die Befreien 【8】




 セレスタインに到着してから3日目。
 朝食を摂るために食堂に行こうと部屋を出たオリヴィエは、常に無い慌しい雰囲気を感じとった。
 とりあえず当初の目的地である食堂に向かいながら、途中、オリヴィエの脇を一礼しただけで駆け抜けていこうとした王立派遣軍の軍人の一人を捕まえた。
「何かあったの?」
「……実は、女王補佐官様からクラヴィス様宛に通信が入りまして、お部屋に窺ったところいらっしゃらなかったので、お捜ししてるんです」
「クラヴィスがいない?」
「はい。さっきからずっと船内を手分けして見回ってるんですが、どこにもお姿が見えなくて……」
 軍人が困りきった顔で告げる内容に、オリヴィエの顔色が変わった。
 聖地を()った時から微かにあって決して離れることのなかった、そしてセレスタインに着いてから強くなった得体の知れない不安が、一気に形をとって目の前に現れたような、気がした。
「部屋に、水晶球はあった?」
「水晶球、ですか? さあ、お部屋に窺ったのは別の者なので……。それが何か?」
「……ついといで!」
 オリヴィエは軍人の問いには答えず、逆らうことを許さぬように強く言うと、もと来た通路を戻りクラヴィスの部屋へと向かった。
 声を掛けることもせずに、ドアを開け、中を見回す。
 確かにその中にクラヴィスの姿はなかった。そして、オリヴィエがあったかと尋ねた水晶球も、見渡す限りどこにも見当たらなかった。かわりにクラヴィスが身に着けていた紫水晶をあしらったサークレットが、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたままだった。
「…………」
 オリヴィエは思わず唇を噛み締めた。
「私としたことが、迂闊だったわ……」
「オリヴィエ様……?」
 なんだって、放っておいたのだろう── そう思う。ずっと何かあると気になっていながら、それに対して何も手を打たなかった。
「魔女の墓場まで、連れていって!」
 オリヴィエは振り向きざま、自分の後ろに控えている軍人に彼らしくない大声で命じた。
「魔女の墓場、ですか?」
「そうよ。たぶん、クラヴィスはそこにいるわ!」
 言いながら先に立って、オリヴィエは格納庫に急ぎ足で向かい、軍人は慌ててその後を追った。
 ── クラヴィス、あんたは何を知ってるの? 何をしようってのっ!?
 言い知れぬ焦燥感に駆られながら、オリヴィエは走った。





 魔女の墓場に到着すると、オリヴィエは鉄の扉の前に軍人士を待たせ、一人で中に入っていった。
 そこにはオリヴィエが思ったとおりに、クラヴィスが、いた。
 木棺は台座たる石の上から脇に落とされ、台座と思われた中に、一人の女が横たわっていた。木棺は実は蓋に過ぎず、台座と思われていたそれこそが、実は本当の棺だったのだと知れる。
 クラヴィスは淵に腰を掛け、女の髪を優しく梳いていた。
 その女── 魔女の姿に、オリヴィエは眉を潜める。
 墓守だと言った老人の言葉から察して、少なく見積もっても、死んでから数百年は経っているはずだ。なのにその姿はどうだろう。まだ死んで間もないような、いや、単に眠っているだけのようなその姿は。これも、魔女の力の為せる技だとでもいうのだろうか。
「クラヴィス……」
 名を呼びながら、ゆっくりとオリヴィエはクラヴィスに近づいた。
「……その女が、魔女……?」
 他にいないと分かっていながら、確認するようにオリヴィエは聞いた。
「そうだ。魔女と、呼ばれた女だ」
 クラヴィスはその視線を女の顔に落としたまま、静かに答えた。
「……よく、分かったわね。昨日あれだけ皆が調べて分からなかったっていうのに」
「封印があったからな。それを解いただけだ」
「封印? いつそんなものに気が付いたの?」
「昨日、最初に見た時に」
「昨日ですって!? だったらどうしてその時に言わなかったのよ、あんた!」
 クラヴィスの隣に立ち、その姿を見下ろしながら怒鳴りつける。だがクラヴィスは変わらずに女の髪を梳きながら、オリヴィエを見ようともしない。
 その様子にオリヴィエは溜息を一つつくと、女の顔に視線を落とした。
 ── ……えっ……? 何、これ……。
「……クラ、ヴィス……」
 オリヴィエの、クラヴィスを呼ぶ声が震える。まさか、という思いがオリヴィエの頭を(よぎ)った。
「どうした、オリヴィエ?」
 ゆっくりと顔を上げ、クラヴィスが問い掛ける。
 上げられたクラヴィスの顔と、女の顔を、オリヴィエは交互に見比べた。
「そんな、そんなこと……」
 考えを否定したくて、オリヴィエは頭を振った。
「そんなこと、あるはずないわ……」
「これが、捜していた魔女だ。聖地によって生まれた惑星(ほし)を追われ、流浪の民となり、一族を失い、息子を奪われ、ついにはその命すらも奪われた、哀れな女だ」
「クラヴィス……」
 静かに告げるクラヴィスに、感情の揺らぎは見えない。だがそれは見慣れた無表情とは、どこかしら一線を隔したもののように思われた。
 底知れぬ深い紫の瞳に見つめられているうちに、オリヴィエはわけもなく躰が震え出すのを止められなかった。
 これは一体何なのだ、一体誰なのだ。見慣れた、よく見知った闇の守護聖のはずなのに、どこか違う。別の存在のようだった。
 カチリ、と小さな音がして、オリヴィエはその音のした方に僅かに視線を落とした。
「! !」
 いつの間に、どこから取り出したのか、クラヴィスの右手には旧式の実弾式の銃が握られていた。
「クラヴィス……」
「……出ていけ」
「クラヴィス!」
 クラヴィスは静かにオリヴィエに銃を向けた。
「クラヴィス、あんた何考えてんのっ! 馬鹿な真似は……っ!」
 オリヴィエの頬を、銃弾が掠めた。赤い筋が細く、その頬を彩る。
「……クラヴィス……」
 信じられないというように、オリヴィエは名を呼び、唾を飲み込んだ。
「出ていけ」
 告げる声にも、何の感情も感じられない。
「何をする気なのっ! ? 私たちがこの星に来た目的、忘れたのっ!?」
「何度も言わせるな、オリヴィエ。出ていけ。次は、外さない」
 言いながら、クラヴィスは撃鉄を上げた。
 思わず後ずさりながら、オリヴィエは思考を巡らした。
 ── とりあえず、この場は引くしかない、わね。
「……馬鹿な真似、するんじゃないわよ、いいわね」
 言い含めるように告げながら、後ろ足に、外に向かう。
 オリヴィエは扉までkyると、待っていた軍人を急かしてその場を離れた。
「オリヴィエ様、一体何があったんです?」
「話は後よ、それより急いで船に戻って」
 あの場を離れただけではクラヴィスは納得しないだろうと思った。表に留まっても、おそらくサクリアでそれを察して、何の行動も起こさないだろう。
 オリヴィエは、今は分かっていた。クラヴィスが何を為そうとしているのか。それは確かめたことではなかったが、おそらく自分の考えに間違いはないだろうと、したくもない確信をしていた。
 だがそれならそれでとるべき道はある。
 クラヴィスには悪いと思うが、彼の望みを叶えてなんかやらない。決して叶えさせたりしない── そう思いながら、オリヴィエは軍人の持つ通信機を手に取った。



 オリヴィエの姿が消えた後、クラヴィスは自分の後ろに向けて声を掛けた。
「出てこい」
 その声に、岩影から一人の老人が姿を表す。
「……行け。あれが戻ってくる前に、行って、おまえの為すべきこと為すがよい」
「本当に、いいんで?」
「その為に、今日まで待ったのだろう?」
 言いながら、クラヴィスは微笑を浮かべた。





【INDEX】 【BACK】 【NEXT】