派遣が最適であるとの考えは変わりませんが、どうしても拭えぬ不安があるのだと。くれぐれもお気を付けて』
そうして最後に自分にだけ、特にクラヴィスについては、と念を押されていた。
かつてオスカーは言っていたではないか。
『あの人は死にたがってる。死ぬことによって、総てのものから解放されるのを願ってる』
言われていたのに、そして自分でも何かあると、そう思ってたのに、何もできなかった。傍にいながら、何もしなかった、できなかった── 。
「……馬鹿よ、あんた……。大馬鹿よ、こんなことして、何になるってのよ。自分のことばっかりで、誰にも何も言わないで……、後に残される者のことなんか、ちっとも考えてないんでしょ……。バカ、ヤロウ……ッ……」
軍人たちが、ある者は急いで船に戻り、ある者は岩山に近づき様子を探ったり、連絡を取り合いながら慌しく動き回っている中、オリヴィエは、一人、その場に力なく立ち尽くしていた。
そんな中、風が、オリヴィエの脇をすり抜けていく。
風に乗って、おそらくクラヴィスが最後に放ったのであろう闇のサクリアが、セレスタインを、そして宇宙の総てを覆い尽くそうとしていた。
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