Trost 2 【Zauber - 7】




 大広間を抜け出したジュリアスとヴィクトールは、オスカーの病室のある奥へと進んだ。
 歩きながら、ジュリアスは大広間で女王と歓談していたアンジェリークの様子を思い出しながら気になっていたことをヴィクトールに問うた。
「アンジェリークはアリオスのことを異性として好意を抱いていたように思うが」
「ええ、そうですね」
「彼女は二人のことは……?」
 眉を顰めながら、アンジェリークは気付いていただろうかと尋ねた。
「知らないと、気付いていないと思います。アンジェリーク以外の他の方々も。自分も、あの白銀の環の惑星でのことがなければ気付かなかったでしょう。勘のよいオリヴィエ様あたりは、薄々と何か気付いているかもしれませんが」
「なるほど、オリヴィエか……。確かにそれは言えるな」
 オリヴィエは派手は外見からはそうとは思えないほどに、神経が細やかでさりげなく回りのことに気を遣う。オリヴィエならば気付いていたとしても無用の口外をするようなことはないし、また、守護聖の中ではオスカーとは親しい方であることを考えれば、気付いているならいるで、それは却ってよいのかも知れないと思えた。
 だが、アンジェリークはもちろん、他の者たちには知られないようにした方がいいだろうとジュリアスは思った。あるいは、そう思いたくはないが、男同士ということで偏見を抱く者も出てくるかもしれないから。
 暫く歩いてオスカーの病室となっている部屋の前まで来ると、何やら女官たちが慌しかった。
「どうした、何かあったのか?」
 ジュリアスは女官の一人を捕まえて問い質した。
「もしや、オスカーの身に何か!?」
「ジュリアス様……、オスカー様が……」
 女官は、ジュリアスの視線に萎縮しながらも懸命に言葉を綴ろうとして、だが思うようにはいかなかった。
「オスカーがどうしたのだ!?」
 さらに問い詰めるジュリアスに、女官はますます萎縮してしまう。そこへ、女官たちを束ねる女官長が駆けつけてきた。
「ジュリアス様、将軍様」
 慌てて三人のところへ駆け寄り、女官に、あなたは行きなさいと指示を出すと、ジュリアスに向き直った。
「何があったのだ、女官長?」
「オスカー様が、行方不明です」
「何だとっ!? どういうことだ、オスカーは意識が戻ったのか?」
 問いを重ねるジュリアスに、女官長は頷いた。
「先刻、目覚められたのです。傍にいてそれに気付いた者が医師を呼びに出たのですが、戻った時にはもうオスカー様の姿がなくなっていたと……。それで手分けしてお捜ししているのですが……」
「……オスカー……」
「目覚められたとはいっても、まだ到底出歩けるようなお躰ではないというのに……」
 心配そうに語る女官長の前に、ヴィクトールが進み出た。
「俺も、捜すのを手伝おう。とりあえず、オスカー様の病室に案内してくれないか」
「あ、はい、こちらです」
 気は焦りながらも、ジュリアスはヴィクトールと共にオスカーのいた病室へと向かった。もしかしたら何か手がかりが残っているかもしれないし、あるいはまた、こうしている間にも、オスカーが部屋に戻っている可能性も、捨てきれないと。
 そうして女官長に案内されて入った部屋の中、オスカーの姿はどこにもなかった。見回してみても、何かあるというわけでもなく、どうしたものかと考えあぐねていた時、ヴィクトールがジュリアスに声を掛けた。
「ジュリアス様!」
「なんだ?」
 答えてヴィクトールに視線を向ければ、ヴィクトールは外のバルコニーに通じる大きく開け放たれた窓を指差していた。
「もしかしたら、外に出たのでは?」
 ヴィクトールの推測に、ジュリアスは共にバルコニーに出た。
 そのバルコニーの端には、下に降りられるように階段が備えてあるのだ。あるいはそこから階下に下りて庭園に出た可能性もある。
 身を乗り出すようにして、オスカーの姿を求めてあたりを見回す。
「ヴィクトール!!」
 ジュリアスに呼ばわれてその示す先に目を向ければ、だいぶ小さくなっていたが確かに人影が一つ。
 遠目にもはっきりと分かる見事とも言えるその緋色の髪に、それがオスカーであると直ぐに知れた。
 慌てて階段を駆け下り、オスカーの元へとひた走る。
 よろめきながらおぼつかない足取りで歩くオスカーに、二人はさして掛からずに追いついた。
「オスカー!」
「オスカー様!」
 名を呼ぶが、聞こえていないのか、オスカーには立ち止る気配はなく、振り返りもしない。
「オスカー!!」
 さらに近づき、ジュリアスが再びその名を呼んだ時、微かに、オスカーの声が聞こえた。
「……ス……、アリオス……」
 アリオス── と、その名を呼びながら彷徨い歩くオスカーに、ジュリアスとヴィクトールは顔を見合わせた。
 ジュリアスは慌ててオスカーの前に回りこみ、腕を掴んだ。
「オスカー、しっか、り……」
 しっかりしろ、とそう言い掛けて、オスカーの瞳を見たジュリアスは、言葉を失った。
 時に冷酷にも見えることのある、常に強い力を放っていた薄蒼の瞳は、今はその影もなく、空ろに、そして何かを捜し求めるかのように彷徨っている。
 その瞳の中には確かにジュリアスが映っていたが、だがそれだけだ。オスカーはジュリアスを見てはいない。
 その瞳が求めるのは、映し出すのはただ一人。そしてその唇が呼び求めるのもただ一人。
 アリオス── と、ただその名を繰り返し繰り返し呼び続けるオスカーを、ジュリアスは呆然と見やるだけだった。
 ジュリアスのオスカーを掴んでいた腕の力が抜けたため、オスカーはそこから抜け出すと再びアリオスの名を呼びながら歩き出した。
「オスカー様……」
 その様子を傍らで見ていたヴィクトールが静かな声で呼びかけたが、やはり何の反応もないオスカーに、ヴィクトールはさらに続けて声をかけた。
「アリオスを、捜しているんですか?」
 不意に、オスカーが立ち止り振り向いた。
 ヴィクトールが声に出した“アリオス”の名に反応したのは明らかだった。
「アリオスは、どこ? ずっと一緒にいるって言ったのに、どこにもいないんだ。アリオス……。ずっと捜してるのに……」
 いつしか涙を流しながら、ただひたすらにアリオスの姿を求めるオスカーに、その様子を見ていたジュリアスは見ていられないと思わず顔を背けた。
 これはオスカーではない、オスカーであるはずがないと。
「アリオスは、ここにはいません」
「……いない?」
 ヴィクトールの答えに、オスカーは首を傾げながら問い返した。
「ええ、いません」
「そんなはず、ない。俺のこと、決して離さないって言ったんだ。俺はあいつのものだからって。アリオスはどこ?」
「……アリオスは……」
 重ねて問うオスカーにどう答えたものか、ヴィクトールは一瞬目を閉じて逡巡し、それからゆっくりと答えた。
「どうしても外せない所要が出来て、出かけてるんです。でも、直ぐに戻ってきますから」
「……本当に?」
「ええ」
 頷きながら答えるヴィクトールに、オスカーは嬉しそうな笑みを見せた。
「ですから、今日はもう部屋に戻りましょう。まだ本調子ではないんですから。これでオスカー様が体調を崩したりしたら、困るのはアリオスですよ」
 まるで子供を宥め諭すように話し掛けながら、ヴィクトールは心の中で涙した。
 ── オスカー様、どうしてこんなことに……?
 そうしてこの一週間で痩せて軽くなってしまったオスカーの躰を抱き寄せながら、ヴィクトールはジュリアスを見た。
「……すまぬが、先にオスカーを連れて戻ってくれ。私もすぐにいく」
 ジュリアスはそう告げて、ヴィクトールを促した。
 分かりましたと答えて、ヴィクトールがよろめくオスカーを支えながら戻っていく姿を見送りながら、ジュリアスは目頭を抑えた。
 もう自分の、自分たちの知るオスカーはいないのだと、そう思った時、ジュリアスの頬を濡らすものがあった。
「アリオス、そなた、オスカーの心を連れていったのか……?」


◇  ◇  ◇



 小さな花々が咲き乱れる一面の花畑。
 その中に、彼は、いた。
 風が、甘い匂いを運びながら吹き抜けていく。
 それに目覚めを誘われたかのように、彼はゆっくりと瞳を開いた。
 そこに現れたのは、金と翠の二つの異なる色の瞳。
 その瞳に映し出された一輪の薄蒼の小さな花に、彼は何か愛しいものを見つけたように、優しく微笑みかけた。

── das Ende




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