die Befreien 【7】




 魔女の墓場で少しでも何らかの手がかりを掴もうと苦労しているだろう研究員たちをよそに、オリヴィエとクラヴィスは船内の休憩室にいた。
 テーブルを挟んで向かい合って座り、その前にはコーヒーカップ。元が王立派遣軍の官給品であるから味は知れていたが、それでもないよりはましと、オリヴィエが淹れたものだ。
── っていうわけよ」
 老人から聞いた話をクラヴィスに告げ終えたところで、オリヴィエはいささか冷えてしまったコーヒーを、「やっぱり不味いわ」と小さな声で文句を言い眉を顰めながら、それでも飲み干した。
「ねえ、どう思う?」
「どう、とは?」
「だから、あのじいさんの言ったことよ」
「それ程にショックだったか、サクリアを、聖地を否定されたことが?」
 唇の端を上げ、小さく皮肉げな笑みを浮かべながら、らしくなくムキにり、苛々とした様子を見せているオリヴィエに、クラヴィスは問い掛けで答えた。
「……あれは、否定なんて可愛いもんじゃないわ」
 綺麗に書かれた眉を顰め、老人から言われた言葉を思い出して、テーブルの上で組まれたオリヴィエの両腕は、怒りからか、哀しみからか、小刻みに震えている。
 オリヴィエの言うとおり、老人の告げた内容は単に否定しただけのものではない。悪しきものとまで言い切っていたのだから。しかもあろうことか、彼らを否定した一族を住んでいた場所から追い払い、滅亡へと追いやったと。
「人の考えは様々だ。そうむきになることはあるまい。それに魔女の一族の件にしても、昔の話だ、どこまで真実かは分からない。もし仮に真実だったとしても、必ずしも聖地の者たちがそれをなしたとは言い切れまい。中には狂信的な者がいる。そういった者たちが引き起こしたことかもしれない。そこまで責任は持てまい。それに、サクリアとはまた別の力を持っていたというのだろう? 人には、少なからず自分たちと違う者たちを、恐れ、忌み嫌い、排除しようとする傾向がある。そういった要因も考えられる」
 言い終えてふと顔を上げると。ポカンとした顔で自分を見つめているオリヴィエの顔があった。
「……オリヴィエ?」
「え? ああ、何?」
 訝しげに名を呼ばれて、オリヴィエは我に返った。
「何、ではない。どうかしたのか?」
「……珍しいものを見たもんで、ちょっとばかりビックリしただけよ」
 言いながら、オリヴィエは前髪を掻き揚げた。
「珍しいもの?」
 クラヴィスは形の良い眉を寄せながら問い返した。
「そう、珍しくとっても饒舌な、闇の守護聖サマ」
「…………」
「こんなに長く喋ってるあんたって、初めて目にする気がするわ」
 言いながら、オリヴィエは真っ直ぐにクラヴィスの目を見詰めた。
 口調は軽いが、その言葉尻とは違ってからかいや揶揄の響きはない。むしろクラヴィスを見つめるその瞳は真剣で、何かを探り出そうとしているかのようだ。
 そんなふうにじっと見つめてくるオリヴィエに息苦しさを感じて、クラヴィスは瞳を伏せた。
「クラヴィス、前にも聞いたけど、もう一度聞くわ。あんた、何を知ってるの?」
 オリヴィエの問い掛けに、クラヴィスは一度伏せた瞳を静かに開いた。
 そこに、感情の揺らぎは見えない。
 オリヴィエは、彼の同僚の一人である、その司る力そのものを示すような紅い色の髪を持つ炎の守護聖たるオスカーがクラヴィスについて言っていた言葉を思い出した。
『あの人の瞳は、何も見ていない。映してはいても、見てはいない』
 ── そうね、本当にそのとおりだわ。
『あの人の瞳の中にあるのは、絶望だけだ』
 ── 絶望……? それは私には分からないわ。あんたと私は違うから。でも、何かがあるのは分かる。その何かが、問題なんだけど……。
 聖地を()ってからずっと拭えない不安がある。それはとても漠然としたもので、単なる気のせいで済ませられる類のものであるのかもしれないが。
 けれどオリヴィエの“勘”はそれを否定する。確かに何かがあるのだ。それは日を、時を重ねるごとに大きく、重くなっていく。
「お前に話すようなことは何もない」
 オリヴィエの問いにゆっくりとそう答えて、クラヴィスは椅子を引き、立ち上がった。
「本当に?」
 重ねての問いに、クラヴィスは答えない。ただ黙ってオリヴィエの脇を通り過ぎ、ドアの前に立つとスイッチに手を掛けた。
「クラヴィス!」
 オリヴィエは背を向けたまま、名を呼んだ。
「なんだ?」
 クラヴィスも背を向けたまま立ち止まって答える。その声に、オリヴィエは振り向いた。
「あんたが何を知ってるのか、あんたが言ってくれない限り私たちには分からない。だから決して一人で抱え込まないで。いいね? あんたは一人じゃない、私たちが、私がいるんだからっ!」
 オリヴィエの叫ぶように言われた言葉に、振り返ったクラヴィスの顔が、歪んだ。
 それは微笑おうとして失敗したような、あるいは、泣こうとしてそれを必至で堪えているような、なんともいえない表情だった。
「……クラヴィス……」
 その初めて見ると言っていいだろう、生きた表情をしたクラヴィスに、オリヴィエは立ち上がり、名を呼ぶしかできなかった。
 そうして身を翻して立ち去るクラヴィスを、部屋の中に立ち尽くしたまま見送ったオリヴィエは、以後、この時の彼の表情(かお)を思い出すたびに、己の迂闊さを悔やみ続けることになる。


◇  ◇  ◇



 暗闇で、泣いている子供が一人──
 その足元には、己の流した血の海で絶命した女の骸が一つ……─────





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