春 夜 夢




 高層ビルの谷間で、鎧を身に纏い、剣を振るう五人の少年たちがいた。彼等は人間を守るために妖邪と戦う宿命を負った者たちだった。
 烈火という名の鎧を纏った少年が、敵たる魔将に向かって双刀剣を振り下ろす。
「双炎斬───── ッ!!」





 今年もまた櫻の季節を迎えていた。
 春の日差しが柔らかい。窓の外に見える桜の大木には花が綻び始めている。数日のうちに満開になるだろう。
「まだ二分咲きってところね」
 空気を入れ換えましょうねと言って、窓を開けた姉の真理子がそう告げた。
「寒くない?」
「ううん、風が気持ちいい」
 姉の問いに遼は短く答えた。
 窓から入ってくる春風が、窓際に立つ真理子の長い髪と、ベッドの上の遼の髪とを撫ぜていく。
「姉さん、学校はいつから?」
「明日からよ。でも明日は午前中だけだから、午後はこっちに来れるわ」
 真理子はベッドの傍らの椅子に腰を降ろしながら答えた。
「無理しなくてもいいよ」
「たった一人の弟の顔を見に来ることのどこが無理ですって? そんなこと気にしないで、あなたは早く良くなることだけを考えていればいいのよ。ほら、肩を出さないで」
 言いながら、真理子は遼の掛布団を直してやった。
「もう少し眠りなさい」
「眠ってる間に帰ったりしない?」
「ここにいるわ」
 優しく告げる真理子に安心したように、遼は眠りについた。



 生まれつき心臓に欠陥を持っていた遼は、14年余りの人生の半分近い時間を、病院のベッドの上で過ごしてきた。
 学校も殆ど通ったことがなく、毎年この時期になると、いつもベッドの中から学校へ通う同じ年頃の子供たちを羨ましそうに見ていた。
 同年代の友人というものがいない遼にとって、唯一の話し相手は、担当医や看護師を別にすれば4つ年上の姉の真理子だけで、真理子から色々な、特に学校の話を聞くことが、遼にとって数少ない楽しみの一つだった。
 思い切り外を走り回ることのできない遼にできたことは、真理子の話を聞くことと、本を読むこと、そして、夢を見ることだった。
 人一倍感性が豊かで想像力に富んでいた遼は、よく夢を見ていた。
 その夢の中で、遼は自由に翔び、駆けていた。





「そうだ、行け! そのままゴールまで突っ走れ!!」
「何やってる、さっさと止めんかっ!」
 無心にボールを蹴る。
 紅白に分かれて試合形式をとっているとはいえ、あくまで練習にすぎないのに、熱中しだすと皆これが練習だということなど忘れて燃え上がってしまう。いかに敵のゴールを奪うか、いかに敵の手にあるボールを奪い取って味方に回すか。そして勝つことだけを考える。
 遼は自分に回ってきたボールを、目の前のゴール目掛けて思い切り蹴り上げた。止めようとしたゴールキーパーの手を掠めて、ボールが勢いよくゴールネットに突き刺さる。
「やったあっ!」
「やったな、遼」
 味方側のチームメイトの一人である幼馴染の林秀明が、後ろから遼の肩を叩いてきた。その秀明に、遼が笑顔を返す。
 ホイッスルが鳴って、コートの中に散らばっていた部員たちが、それを鳴らした顧問の元に駆け集まっていく。





「遼、起きたの?」
「……姉さん?」
 自分を覗き込む顔が姉の真理子だと分かり、遼は辺りを見回した。
 何もない、白い病室──
「どうしたの?」
「うん……、夢を見てたみたいだ」
 まだはっきりしない頭を振って、遼は答えた。
「どんな夢?」
「サッカーしてる夢だよ。学校でね、俺、サッカー部に入ってボールを蹴ってたんだ。それでね、俺、ボールをゴールに決めたんだよ。とっても気持ち良かった」
 夢の中のことなのに、遼はそれを本当にあったことのように嬉しそうに語る。
 真理子はそんな遼が可哀想でならなかった。
 夢の中でどれほど走り回ることができても、現実の遼はベッドの上に縛り付けられたままなのだ。
 暫くの間、そのまま遼の見た夢の話を聞いていた真理子だったが、陽が沈み始めた頃、また明日来るわと告げて病室を後にした。





「駄目よ遼、ちゃんと寝てなきゃ」
 起きだした遼を、ナスティが叱る。
「寝てるのはもう飽きたよ。それにもう大丈夫だって。これ以上寝てたらカビが生えちゃうよ」
「いけません、ベッドに戻りなさい」
「ナスティ!」
「夕べ熱を出してたのは一体どこの誰?」
 ナスティの言葉に膨れっ面をしながらも、遼は仕方なしに言われたとおりにベッドに戻った。
「ずっと締め切りだし、少し窓を開けて空気を入れ換えたほうがいいわね」
 おとなしくベッドに横になった遼の姿を確かめながら、ナスティはそう言って窓を開けた。
 さっと風が吹き込んでくる。その風にナスティの長い髪が揺れた。
 その姿に、遼の脳裏をよぎるものがあった。
 以前にもこんなことがあったような── 既視感。
 不思議そうな目をして自分を見つめる遼に気づいたナスティが問い掛ける。
「どうしたの、何かあった?」
「……ううん、何でもない。ただ、前にもこんなことがあったような気がして……。おかしいな……。気のせいだね、きっと」
「じゃあ、おとなしく寝てるのよ。あとで果物でも持ってきてあげるから。白炎、遼がベッドを抜け出したりしないようにしっかり見張っててね・
 常に遼の傍らにいる白虎は、ナスティに承知したとでも言うように小さく吼えることで答えた。その白炎の頭を優しく撫でて、ナスティはもう一度駄目押しのように
「ちゃんと寝てるのよ」
 そう言いおいて部屋を出ていった。
「皆、心配のしすぎなんだよ。な、白炎」
 白炎はベッドから伸ばされた遼の手をぺロッと舐めてから、その場に座り込んだ。
 そんな白炎に微笑(わら)いかけてから、遼は再び眠りについた。疲れきった躰は、憩むことを、眠ることを要求していた。





「夢の中でね、姉さんによく似た女の人が、姉さんと同じことを俺に言ってるんだ。ちゃんと寝てなさいって。夢の中でまでそんなこと言われたくなんかないのにさ」
 頬を膨らませながら言う遼に、真理子は微笑った。
 最近、遼が見る夢は二つ。
 一つは、学校に通って、普通の学生のように勉強したりスポーツしたりしている夢。
 そこでは受験のことで悩んだり、授業中に居眠りして先生に叱られたりしているんだよ、と遼は笑っていう。
 もう一つは、テレビの特撮番組の主人公のように、人間を襲ってくる妖邪と呼ばれる敵と戦っている夢。
「その夢の中ではね、俺は仁の戦士で、烈火という名前の鎧を着て悪い奴と戦ってるんだ。他に四人の仲間と、あと、白い大きな虎が一緒で、俺はとても強いんだよ。もっとも、いつも無茶ばっかりして仲間に叱られてばかりいるけど」
 前者は、遼が健康でさえあったなら、そうあったろう姿。ごくごく普通の、平凡な中学生の姿で、遼の、そうありたいとの思いが見せた夢なのだろう。
 後者は、子供が英雄(ヒーロー)に憧れて、英雄になって悪者をやっつけるのを夢見るようなものだろうか。
 けれど所詮はどちらも夢でしかない。夢の中だけで許された行為でしかない。夢の中ではどんなに強くても、現実は変わらない。
 遼が生まれた時、医者は告げた。10歳まで生きられないと。けれど無事に10歳の誕生日を迎えた。
 医者は言う、15歳まではもたないだろうと。
 今は14歳──
 8月には15になる。そうしたら、今度は医者は何と言うだろう。だが医者の言葉を幾度覆しても、遼が元気に外を走り回るような日は来ないだろう。
 家と病院しか知らずに育った遼が、唯一自由に翼を広げることの出来る夢の世界。
 その夢の話をする時の遼は、本当に嬉しそうで、楽しそうで、それゆえに真理子には哀れに思えてならない。
 昔は、何かというと『遼のため』と、そう言われて我慢することを強いられた。母親が亡くなってからは、遼の看病をするために自分の時間を取られたりもして、どうして遼のために自分が犠牲にならなくてはいけないのかと、幼い弟を憎らしく思った時もあった。
 けれどたった一人の、大切な愛しい弟だ。
 自分が友人たちと語らい、思い切り外を駆け回っている時に、一人きりで寝ていることしか許されなかった、可哀想な弟。どうして憎むことなどできるだろう。





 最近、おかしい。夢と現実との境が見えない。
 夢だと思っていることが実は現実のもので、現実だと思っていることが本当は夢なのかもしれない。
 二人の自分がいる。
 学校に通い、サッカーボールを蹴っている自分と、鎧を身に着け剣を振るう自分と、どちらが夢でどちらが本当の自分なのか、分からなくなりそうだ。
 秀明が言う。
「これが現実だ。おまえは夢なんかじゃないよ。誰が何と言おうと、おまえはおまえた。俺の幼馴染の真田遼だよ。俺が保証してやるよ」
 水滸── ── が遼の頬を打つ。
「いいかげんに目を覚ましなよね。今の、痛かっただろう? これが現実だよ」
 秀明も伸も、共にこれが現実だと告げる。
 どちらも現実で、そして夢、だ。そしてそれを見るのは、白い病室のベッドの上にいる、もう一人の遼──



 遼が走る。ボールを追って、敵のゴールを奪うために──



 烈火が走る。敵に囚われた仲間を救うために、天空と二人、妖邪界を駆ける──



 大きな発作を起こし、遼の容態が悪化したのは櫻の花が満開になった、暖かな日の午後だった。
「遼、しっかりして!」
「……ねえ……さん……」
「もうすぐお父さんも来るわ、しっかりするのよ。病気なんかに負けちゃだめ。あなたは本当は強いんでしょう?」
 真理子が遼の手を握り締めながら言う。
「ごめん、ねえさん……」
「何を謝るの! 何か私に謝らなきゃいけないようなことをしたって言うの!?」
 医師と看護師が慌しく動き回っている。
 危ないと医師は言ったが、今までにも何度もこんなことがあった。しかしその度になんとか乗り切ってきたではないか。今度だって大丈夫だ、そう自分に言い聞かせながら、真理子は遼に話し掛けることをやめなかった。話すことをやめたら、そのまま遼は眠って、逝ってしまいそうで──
「遼……、だめよ、あなたはまだ何もしてないでしょう。元気になって、思い切り外を走り回って、学校にも通うの。友達をたくさん作って……」
「……ごめん…ね、俺…………」
「……遼っ!?」
 遼の手を握り締めていた真理子の手を握り返していた遼の手から、力が抜けていくのが分かった。
 心電図の動きが止まる──
「遼……っ!!」
 遼の右手を取っていた医師が、見上げる真理子に首を横に振って応えた。
「……遼っ、どうしてっ!? まだ15にもなっていないのに……っ!!」
 まだ温もりの残る弟の躰に取り縋って、真理子は泣いた。





 病室の外、今が盛りと咲き誇る櫻の花が、折りからの強風に煽られていっせいに舞い始める。
 その櫻の前を、幻のように、不思議な鎧を身に纏った五人の少年が駆け抜けていった。



「しっかりしろ、遼!」
「遼、行けっ!」
「俺たちに構うな! 行くんだ、遼!!」
 仲間が、自分を呼ぶ。
 共に命を駆けて戦う仲間だ。そして目の前に立ち塞がるは、敵たる幾多の妖邪兵。
 鎧が共鳴する。
 夢が現実となり、現実が夢となり──
 現在(いま)はこれが現実。ならば、力の限り戦い、斬り抜けるのみ。



「双炎斬───── ッ!!」



 夢は、終わらない───── ……。

──




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