再 会




 車は懐かしい風景の中を走っていた。あの頃と違うのは、一緒にいるメンバー。
 あれから既に6年余りが経っている。今傍らにいるのは、真田遼ではなく──



「着きましたよ」
 運転をしていた後輩の広田にそう言われて車から降りた伸の目の前に建つのは、忘れようもない家だった。
「本当にこの家なのか?」
「随分と大きな家ねえ」
「随と静かなとこだね。ここなら確かに論文を書くのにもいいだろうね」
「そうですね。なんでも、前の持ち主が結婚してヨーロッパへ行くことになったとかで、それで管理人を兼ねて、1年程前に教授が借りたんだそうです」
 ── 彼女が結婚!? 確かに結婚してもおかしい齢ではないけど……。そうか、結婚したのか……。相手、どんな人なんだろ……?
 ゴールデンウィークを利用してのゼミの合宿に、あまり遠くに行くのもということで、教授が借りているという別荘を提供してもらったのだが、それがまさかナスティの家だったとは、伸は思いもよらなかった。道すがら近いなとは思ったのだ。だからもし暇ができたら訊ねてみようかと。
 伸は辺りをぐるりと見回した。あの頃とあまり変わった様子は見られない。
 ── それにしても、ヨーロッパに行ったとはね。あの後、ずっと連絡もとらずにいたからな……。他の皆は、このこと知ってるのかな。もし聞いてたら、征士なんかきっとショックだっただろうな。征士の奴、ナスティに惚れてたみたいだから。あれ、もしかしたら相手が征士って可能性だって……あるかもしれないな。けど、それだったら何かしら連絡があるはずだし……。うーん。ナスティってば、結婚したんならしたでそれくらい連絡くれればいいんだよな。そうすれば何かお祝いだってできたのに。
 伸は自分が何の連絡も入れていなかったことを棚上げして、何も言わずに結婚して日本を離れたというナスティを責めていた。
「先輩、どうしたんですか? もう皆、中に入りましたよ」
「あ、すぐ行くよ」
 広田の言葉に、伸は慌てて後を追って中に入った。他のメンバーは既に居間に落ち着いて、早速、女子の淹れたお茶を飲んでいる。
「揃ったな。まず部屋割りを決めよう。女子が二人ずつ二部屋で、男子が八人だから、三人が二部屋に、残り二人で一部屋だな……。ベッドの方は教授がリースしといてくれたから、足りてるはずだ」
 周りの話し声が信の耳を擦り抜けていく。何も聞こえてはいなかった。まるで自分だけが別の次元にでもいるかのようだ。
 伸の瞳には、6年前の懐かしい仲間たちが映っていた。
 時には口論し、些細なことで喧嘩もしたが、それだけではなかった。殺伐とした妖邪との戦いの中、ほんの一時の和やかな団欒の時、戦いの渦中にあることがまるで嘘のような、穏やかな満ち足りた時間。そして何よりも信頼しあった仲間たち。それらがあったから、どんなに苦しくとも戦い続けることができたのだ。



「……伸、伸ったら」
「えっ?」
 呼ばれて声のした方に顔を向けると、ゼミ仲間公認の伸の恋人の佐伯美知子が立っていた。他にはもう誰も残っていない。
「皆はもう部屋の方へ行ったわよ。何うわの空してるの?」
「ああ、ごめん」
「自分の部屋、分かってる?」
 立ち上がって自分の荷物を持ったものの、美知子の一言に伸は動けなかった。
「……聞いてなかった……」
「伸らしくもない。こっちよ」
 呆れたように言いながら、美知子は伸の腕を取った。
 伸が美知子に教えられた部屋は、テラスに面した客間の一つだった。同室になった広田は荷物だけ置いてすぐに外に出たらしく誰もいない。
 ── この部屋……。
「荷物の整理終わったら、散歩にでも行きましょうね」
 そう告げて、美知子は背の中程まである髪を翻し、伸を残して部屋を出ていった。しかしその言葉は伸の耳には全く入っていない。
「……遼……」
 ごく自然に、その名が口をついて出た。
 実家に戻って普通の生活を送る中で、戦いは過去のものとなり、自分の(なか)にしまいこんで殆ど思い出すこともなく── いや、むしろ思い出さないように、考えないようにしていただけなのかもしれない── 仲間たちと連絡を取り合うこともなくなっていた。そして高校を卒業し、東京の大学に入り、サムライトルーパーの一人として妖邪と戦った日々をまるでなかったかのように過ごしてきた。
 なのに今はどうだ。この家に着いた瞬間から、昔のことばかり考えている。今はもう遠い思い出となった時間(とき)が溢れ出てくる。
 伸は荷物を床に置いたまま、ベッドの上に腰を降ろした。
 かつて遼が、傷つき疲れ切った躰を横たえていたベッド。その横で、自分はどれだけの時間を過ごしただろう。
 ── ……伸……。
 ふと、遼の声が聞こえたような気がした。
 ── 遼、どこにいる……?



 初めての出会いは新宿だった。阿羅醐によって凍結された新宿で、妖邪兵と戦う遼と、そして他の仲間やナスティと出会ったのだ。
 苦しく辛い戦いだった。それも決して他の人間に知られることのない戦い。
 傷つき倒れ、けれど立ち上がり、再び戦いを繰り返す。そんな日々の中で、纏う鎧に相応しい炎のような激しさと、そして同時に傷つきやすい優しい心を持った仁の戦士に心惹かれ、愛しさが募っていった。誰がそれを止められるだろう、誰がそれを責められるだろう。
 火と水と、相反するものでありながら、いや、だからこそ遼に惹かれたのか。
 遼を守りたかった。
 仲間として、水滸として、全てを託することのできるものとしてその力を信じて烈火を守りたかった。
 そして毛利伸として、真田遼を守りたかった。
 許されるものではないと、心の奥底にしまいこんだ遼に対するその想いは、少しも変わってはいない。
 他人(ひと)が自分の恋人と認める美知子の存在も、あおの炎に比べれば一体どれほどのものだというのだろう。  ── 遼……僕の烈火……!  どうして忘れたふりなんかしていたんだろう、忘れられるはずなんかないのに。ねえ、遼、君に逢いたいよ……!  この家のそこここに思い出がある。  想いだけが6年という年月を遡っていく。


 ノックの音に、伸は現実に引き戻された。
「伸、片付いた?」
 ドアから顔を覗かせたのは美知子だった。
「少し外に出てみない?」
「……ごめん」
 美知子の誘いに伸は首を横に振った。
 付き合うようになってから、よほどのことがない限り決して自分の誘いを断ったことのなかった伸のその様子に、美知子はその細い眉を顰めた。
「伸、どうしたの、何かあったの? あなた、ここに着いてから変だわ」
「……ちょっと一人で考えたいことがあってね」
 ── ねえ、伸。もしかしたら。あなたには私の他に好きな人がいるんじゃないかっていうのは、私の考え過ぎ? あなた、今まで私に自分を晒け出したことって一度もないわ。それに時々とても遠い()をして……。そんなあなたを見てると、あなたがどこか遠くに行ってしまいそうで、私、とても不安になるのよ。
 周りは、自分たちのことを恋人同士だと思っているし、自分もそう思っているけれど、伸は、本当に自分のことを想ってくれているのだろうかと、時折(よぎ)る不安を抱きながらも、美知子はそれを口に出せずにいた。
「……私が一緒にいたら、邪魔?」
「そういうことじゃ……!」
 ふいに、伸の心の琴線に触れたものがあった。とても懐かしい感じの……。
「伸?」
 ── 遼……? まさか……。
「きゃっ── !!」
 突然外から聞こえた女性の叫びに、伸と美知子は慌ててテラスに出た。
「どうしたの、弘美!?」
「……あ、あれ……」
 見下ろすと、美知子に名を呼ばれた娘が上から見ても分かるほどに震えながら、森の方を指さしている。そこには、伸にとっては懐かしい白い虎がいた。
「!」
「と、虎だわ……なんてこと!」
 叫び声に飛び出した他のメンバーは、虎の存在に気付くと近寄ることもできず、遠巻きにするだけだった。
「白炎!!」
 ── やっぱりさっきのは……遼、君か!
 虎── 白炎の後ろに人影が見える。 「伸、あの虎を知ってるの? 伸!?」
 美知子の声を後ろに、伸はテラスから飛び下りていた。
「伸、戻って、危ないわ!!」
 美知子の声など聞こえていないかのように、伸は白炎に、そしてその後ろから姿を見せた人影に向かって駆け寄った。
「遼っ!!」
 もう周りのことなど関係なかった。美知子のことすらも意識になかった。逢いたいと、そう願った遼が、誰よりも愛しいと想う烈火が目の前にいるのだ。自分の想いに気付いてしまった今、もう心を偽ることなどできない。他には何も考えられない。
「伸!」
 烈火の、伸が何よりも欲し、守りたいと願った遼の微笑みがそこにある。
 水滸はその腕に烈火を抱き寄せた。逢えなかった6年余りの想いをこめて──

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