修 羅 道




     さて修羅道に遠近の
     さて修羅道に遠近の
     立つ木は敵
     雨は矢先
     土は精剣
     山は鉄城
     雲のはたてを突いて


「その謳は?」
「能の、『清経』の一節よ。おおまかに言うと、西海で入水した清経の亡魂が、都の妻の夢に現れるのね。で、清経が妻に入水までの有り様を戦語りとして語り聞かせ、恨みを言う妻を慰めつつ、修羅道の苦患を見せた後に、仏果を得て姿を消すという内容で、その一節。なんとなく、ふっと思い出したの。だって、この部分だけ聞いてると、まるであの子たちのように思えて……」
 朱天の問いに答えながらも、ナスティの視線は窓の外、遠く東の空に蜃気楼のように浮かぶ阿羅醐城からいささかも動かなかった。
「……修羅道、か……。確か、六道の一つだったな」



 六道とは、死後、一切の衆生がそれぞれの行い、業因によって必ず至ると言われる六つの迷界にして、すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上。そのうち、修羅道は、天上・人間と、地獄・餓鬼・畜生の中間にあって、怒りや妬みの心が盛んで、常に闘争している世界をいう。
 六道信仰は鎌倉時代に普及し、特に武家社会では、多殺の業によって修羅道に堕ちると信じられていた。
 妖邪界が怨念の世界だというのなら、戦いを繰り返し繰り返し、そして討ち死にした武士の怨念、怨霊の行き着く先が妖邪界であるならば、まさに妖邪界こそは修羅道そのものではないのか。
「そうじゃなくて、朱天? そしてそんなところに、敵の懐にあの子たちはたった二人で飛び込んでいったのよ。しかも征士たちを人質にとられて……。今頃きっと、敵に囲まれて苦戦してるわ。いえ、それどころかもしかしたらもう……」
「ナスティ!」
 知らず知らず悪い方へと想像してしまう。
「夢に見るのよ、二人が血の海の中で、もがいているの……。だのに、私はそれを見ているだけで何もできなくて……」
 自分たちの流した血の海の中、抜け出すこともできずにもがき続ける二人。そしてそんな二人を取り囲んでいる大勢の妖邪兵たち── 夢の中の場景を思い出して、思わずナスティは両手で顔を覆ってしまった。
「……私、何もできないわ……。最初からそうだった、ずっと足手纏いで……」
「それは違う、ナスティ」
 朱天はそっとナスティの肩に手を触れ、優しく声を掛けた。その声にナスティが振り向く。
「朱天……」
「君が、そしてあの子、純がいたから、彼等は戦ってこれたのだ」
「私たちがいたから……?」
「そうだ。この妖邪とサムライトルーパーの戦いは決して人間(ひと)の知るところのものではない。誰も知らないのだ。誰にも知られずに彼らは戦っている。とても虚しい戦いだ。そうではないか? 命を懸けて人間のために戦っているのに、その人間は何も知らずにいる。これほど虚しい戦いが他にあるだろうか。たとえ戦いに勝利しても、誰もそれを認めてはくれない、称えてもくれない。戦いが行われていることさえ人間は知らないのだから。もちろん、彼等はそんなことを望んではいないだろうが。けれど、君たちはそれを知っている。本来なら誰にも知られることのないはずの戦いを、君たちは最初から見つめてきた。共に行動し、彼等は君たちを守った。君たちを守ることが、すなわち人間を守ることであり、彼らの戦いに明確な意義を与えたのだ。
 それに、君は彼等に多くの助言を与え、導いてきたではないか。思い出してみなさい。あの最初の戦いの時、バラバラになった彼等が再び集うことができたのは君がいたからではないのか? 烈火が剛烈剣を手に入れることができたのも君がいたからだ。そして今も、君は寝る間も惜しんで彼等のために祈り、阿羅醐を倒すための手掛かりを掴もうとしている。何もできないなどというのは、君の思い過ごしだ。君は十分すぎるほどに彼等の役に立っているよ」
 常になく雄弁に、朱天は語った。
 阿羅醐を、妖邪界を裏切り、トルーパーの味方となった今の朱天には、彼等の想いが分かる。それは今は朱天の想いともなったのだから。
「本当に……?」
 不安げに訪ねるナスティに、朱天は優しい微笑みを浮かべながら頷いてみせた。
 僅か14、5の少年が命を懸けて戦うというのは大変なことだ。
 たった五人で、何の支えもなしにどうして戦い続けることができるだろう。ましてや人間ではないものを相手にして。ナスティや純という、守らねばならない確固たるものが存在したからこそ、彼等は戦い続けることができたのではないのか。邪な想いではない、純粋な心があればこそ、輝煌帝の鎧をも発動させ、阿羅醐を退かせることができたのだ。



 現在(いま)この時も、二人の、いや、五人の戦いは続いている。
 囚われた仲間を救うために、そして今度こそ、妖邪帝王阿羅醐を倒すために。
 周りは総て敵、なのだ。幾多の妖邪兵に、地霊衆に囲まれ、攻められ、苦戦を強いられているだろう。戦いに次ぐ戦いは、まさに修羅道の如く、いつ果てるとも知れない。阿羅醐を倒さぬ限り、この戦いに終りはない。そしてもし阿羅醐を倒すこと叶わず、逆に彼らが倒れるようなことになれば……。
 再び頭を(よぎ)ったその考えに、ナスティは震える手で口許を押さえた。
「……もし、あの子たちが負けるようなことになったら……」
「不吉なことを考えるんじゃない!」
「でも……! それに、考えてしまうの。この戦いに勝つことができても、いつかまた同じことが繰り返されるのじゃないかって。だって、妖邪界は人間の怨念によって作り上げられた世界なのでしょう? ということは、人間がいる限り妖邪界が完全に()くなることはないのじゃなくて? 人間の心から憎しみや妬みの心が()くなるとは思えない……。なら、何のための戦いなの? 何のために戦っているの? 人間のため? 人間が自ら生み出したものから、人間を守るため? それこそさっきあなたが言ったように、虚しい戦いだわ」
「ナスティ!」
 パシッ、と音がして、ナスティが左頬をおさえた。
「……すまない……」
「…………」
 振り上げられていた朱天の右手が降ろされた。
「……私の方こそ、ごめんなさい。いろいろ考えてたら、あの子たちがあまりに哀れで、悲しくて……。どうして、あの子たちばっかり……」
「君らしくもない。私の知っている君は、いつだってしっかりしていて、烈火たちを励ましていたじゃないか」
「……だって、みんなの中で私が一番年上なのよ。だから私がしっかりしなきゃって、いつも無理やり自分に言い聞かせて……」
 遼たちの傍にいてやれない、見守っていることさえもできない。
 空に浮かぶ阿羅醐城── そこでどんな戦いが繰り広げられていることか、それを思うとたまらなくなる。あの城の存在が不安を増大させるのだ。
 ナスティの頬を涙が濡らしてゆく。そんなナスティを、朱天は優しく抱き締めた。
「……かつて阿羅醐の元にあった時、妖邪の力で人間界を征服し、支配することだけを考えていた。愚かな人間共を我らが支配する── それが当然のことだと思っていた。だが、それがどんなに愚かしく恐ろしいことか、今は分かる。考えてもみてくれ。怨念によって支配された世界の、一体どこに未来があるだろう。ありはしない。
 確かに人間は愚かな生き物だと思う。人を憎む気持ち、妬む気持ち、醜い心を持っている。だが同時に、人を慈しみ、思いやる心をも持っている。そんな二面性を持っているからこそ、人間なのではないだろうか。そしてそれらの総てをひっくるめた人間を、烈火たちは守ろうとしている。
 君の不安な気持ちは分かる。私とてそうだ。今ここで何もできずに待っているだけのこの身の、なんと辛いことか。だが私は信じている。彼等はきっと阿羅醐を倒すだろうと。そしていつから彼等の想いも通じるだろう。すぐには無理でも、いつの日にか、争いの無い、慈しみに満ちた世界が訪れる日が来ると。そんな時が来れば、今は虚しいとしか思えぬこの戦いも、意味あるものとなる。だから君も信じてくれ。まずは私たちが信じなければ。そうだろう? そして祈ってやってくれ、あの子たちのために」
「……ええ」
 抱き締められた朱天の腕の中で、ナスティはまだ涙の跡を残しながら小さく頷いた。
 ── ……そうね、私たちが信じてやらなければいけないのよね。妖邪のことを、そしてあの子たちの命を懸けた戦いを知っているのは、私たちだけなんですもの……。


     さて修羅道に遠近の
     さて修羅道に遠近の
     立つ木は敵
     雨は矢先
     土は精剣
     山は鉄城
     雲のはたてを突いて
     きょう慢の剣を揃へ
     邪見の眼の光
     愛欲貪恚痴通玄道場
     無明も法性も乱るる敵
     打つは波
     引くは潮
     西海西海の因果を見せて


 ふと思い出した『清経』の一節── 清経の亡魂は、最後に仏果を得るという。けれどそれは、この曲の持続それ自体、あるいは終結部の修羅道の苦患表現自体が、このとき限りに齎したもの。清経の亡魂はこの後も無明の修羅道を彷徨するほかはない。清経の亡魂は戦いの中の強制された死であるがゆえに、鎮魂されない。
 けれど、彼等は違う。
 敵の懐で、幾多の敵に囲まれ、味方なく、何者の援護もなく、剣を振るい戦いを繰り返す── 。それでも、今はいかに修羅の如き世界に存ろうとも、彼等にとってのそれは決して永遠のものではない。いつかは終わる時が来る。そしてこの戦いが終われば、彼らは元の自分たちの世界に帰っていくだろう。戦いから、サムライトルーパーとしての妖邪と戦う鎧戦士としての宿命から解放され、普通の少年として──
 彼等は、彼等の使命を果たしている。ならば私も自分にできることを為そう。そして祈ろう。
 彼らが無事にもとの世界に還ることができるよう、かつて、与謝野晶子が日露戦争に従軍した実弟の身を案じて祈りを込めて詠んだように。
 君死にたまふことなかれ── と。

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