die Befreien 【10】




 首座を務める光の守護聖ジュリアスは、女王の執務室の隣にあるサロンで、女王と向かい合って座っていた。
 二人の間にある白いテーブルの上には、女王補佐官が手ずから淹れた珈琲が、それぞれの前に置かれている。その補佐官たるロザリアは、女王の命を受けてシャトルの到着を出迎えるべく、聖地の外れにある宙港に向かっている。
「いよいよ、今日、ですね。新しい闇の守護聖の到着は」
「はい、陛下」
 大きな窓の向こうにどこまでも広がる青い空を見ながら、第256代女王アンジェリークは、感慨深そうに語り掛けた。
「あれからこの聖地ですら、一年という時が流れました。早いものです。今日まで、皆さんには本当にご苦労様でした。クラヴィスが最後に放ったサクリアはこの宇宙の総てをあまねく覆い尽くしてくれてはいましたけれど、それでも、皆さんの協力があればこそ、今日まで無事にくることが出来ました。本当に、心からお礼を申します」
「何を仰います。我らは当然の義務を果たしているに過ぎません。それも総てはあの愚か者があのような後先考えぬ短絡的な行動をとったばかり故のこと。陛下に対しお詫び申し上げねばならぬのは、それを防ぐことの叶わなかった私の方です」
 言いながら、ジュリアスは軽く頭を下げた。
「いいえ、ジュリアス、クラヴィスを責めてはいけません。責められるべきは、彼ではなく、私です、私たちです」
「陛下、なぜそのようにご自分を責められるようなことを仰られるのです。そのようなことは必要ありません。あれは……」
 頭を上げて否定するジュリアスに、女王は頭を振って違うと答えた。
「いいえ、いいえ、違います、責任は私たちに、確かにこの聖地にあるのです。私たちは、彼から総てを奪いました。彼の一族の星を、一族の者たちの命を、彼のたった一人の母親を、彼のただ一度の恋を、そして遂には、彼自身の命をすら──
「陛下……」
 この方は一体何を仰っておられるのだと、ジュリアスは不安になった。クラヴィスに、自分の知らない一体何があったのかと。
 彼自身の命はともかく、彼のただ一度の恋のことは分かる。引導を渡したのは他ならぬ自分だから。
 だがそれ以外は──
「オリヴィエの公式の報告書から、削除させた一項があります」
 言いながら、女王は自分の脇に置いておいたファイルを手にとり、テーブルの上、ジュリアスに差し出した。
「セレスタインで魔女と呼ばれた女性は、クラヴィスの母親です」
 ファイルを手に取ろうとして、女王の言葉にジュリアスはその手を止めた。
「……今、なん、と……」
 恐れ多いと思いながらも、ジュリアスは女王を真っ直ぐに見つめ返した。
「魔女は、クラヴィスの実の母親でした」
「…………」
「魔女の奪われた息子とはクラヴィスのこと、そして魔女を殺したのは、闇の守護聖となるべきクラヴィスを迎えにいった聖地の人間です」
「馬鹿なっ! ! そのようなこと、あろうはずがない、あってよいはずがない、何かの間違いです、陛下!」
 白いテーブルの上、握り締められたジュリアスの拳は小刻みに震えていた。
 それを認めながら、女王は真実を告げる。
「先の陛下から密かに譲り受けた極秘文書の中に、クラヴィスに関するものがありました。先の陛下も、その前の陛下から極秘で受け取られたとのことでした。クラヴィスが守護聖を退任する時に処分するように、それまで決して開けてはならぬとの申し送りを受けて。ですから、先の陛下もその内容はご存知ではなかったでしょう。けれどセレスタインのことがあって、私はその封を解きました」
 言いながら、女王はもう一冊の古びたファイルを取り出した。
「……この中に収められた報告書によれば、連れてこられたクラヴィスは、やはり目の前で母親を殺されたことから、それは酷い錯乱状態にあったようです。そこで当時の陛下は、クラヴィスに暗示を掛けたのです。けれどこれから成長するという幼い子供に暗示を掛けて、無事に済むはずがありません。どのような暗示であれ、その精神によからぬ影響を与えかねません。ですから、かなりの配慮をされたようです。あまり大きく変えるのではなく、一部だけを変えて、彼の母親は事故にあって、その事故からクラヴィスを救おうとして彼の目の前で息絶えたのだと……。けれど暗示とは絶対的なものではありません。もちろん永久的なものでもありません。いつかは解けるものです。それが女王自らによるものであったとしてもです。実際、クラヴィスにかけられた暗示は解けていたのでしょう」
 そこまで話して、女王は喉を潤すために珈琲に口をつけた。
「暗示が解けて、クラヴィスはどう思ったと思いますか?」
「……分かりません、私には。ですが……」
 問い掛ける女王に、ジュリアスは瞳を伏せ、首を振りながら力なく答えた。
 尋常な思いではなかっただろうとは、察することはできる。だがそこまでだ。自分は、彼ではないのだから。
 だが、もしも自分が同じ立場に立たされたなら── そう思うと、遣る瀬無い。
「彼の一族はサクリアを否定していたと言います。サクリアは宇宙の本来の(ことわり)を歪めるものであると考えていたと。その考えゆえに、疎まれ、星を追われ、滅びの道を辿った。それは古い種であったが故に、種としての限界もあったのかもしれませんが、けれど星を追われたことによって、必要以上に滅びの時が早まったことは決して否めないでしょう。クラヴィスも母親からその教えは受けていたはずです。しかも、その母親を聖地の人間に殺され、偽りの記憶を与えられ、気が付けば、一族が、母親が否定した聖地という体制の只中に取り込まれている自分── 。総てを思い出した時のクラヴィスのことを思うと、一体どれほどの悲しみを、苦悩を、味わったかと思うと……。いいえ、他人が彼の気持ちを思いやるなどというのは、おこがましいにも程がありますね」
 言いながら、女王の頬を一筋の涙が伝う。
「それでも、何でもいい、彼が心を開くものが、心を寄せるものがあったなら、少なくとも彼があのような手段を取るのを防ぐことはできたのでないかと思ってしまうのです。彼をこの世界に留めてくれたのではないかと。けれど実際には、彼には何も無かった。誰も何も、与えられなかった。それは彼が総てを否定していたからかもしれませんけれど、そもそも彼をそのように追い込んでしまった責任は、私たちに、この聖地というシステムにあったのは間違いのない事実でしょう」
 ── ……これか……。おまえが抱えていたのはこのことだったのか……。私は何も知らず……。
 ジュリアスの脳裏に、在りし日の自分たちの姿が(よぎ)る。
 いつも責めていた。職務怠慢と、やる気はないのかと、時には人前も憚らずに責めてばかりいた。
 幼い頃のクラヴィスは違っていた。もっと闊達で明るくて、それがいつの頃からか、暗く沈むようになっていった。それが暗示が解け始めた頃だったのだろうか。
 もしもあの恋が実っていたら、手に入れていたなら、何か違っていたのだろうか── と、いまさら思ってもせんないことを考えてしまう。
「ジュリアス」
 自分の考えに沈んでいたジュリアスに、女王は毅然とした声で呼びかけた。
「はい、陛下」
「かつての旧宇宙には確かに最初からサクリアが存在したわけではありません。聖地も、女王と守護聖という存在もです。旧宇宙にとっては、サクリアはもしかしたら彼の一族の言うとおりのものだったのかもしれません。ですがこの宇宙は違います。その始まりからサクリアは存在します。それによってこの世界は成り立っているのです。そうである以上、何があろうと、私たちはサクリアによってこの世界を守り育て、導いていかねばなりません。そして同時に、もう二度とクラヴィスのような不幸な存在を誕生させてはなりません。どうか、私に力を貸して下さい」
「陛下」
 ジュリアスは静かに立ち上がると女王の足元に跪いた。
「総ては御心のままに。私の持てる総てをもって、忠誠を誓い、お仕え申し上げます」
「ありがとう、ジュリアス。まもなく新しい闇の守護聖が到着します。よりよく導いてあげてください」
「御意」
 ── 何も知ろうとせず、おまえを責めてばかりいた私を、おまえは許してくれるだろうか。
 二度とおまえのような存在を生み出さぬこと、そして皆が幸福な生涯を送ることが叶うように、導いていくこと── それがおまえに報いる最善の方法と信ずると、ジュリアスは今はもうどこにもいない、自分が最も永い時を共に過ごした、幼馴染みともいえる存在であるクラヴィスに心の中で誓った。
 軽くノックの音が響いて、「失礼します」との声と共に扉が開き、女王の最も信頼する補佐官が入室してきた。
「申し上げます。新任の闇の守護聖殿、無事に到着されました」
「分かりました」
 答えて、女王が立ち上がる。新しい守護聖を迎えるために──


◇  ◇  ◇



 誰も住む者のいない、白い花に覆われた惑星── セレスタインに、風が吹く。


『母さん!』
 幼い子供が一人、母親を呼びながら駆けてゆく。
『クラヴィス、私の愛しい子』
 両手を広げて子供を迎えた母親は腕に抱き上げて、愛しそうにその頬に口付ける。
『母さん、だーい好き。ずっと一緒だよね』
『そうよ、ずっと一緒にいるわ』
 母と子の幸せそうな笑い声が、誰もいないはずの星の上を、駆け抜けていく─────

── das Ende




【INDEX】 【BACK】